安産、それとも難産?
5月4日夜中に無事に男児を出産した。陣痛がはじまってから約46時間後となり、その後体力回復に思った以上に時間がかかった。 母子無事に、病院にて出産。オランダらしく自宅出産を希望していたのはかなわなかった。 陣痛が始まって6時間後に助産師さんに電話したところ、「様子みて、話せなくなるくらい痛くなったら、もう一度電話ください」との返事。「話せなくなったら電話。。?!」 自分の陣痛が弱く、なかなか発展しなかったので30時間目、3日の朝9時に、助産師さんがとうとう家にきて、人口破水となった。その後、赤ちゃんが羊水中に便をしたらしく、その場合の約束どおり、午後2時半頃に病院へ行くことに。 緊急事態の窓からはしご車か、、、と思いきやタクシーだった。陣痛がはじまっていてもこの程度では緊急ではなかったらしい。(!)それでも「話せない」痛みの段階にきていた。 助産師さんが早急に病院の空きを調べ、3件目にしてやっとベッドの空きがあった。その間は痛みに耐えながらも頭のなかでどうなるのだろうとドキドキ。。そんなときに限って、タクシーでの道中、アムステルダム特有の運河の跳ね橋が上がったり、道路の通行止めがあったりで、永遠の長さに感じた。病院では助産師さんのアドバイスもあったので、さっそく麻酔をお願いした。この調子ではいつまでかかるかわからないからだ。脊椎の麻酔が効き始め、やっと正気に戻り「麻酔すればこんなに楽なんだ。。。本読みながらでもいけそう」と思っていたところ、1時間ほどすると、麻酔が左半身効かなくなってきた。さらに陣痛促進剤をいつのまにか、点滴されていたので、最後の2時間ほどはひどい痛みをしっかり経験した。 その間に麻酔がきいていません、、、と訴えたくて3度押したナースコールには、「今麻酔師さんが、手がいっぱいでこられる人がいないの、ごめんね」という返事。でも3度めに来てくれた時には、その痛みのお陰で次の「いきみ」の段階に入るとのことだった。いきんで、と言われてももう力が尽き果てて。。その時は夜10時半すぎ。ここで私がやめたら、赤ちゃんが出てこられない!とがんばった。赤ちゃんが、産婦人科医の手で取り上げられ、私のお腹の上にのせてくれたとき、くしゃくしゃの顔の赤ちゃんが宇宙からこちらに飛んで来て、着陸してくれたように思った。 「あー、終わった!!」 妊婦ヨガで練習した呼吸法はとにかくとても助けになった。呼吸法以外に痛みを逃れる方法もないのだ。点滴を腕に打たれて、身動きできないため、陣痛の受け取りも、出産するときも好きな姿勢で、というのは病院では無理だった。でも病院の施設のお陰で母子の命が安全に出産できたことには本当に感謝している。 陣痛促進剤もなく、麻酔もなく、母体の状態をチェックする医療機器もない頃には、たくさんの危険もあっただろう。 少し話はそれるが、友人の友人で、「自然なお産をする」コンセプトの施設で出産に望んだところ、同じように非常に長い陣痛となり、さらに持っていたヘルニアを併発して非常に痛みに苦しむことになったそうだ。病院にすぐ移りたい、と本人は言ったにもかかわらず、施設の人とご主人の説得により、その施設に残り、薬も使わなかったそうだ。 母子ともに無事だったらしいからよかったが、それは本当に痛い上、リスクもあったことだろう。 陣痛がはじまって、数時間ですべてが完了、、という出産に比べたら難産、と言えるのかもしれない。一度しか経験していないので、こんなものだ、と思えばそれでおしまい。大変でないお産なんてないだろう。 母子ともに二つの命が助かり、生きていること。本当に尊いものを授かった。赤ちゃんもものすごく疲れていたのか、産まれた日、次の日もしばらくずーっと眠っていた。小さな命もこんなにがんばった。 授かった命を一生懸命に生きていくこと、簡単ではないけれど、今改めて思う。
laatste loodjes
最近、’laatste loodjes’ (ラーツテ ローチェス)という表現を何度も何度も聞くので覚え、使っている。’Hoe gaat het met je laatste loodjes?’ とか ‘succes met je laatste loodjes!’ . とか。臨月の私の状況にちょうど使える表現で、直訳すると「最後の鉛」。「最後のひと頑張り、追い込み」という意味である。一つ目は 「最後のひと頑張り、調子は如何ですか?」二つ目は 「最後の追い込みがんばってね!」。 偶然というかそれを知ってからか、この ‘lood’ という単語がやたらと耳に入る。’Glas in lood’ はオランダの古い住宅の窓ガラスや引き戸に見られる色ガラスの入った飾り窓。日本語では「ステンドグラス」のこと。あの黒い枠が鉛でできている。 それから、in het lood staan (鉛において立つ)という表現は、「垂直になっている」ことを表す。先日ゲストルームを作るために、屋根裏部屋の壁紙貼りをした。床からまっすぐ垂直になっているかどうかを見るために、糸の先に鉛のついた小道具で調べた。上から垂らし、床までの垂直線を見つける。そこから、この表現がきている。 オランダの住宅の窓で、上に向かって引き上げるタイプの窓は重たくなっているが、それは窓の両脇の枠内にロープで下がった鉛が入っていて、外からは開かないようになっている。だから窓枠の中の「おもり」も lood。 「最後のひと頑張り」は軽くない・・・ということだろうか。演奏会の前でも曲が仕上がる直前というのは一番神経を使って、大変な最後の一歩である。妊婦さんの場合は、実際に重量が重くなるので、引きずるように階段を上る時の感覚と鉛というコトバが妙に合う。
日蘭出産事情
もう2週間も前のことになるが、二人の日本からの助産師さんがオランダの出産事情や、働く女性と出産、ということの実情を調査しにいらっしゃっていた。そのモニターになってくれませんか、といつも行っている助産院を通じて連絡があったので引き受けた。 問診を受けたり、お腹の触診のチェックの様子を見ながら、今何を質問しているのか、コンピューターでのカルテのシステムはいつ頃からオランダではしているのか、などとこちらのやり方を聞いていた。オランダではもう少なくとも10年はコンピューターで一人一人の情報管理をしているそうだ。私の通う助産院には4人の助産師さんがおり、そのうちの一人が出産に立ち会うことになっているので、どの人にも会っておくように、と言われている。私のカルテを開くと、4人の誰もが状況を把握できるようになっている。赤ちゃんがお腹の中にいる姿勢も記号で記されている。 オランダでは約8割の人が、自宅出産で開始し、助産婦さんが陣痛が始まったら家に駆けつける。何かの事情で病院に行った方がよい、と判断されたら即、病院に移る。そして結果的には約3分の1の自宅出産率であるから、とても日常的なことになっている。興味があったので日本の助産師さんに、日本での実情を聞くと、なんと自宅出産率は0、2%で助産院での出産率も1、2%!! ということはほとんどの人は今時自宅出産はしない。 日本での産婦人科不足が言われているけれど、日本中での助産師資格保持者の数は、かなり多いそうだ。助産師さんとの自宅出産ができる環境がもっと増えれば、その問題も解決するのではないかな、とも思うのだが。 ちなみに、オランダでは最初の妊娠2ヶ月頃のエコー検査のあとは20週目にエコーがある。それ以外はもう産まれるまではエコーはなしなので赤ちゃんの姿は目にしない。希望があれば、業者がやっている商業的なエコーや3DのDVD 撮影に申し込める。「身体の声を聞くように」と、オランダの妊婦さん向けの冊子によくある。スポーツや自転車乗り、飛行機での旅行、も自分の判断にまかされることが多い。ちなみにヨガクラスで自転車に乗るのを辞めたのは私一人。出産直前までオランダ人女性は自転車生活をしている。「何かあったら・・・」を言い出せばきりがないが、信頼できる助産師さんに出会えれば、異常を感じない限り、触診だけでも、エコーが少ないことに不満をもったことはない。オランダでは過剰な検査などはないので、放任されているようにも思えるが、そのためか身体は普通以上に敏感になっている。 お腹を触って想像する限りである。
Aan’t IJのランチタイムコンサート
バロック演奏会の次の日。日曜日のお昼12時からという時間に、Muziek Gebouw Aan’t IJ での演奏会を聴きにいった。最近 rising star として活躍中のハープ奏者 Lavinia Meijerと仲間達というメンバー。ラヴィニア以外は Aurelia Saxophone quartet とコンセルトヘボウの演奏家達。 ドビュッシーのフルート、ハープ、ヴィオラのソナタの後、ヴァイオリニストのTjeerd Top とラヴィニアによるサン・サーンスの「幻想曲作品124」。これが、すごかった。。。 特にヴァイオリニストの素晴らしい豊かな美しい音色と、その立ち姿の自然なこと、音楽の精霊が語りかけているかのようだった。もちろんモダンヴァイオリンだが、その音色が続く限り、涙が止まらなくなった。彼がパガニーニかモーツァルトのように見えた。もうこれで家に帰ってもよかった。。。即 Tjeerd のファンになっていた。 他には Carlos Michánsの作品でハープとサクソフォーンカルテット、ラヴィニアのスカルラッティソナタのソロ、 Joey Roukens という26歳の作曲家による Tjeerdとラヴィニアのデュオ。これもとても良い作品だった。 Carlos Salzedo の作品をラヴィニアのソロ。ランチコンサートの1時間くらいを想像していたのだけれど、盛りだくさんのプログラムで充実した演奏会だった。古い教会でのバロックアンサンブルもオランダらしくてよかったけれど、モダンの良いホールでのモダン楽器の演奏会も、細かい所まで綺麗に響き、そのゴージャス感もまた格別だなあ。 ラヴィニアは演奏の合間にも何度もマイクを持って話し、演奏会の後にはいつもお客さんのいるロビーに出てくる。とってもフレンドリーで存在感がある。初めて見たのは、朝のテレビ番組「おはようオランダ」(!)でだったが、これで3度目。こんな充実したプログラムをさらっとこなしてしまうなんて体力的にもタフなことだと思う。
Hoorn でのコンサート
ハイドン・イヤーにちなんだ演奏会を聴きに行くのは実は一つ目。 今年はハイドンの没後200年にあたり、クラシック音楽会ではハイドンをテーマにした演奏会が多い・・・と思いきやどのくらいあるのだろうか? 3月21日、Hoornでの演奏会はタイトルは ‘De Europeaan Haydn: Haydn en Frankrijk’「ヨーロッパ人ハイドン:ハイドンとフランス」でバロックアンサンブル Eik en Linde によるもの。ピアノ協奏曲のソリストは日本人のスタンリー弟子としては、第一世代の福田理子さん。 駅からの道に迷いかけ、通りの人に訪ねたら同じコンサートに行く人で、その方に出会わなかったら見つけにくかった場所。その方が「ベートーヴェンとモーツァルトに比べると、ハイドンはどうしてもねえ。。。」というようなことをおっしゃった。それと似たような事は、日本のマネージメント関係の方からも聞いた言葉だった。 ハイドンの良さが十分に認識されていない! ルター派のこじんまりとした、音響も古楽にぴったりの感じのよい教会だった。ピアノ協奏曲二長調は理子さんはオリジナルの18世紀の楽器による、軽やかな演奏で、アンサンブルとの息もぴったり。 プログラムはフランスで活躍した作曲家の作品とハイドンを比較している。他には Ignace Joseph Pleyel, François-Joseph Gossec, Joseph Boulogne Chevalier de Saint-Georges の交響曲に、トリがハイドンの交響曲 ‘L’impériale’ 二長調。プレイエルは3楽章が一番面白かったし、ゴセックは1楽章がよいなあと思った。J.B.Chevalier de Saint-Georges (どこから名前??)では二人のヴァイオリン・ソリ、Franc Polman と Frances Thé の対話が素晴らしく、すうっと描かれるアーティキュレーションが宙に浮かんで見えるようだった。バロックヴァイオリンが奏でる古楽はやはり良いなあ。後半を二階のバルコニー席で聞いたのもあり上方に届けられた美しい音色に身体中包まれ、響きの中のお風呂にいるようで幸せだった。 なんといっても最後のハイドンの交響曲は感動。 ここに来て、「形式があるって美しい!」と思った。他のフランス人の交響曲には、ここまで引き締まった形式感がなくて、今ひとつ存在感が薄かったのだけれど、ハイドンはリピートをしてもその意味があるし、形式とか構成美みたいなのが本当に気持ちよく、曲の力強さを感じる。4楽章それぞれの個性もバランスが良くて、この楽章のあとに、こうなるんあだなあ、とひとときも飽きなかった。やはり天才なんだと思う。
妊婦ヨガーチャクラ
妊婦ヨガの日。予定日より一ヶ月早く出産してしまったサシャが来なくなり、6人の受講者になった。サシャはスピード出産で安産だったそうで、羨ましいこと だ。ヨガの先生は助産婦の経験を積んだ後、ヨガ,指圧、マッサージ、スピリチュアルな方面も勉強され、幅広く出産に関して身体の内面と意識、神秘について ゆったり落ち着いて指導してくださる。様々呼吸法の復習の後、今日の話題は身体の7つのチャクラと、音声が関わっているという。 O(オー)音は骨盤底筋、「ウー」音はお腹(ハラ)、「アー」音は横隔膜、「エー」音は心臓、「イー」音はのど、「mmm」音は第三の目、「ng ng .. 」は頭のてっぺん。その発声練習をした。そうすると、その音がそれぞれの場所に響いて、そこに集中がいくので面白かった。 先生のお話はほとんど理解できるが、5人のオランダ人の普通の「おしゃべり」を聞き取るのが一番大変である。スピードも早くて、一度に何人かがしゃぺった りする。特に疲れていると外国語を聞くのに集中するのは結構大変だと思う。このコースを受講すること自体が、挑戦的なことだったかもしれない。 出産に関する単語はほとんどオランダ語でやっているので、英語で聞かれたりするとわからないことも多い。 出産準備は皆,着々と進んでいるようで、私が一番遅いような。お部屋もまだだし、ベビーバギーも用意できていない。 今日は出産直後の8日間毎日、5時間程来て下さる方(産褥看護士)の訪問があった。授乳の仕方を教えてもらったり、赤ちゃんと母親の体調のチェック、必要ならば、買い物 やお掃除まで手伝ってくれるありがたいヘルプである。これは保険でまかなわれている。哺乳瓶なども、最初はひとつだけ買っておけば,十分とのこと。出産準備品の情報過多な中で、具体的なお話を聞けてとてもよかった。薦められたので、明日は母乳の講習をやはり聴きにいくことにする。
はしご車?!
昨日は助産院の定期検診。今回はちゃんと頭が下に来ていて、逆子になっていなかった。今後は、駒のように、頭が下のまま回転したり動いたりするだろう、とのこと。普通の人なら頭を下にして7週間もいられないのに、やはり赤ちゃんはすごい。お魚のように羊水に浮かんでいる状態は宇宙にいるみたいなのかしら? 今回は、自宅出産の可能性も考えている、と相談した。二つの妊婦コースでどちらも、オランダ人の助産婦さんの自宅出産サポートの仕方は素晴らしいと言われたのと、自宅で出産した人たちは一同に「すごくよかった」と言う。そして、病院で出産した場合の大変さをよく耳にするからだ。 病院で出産した場合、「じゃあ、シャワー浴びて下さい」となり、問題がなければ2、3時間から数時間後に帰宅。一応車いすに乗って病院を出るらしいので、車いすを使う際のコインを忘れないように、、という注意まである。 自宅出産の場合、まず聞かれたのは、「家の道路側の窓は十分大きいですか?」という質問。万が一、陣痛が始まり、何かあったときに急に病院へと切り替える場合、救急車で行くとのこと。その時に、オランダの古い運河沿いの高い建物での引っ越しにみられるように、はしご車が道路から窓に向けてかかる。そのように、家の窓から妊婦さんが電動はしごで、階下に移動するらしい。そんなアクロバットを一大事にするかもしれない! その確立は1%ぐらいと言われたが、緊急時の妊婦に階段を歩かせないためのケアらしい。陣痛がはじまってしばらくしたら、助産婦さんを呼ぶことになっているが、助産婦さんは家の様子をみて、自宅出産が可能な環境か、病院にいくべき状況かを即判断するとのこと。だから希望していても、直前まではわからない。 とにかく安全に安静にいきますように。。
妊婦ヨガ
1月から妊婦ヨガに通っている。ヨガにはたくさんの種類があるそうだが、私の通う妊婦ヨガはいたって体力的には楽である。主に呼吸法を学び、お産のための知識の勉強も含まれているが、リラックスのために行くような気分である。最後の15分はお茶を飲みながら質問であったりそれぞれの情報交換の時間。その前の約10分は、横になって波の音や、サティのピアノ音楽などを聞きながら、身体と赤ちゃんに意識を集中する。まるで眠ってしまいそう・・・。とにかく陣痛が始まったときに、どうやって自分の内面に集中するか、リラックスを貫くかの練習。深い呼吸、肩を上げない、顔に力を入れない・・・。なんと、 bekkenbodemspieren(骨盤底筋)と口、あごの筋肉につながりがある、という。 痛みが来たときに、逆にスマイルを忘れないように?心がけると良いらしい。そんな余裕があるものだろうか? 12回のレッスンのうち、4回はパートナー付き。7組のカップルは私以外、普通のオランダ人。広告関係につとめる旦那さんが多く、ジョークが飛び交い、いつも楽しい雰囲気である。そのジョークをときどき私は聞き逃して笑い損ねるのだが。 それにしても、大きなお腹を真ん中にして、チークダンスのようなことも実践した。二人でお腹に意識してリラックスするため?男性は女性の背中やお腹のマッサージを習ったり、陣痛を和らげる指圧ポイントも習う。なにかする度にキスしたり抱き合うオランダ人カップル。。自然だけれど、見てるほうは少し照れます!陣痛が来たら、キスするのもいいのよ、と先生はおっしゃった。それは口の筋肉がほぐれているため、だそう。。。その練習は幸いしなくてよかった。 身体のあり方が重要だから恥ずかしがってもいられない。カップルで一緒に出産を受け入れるという姿勢は素晴らしいな、と思う。全員、真剣に話を聞き、僕たちはその時どうすれば良いですか、と男性も前向きに学ぶ。 オランダでは、自宅出産をする人も全体の3分の1に及ぶとのこと。水中出産も人気である。家に大きなお風呂をレンタルしたりする。どのような出産をしたいか、明確にイメージを持ち、やりたいことはきちんと助産婦さんに言う事、というのもヨガの先生から学んだ。予定日まであと2ヶ月弱。日本人には、「大きなお腹だね」と驚かれるが、オランダ人のお腹に比べるとちっとも大きく見えない。
今日出会った人
28日土曜日。今日出会った、彼の大学時代の同僚の女性は、レトリック(修辞学)を元にした「議論」について、弁護士に指導している方だった。三児の母でありながら、ばりばり仕事している。レトリックはフォルテピアノ奏者にとっても、大切な項目の一つ! 当時の18世紀の作曲家達、知識人たちの教養として、学ばれていた古くはギリシア時代に遡る議論の方法論。オランダ語学科を出た彼女は、修辞学を専門として、今の仕事に来た。 それにしても、オランダではレトリックが今も息づいて、弁護士さんの現場などで実用化されているんですねえ。日本もなのかしら? オバマ氏はじめ政治家の演説も、ディベートの論理にちゃんとのっとって話されていると聞く。彼女の話術についつい皆が惹き込まれて行くのを目の当たりにした午後。フォルテピアノ演奏に、もっともっと修辞学の教養も今後取り入れていけたら、と思う。
Bimhuis – Cimbalon
27日金曜日。Bimhuis にて、 Faces で共演しているHuib Emmer の新曲発表を見に行った。 遅れて入り、次に始まった曲に驚いた。 映像、フルート、電子音楽、コントラバス、スチールギター(大正琴のよう)とともに、ツィンバロン Cimbalon が使われていた。フォルテピアノのアイデアの元にもなったとも言われている、弦をマレットで叩く楽器。そういえば、オーストリアやドイツの博物館でたくさ んみた。(正しくは、オーストリアで見た小さいものはツィンバロンの前段階の ハックブレットHackbrettであった) そのライブの演奏を聞くのは初めて。それが現代音楽の即興に使われていたので驚いたのだが、他の電子系の音やフルートのあえて金属的な、加工された音の合 間に、温かみのある音で混じるととてもよかった。奏者に話しかけると、ピアニストだとのこと。(!)その楽器はブダペスト製の1900年頃のもので、ジプ シー音楽のライブもしている人だった。映像は、単語とともに現れ、その画面が切り替わるときに音楽の場面が変わっていったので、一種の指揮者の役目 のようだった。音色のバランスはとても綺麗な作品だった。Anne la Bergeの作品。 Huib の作品は、電子音( Huib のライブ)、コントラバス、フルート、キーボード、トロンボーン。電子音のコンチェルトみたく、他の4人が和声を作り、 対してHuib が電子音で入ってくる。全体にリズムに凝った曲。アンサンブルのタイミングがずれているのかわざとなのか・・・という疑問が残り、Faces のHuibのソロレパートリーのほうがかっこよくて好きだった。バックのガラス越しにアムステルダムのトラム、電車、バスが行き交う夜景を見ながら夜の外出を楽しんだ。 お腹の赤ちゃんが始終動くので、これは落ち着かないのか、、エキサイティングなのか、どちらなのだろうか?現代音楽の早期教育となった。。ウェブデザイナーの知人の新しいプロジェクトの話を聞きながらちょっとゆっくりして、妊婦には遅い帰宅となった。