Nieuws

Kaoru Iwamura fortepiano recital Japan tour 2026!

Eerste Japanse tournee na 7 jaar!Een muzikale reis door de 18e eeuw op de fortepiano– van Italië naar Wenen – 16 april (do) – Yokohama

岩村かおる フォルテピアノリサイタル 2026

7年ぶりの帰国公演! フォルテピアノでたどる18世紀音楽の旅 ~イタリアからウィーンへ~ Japan tour2026 4/16(木)横浜・サルビアホール3F 音楽ホール 19:00開演 4/19(日)土浦・アップル・ツリー 14:30開演 4/21(火)渋谷・ムジカーザ                19:00開演 (開場はすべて開演30分前) プログラム: ガルッピ (1706 – 1785) ソナタ ハ短調  ジュスティーニ(1685- 1743) ソナタ ヘ長調

Kaoru Iwamura fortepiano recital Japan tour 2026!

First Japan tour after 7 years!A musical journey through the 18th century on the fortepiano– from Italy to Vienna – April 16 (Thu) – Yokohama

Introductiedag voor historische toetsinstrumenten

Lieve Piano lovers! Ik geef een workshop op zaterdag 8 november voor pianisten en leerlingen die interesse hebben om fortepiano en klavecimbel te spelen. Het

Invitation for workshop Fortepiano &Harpsichord vol. 2

Hosted at Globe Center of Art and Culture (GlobeCKC) Venue: Heuvellaan, (formerly The Broadcasting Music Center (MCO) ) Address: Heuvellaan 33, 1217JL Hilversum, The Netherlands

ワークショップ フォルテピアノ&チェンバロへのご招待

ピアノ愛好家の皆さま、 11月8日(土) に、チェンバロとフォルテピアノに興味のあるピアニストや生徒のためのワークショップを開催します。このワークショップでは、1日のうちにフォルテピアノとチェンバロの両方を体験していただけます。入門編のワークショップで、12歳以上の生徒さんや大人の方を対象にしています。 当日は楽器の扱いや、当時の演奏習慣などについて、私がお手伝いします。各参加者には100分の練習時間があり、実際に演奏することで初めて楽器ごとの個性の違いを感じていただけることでしょう。 このワークショップに関心ありそうな方をご存じでしたら、お知らせを転送いただけましたら嬉しいです。 会場: ヒルフェルスム「Globe Centrum voor Kunst en Cultuur」レパートリー:(合計10分以内)1800年以前に作曲されたバロックまたは古典派の作品をご用意ください。(J.S.バッハの作品を一曲含むことが望ましい。) 申込締切: 2025年10月31日参加希望の方は「Globe Centrum voor Kunst en Cultuur」までご連絡ください。メール: ln.ckcebolgobfsctd-90bd8b@ofni (件名:フォルテピアノ&チェンバロ・ワークショップ) 参加者が4名以上集まった場合に開催されます。 詳細については Kaoru までお問い合わせください。

Welcome to my new website!

Please take a look around my new website! I look forward to seeing you soon at one of my concerts or workshops.

Welkom op mijn nieuwe website!

Neem gerust een kijkje op mijn nieuwe website! Ik hoop je binnenkort te zien bij een van mijn concerten of workshops.

ようこそ、新しいウェブサイトへ!

新しいこのサイトは3か国語対応になりました。 どうぞごゆっくりご覧ください。 そしていつかコンサートやワークショップでお会いできるのを楽しみにしています。

スペシャルな方との一日

先日の土曜日、ランチコンサートで伴奏をさせていただいた。 ヴァイオリニストはValentin Zhuk氏。( http://valentinzhuk.org)    

スクエアピアノの魅力

フォルテピアノには本当にいろいろな楽器がたくさんあって、スクエアピアノというのは、独特なカテゴリーである。ドイツ語、オランダ語ではtafelpiano (テーブルピアノ)とも呼ばれるが、同じものをさす。日本では見ることはもちろん、音色が聞けることというのは本当にまれであると思う。 当時裕福なアマチュアの間で流行っていた楽器である。欧米では最近流行ってきていて、グランドよりも楽器は小さいのでスペースもとられない、シンプルなアクションから、独特の音色が出る。家具と思ったら、ピアノだった!というステキなサプライズもお客さんに自慢できる。アンティークの好まれるオランダでは、自然に受け入れられているように感じる。もちろんごろごろしているわけではないが、愛好家はいる。 メーカーにこだわらなければ、楽器は意外と見つけやすく、わりに安価であるが修復しなければ弾けない状態の場合、修復にお金がかかるので、購入の際は注意がいる。 アムステルダムに来られたら、ぜひこの博物館で楽器を見に来て欲しい。 ほかにスクエアピアノのある観光におすすめスポットは Honing Breethuis, Zaandijk である。

スェーリンク・コレクション

今年に入ってから、音楽院時代に毎日朝から晩までお世話になった、スェーリンク・コレクションというフォルテピアノのコレクションの委員長の方から、私も委員にならないか、とお誘いいただいた。 光栄なことで、喜んでやらせていただくことにした。 このコレクションは、もともとコレクターのリン・ハスラー氏が始めたものである。 私がこのコレクションに魅せられ、ハーグからアムステルダムの音楽院に移ったまだアムステルダムの新入りの頃に、暖かいまなざしで見守り、どの楽器も演奏させてくれた。私の今の仕事はこのコレクションをもっと多くの方に知ってもらい、

ヒース地帯

2022年9月17日 夕方のヒースの続く自然地帯のお散歩。自転車で5分。なんと素晴らしい自然環境が近所に。紫のヒースは終わりに近く、でも気分をアップさせてくれる。気温15度。自然環境を保つため放牧されている牛やハイランダー、鹿などに出会います。

マギーポディウム

2022年8月29日 昨日はマギーポディウムで今シーズンスタート。ウォルメルフェールは二回目でした。20分づつ、今シーズンにここに登場するグループのプレゼンを二日間にわたりコンパクトに見られるようになっています。本コンサートは3月に登場させていただく予定です! 日本から帰って一週間でのコンディション作り、大変ですが良い刺激でした。今回は常にヘッドセットマイクで話す瞬間にオンにしてくれるアシスタントがあり、あまり声の大きくない私にはとても助かりました。

名古屋への旅

2022年8月15日 この夏は、日本に行きました。北海道旅行も素晴らしかった! そして一泊二日の名古屋へのフォルテピアノを訪ねる旅。FBでフォルテピアノファンでお知り合いになった黒田ゆかさんのご案内で、名古屋唯一というシュタインモデルのフォルテピアノを製作された片桐さんのスタジオへ。美しい木目でシュタイン独特の立ち姿でたたずまっていました。弾いているうちに楽しくなってきて、もっと弾きこんでこの楽器の本性に出会いたいな、と思わせてくれた楽器。 そして三重県菰野にある、ピアノ歴史館へ。 こちらの動画で紹介されている 移動楽器博物館を25年も続けていらっしゃるという、木村和人さん 。https://youtu.be/uOQBjgrKiSc これを見て、木村さんの活動に興奮し「いいね!!!」と楽しみに出掛けていきました。 楽器には動物の一部が使われているものが多いですが、「命を奏でている」ということを伝えていきたいとのこと。まさに、そうですね。楽器には命があり、生きています。 浜松の元楽器博物館館長 嶋和彦さんにも贅沢にもお会いすることができました! 嶋さんの言葉で印象に残ったこと「民俗楽器も古いピアノも、みなおなじく同等に楽器。」 菰野ピアノ歴史館は素晴らしいところです。オリジナルの楽器に初めて出会う方には、すばらしいコレクションだと思います。誰でも弾いてよいのです そしてそれぞれの個性、オランダにあっても菰野にあっても、ブロードウッドはブロードウッド、プレイエルはプレイエルという個性が光っています。 たくさんのピアノを愛する心に触れ、弾かれているからか、楽器達のが見えました。私の注目は有名メーカーと並びひっそりあったJacobiというアップライト。鉄枠がなく、プレイエルのアップライトと比べてみるのはいかがでしょうか。 古い楽器に出会うと、あまり弾かれていない楽器はもうちょっと起こしてあげなきゃなあ、と思うのですが、こちらの楽器達はお目覚めです。 そして黒田ゆかさん、長い一日ありがとうございました

Festival toetsenparade 連弾コンサートより

2022年6月19日 今晩8時15分より四手とソロのコンサートです。当初の2台フォルテピアノというプログラムから変更があり、シューベルトのヘ短調幻想曲などをアルテム・ベロギュロフ君と演奏します。急にいろいろありましたが、この名曲を、アルテム君と勉強できて嬉しいです。 プログラムは、シューベルトの他、デュセックの連弾曲作品73(ハープ曲が原曲)、モーツァルトの連弾 ニ長調 K.381, アルテムのソロ ゴットフリート・ウェーバーのソナタ作品15,私のソロ、メンデルスゾーン 幻想曲作品28 です。 チケットはお友達といって半額にしてもらえますので当日受付でも購入できるそうです。 @Het Veem festival Toetsenparade リハーサルがそろそろスタートします #toetsdestijds

アムステルダムのとある一角

2022年6月11日 アムステルダムのこの地域、地元の人に愛されている景色でしょう。 この写真は、駅の北側から北西へ水辺に沿って歩いて行きます。ハウトハーフェン houthaven という新しいエコ住宅も多い地域のほうへ。アムステルダムの中心部の家の価格が高騰し、狭いアパートに住んでいた子供のいる家庭で、共働きで収入も安定している家族が、近年この地域の広めの家に引っ越すのをよく聞きます。 新しい住宅で、くじ引きでその枠を取るのが大変だった、という話もたくさん聞きました。 子供たちが外で遊び、若い世代がすむフレッシュな雰囲気が漂っています。 生徒さんも何件もそちらに引っ越したので、自転車でレッスンによく行きました。 ヨルダーンとハウトハーフェンの間、スパールンダマー地区も愛着がある地域。 2007年から2019年まで、ヨルダーン地区に住んでいた頃、オランダの普通の家庭に行ってたくさん教えました。そのあたりからプリンセン運河の西地域まで、あちこちと「自転車操業」の出張レッスンに行った、懐かしい思い入れのある地区です。 #Amsterdam

オランダお城の日

2022年6月6日 「オランダお城の日」 90ぐらい(?)ある国内のお城のオープンデーです。映画撮影(以前にブログで紹介)でお馴染みのルーナースロート城で間もなく6回目のミニコンサートです。今朝はブロードウッドの調律でスタートしました。だんだんスクエアピアノのピンが早く見つけられるようになってきました ’Dag van het Kasteel. Ik ben in het Kasteel Loenersloot. Elke uur tijdens rondleidingen miniconcert op Broadwood tafelpiano uit 1829. De dag

オランダで乗馬教室

2022年5月30日 娘は毎週違う馬に乗り、各馬の癖や難しさを練習中。なんというラッキーな環境でしょうか。 アムステルダムから郊外に引っ越しして、50歳過ぎてのマイホームとマイカー。(それもフォルテピアノが入る!)乗馬のことはまるでわからないのですが、しばらく送迎をがんばろうと思います。 絶対やめない、と言っていますがいつまで続くことやら。どこまでも続く平地に囲まれたこのマネージェ(乗馬学校)に来て、馬屋の中で干し草の香りをかぐこの時間が、自分だったら選ばなかった、けれど貴重なときに思えます。

ハウス ミッドバウト Huis Midwoud in North Holland

2022年6月5日(日) 午後3時マギーポディウム公演😊 ミッドヴァウドに無事到着です。アシスタント二人連れて来ました。 会場のベヒシュタインと上から眺めると、私のフォルテピアノが意外とながーいことがよく見えます。 9歳の娘にポスターの文字を書いてもらいました。ポスカが大好きになったのもこのせいかもしれません。 もし北オランダにいらっしゃることがあれば、この小さな、でもスペシャルなミュージアムぜひ訪れてくださいね。定期的にコンサートがあり、親密でヒストリカルな空間でピアノ好きな方には大満足かと思います。

グラーフの御披露目間近

出来たてのフォルテピアノ(グラーフ)、最初に試させていただく機会でした。 Jan van der Sangen ヤン・ファン・デア・サンゲンさんの5年越しの作品。なんと生っぽい音。調理されていない生肉(?)と比べるのも変ですが、材料の木材が形となり、職人の手によって楽器となり、鍵盤となり、弦が張られ、音楽が奏でられる。弾き手とともに楽器が精製され、成長し、職人がさらに調整する。そのまだ生肉が焼けていないレアな段階に入る感じ。味付けも飾り付けもこれからです。 良いものを作ろうと目指していくこの過程に携わらせてもらっているんだ、と楽器を弾く姿勢に気が引き締まります。数年後に鳴る楽器を見据えて、良いエネルギーをたくさん受けて成長していってほしい。あと2週間では楽器にしてはまだまだ出来たてですが、お披露目ではこの楽器の持つ大きな潜在性を感じていただけるのではと思います。 まだ外塗装もされていない天然木の感触が音色にも現れます。ハンマーの打弦部分にある、新品の鹿皮がこれからどんどん凝縮されて音色も日々変わっていくことでしょう。 6月19日のお披露目コンサートでは、ヤンさんが以前に制作したベームとともに2台フォルテピアノという超贅沢なコンサートを、素晴らしいピアニスト、アルテム・ベロギュロフ Artem Belogurov さんと演奏させていただきます。とっても楽しみです! 音色はこちらのインスタグラムにアップしました!https://www.instagram.com/kaoru.iwamura.1/

桜の季節

オランダも先週から桜があちこちで見られます。3月21日はオランダで「春」が始まる日です。 暖かく過ごしやすい季節です。 これで毎日の戦争が終わってくれたら、もっと嬉しい。自然災害も最近多いけれど、戦争は止めることができるのだから。

東からの電車

アムステルダムに行く電車の中、到着する頃にアナウンスがあった。「ウクライナからのご乗客は、到着ホームでさらにインフォメーションを訪ねて下さい」 毎日の悲しい、胸が張り裂けるような戦争のニュースがストレートに刺さってきた。電車はベルリン出発のドイツの電車である。ということは、ウクライナからポーランドに逃れてきた人たちが、ベルリンまで来て、そこからこの列車に乗った。ヨーロッパは地続きだから、本当に近くだ。私の住む町でも1000人単位での、避難民の受け入れが始まっている。 「避難民」という言葉自体が、差別的に感じる。皆2週間前には普通に学校に行き、仕事をして平和な毎日を送っていただけなのに。ラジオでは大切なヴァイオリンを手放して逃げてきた音楽家の話もあった。家にあったとっても大切なもの、積み上げてきたレンガの一つ一つに込められた、歴史と文化と愛情の全てが壊されること、一番弱い立場の妊婦さんや病気の人への攻撃、この経験のトラウマは計り知れない。 小さい頃、ロシアでビジネスをしていた叔父の関係で、マトリョーシカや、ロシアの小物に愛着があった。音楽だってアートや文学、スポーツだって素晴らしいロシアの文化と人達。誇り溢れるものと、お互いの尊厳と、お願いだからこれ以上破壊するのをやめてほしい、と毎日、一刻も早くこの戦争が終わることを願っている。平和なアムステルダムの西公園にて。

マギーポディウム in Mozarthof

「かおるのマギーポディウム」(家族、子供向けフォルテピアノコンサート)をモーツァルトホーフという学校で、モーツァルトの誕生日の1月27日に演奏してきました! モーツァルトホーフはスペシャル教育(speciale onderwijs)が行われる、日本でいう特別支援学校に当たります。ここに通うすべての子供達が、ダウン症や、何らかの障害を持ち、学びが困難な子供たちが一般学校よりもゆっくりと、それぞれの子供の能力に合わせた教育を受けています。 このコンサートはお話やシアター的要素もあり、ただ聴いてもらうコンサートと違い、一緒に参加して楽しい時間を過ごしてもらうための企画です。 私の主戦力、シュタインモデルのフォルテピアノを車に積んで、いざ目的地へと向かいます。 この体育館、さあみてください。 舞台の先生、音楽の先生のご協力で黒いカーテンで外光を遮り、舞台照明とカラフルな照明で、雰囲気がガラッと変身しました! さて、いよいよ第一グループが入場してきました。 中に入った途端に「わー!」「ワオ!」 外見にはどんな障害を持っているかわからない子も多かったです。音に敏感だということで、遮音用のヘッドフォンをつけている子がどのグループにもいました。 最初は緊張感がありましたが、始まってくると皆熱心に聴き入ってくれました。子供たちの反応の素晴らしいこと!!! ダウン症の子供たちは音楽にとても敏感なようですね。 マギーポディウムは45分のプログラムが標準で内容盛りだくさんなのですが、事前に学校の音楽と舞台の先生と打ち合わせ、子供たちのレベルと年齢に合わせて200名ほどの全校児童を7グループに分けてくださいました。 プログラムも20分、30分、45分と3種類用意し、その場でさらに柔軟に対応できるよう工夫を凝らして準備しました。 コンサートの中で、「よかったらここは音楽に合わせて踊ってもいいよ!」というと、本当に「えー、いいの?」と言ってすぐに踊り始める子がたくさんいました。今までの経験ではなかなかないことでした。 これまでやってきたマギーポディウムで「踊ってもいいよ!」というとシーン、、と恥ずかしがる場合が多いのです。 でもここでは本当に楽しく踊りだすのです。こちらも嬉しくなり、思いっきり踊ってね!!と内心思いながら伴奏に気持ちが切り替わります。 7回の公演の中で、たくさんのことが印象に残っています。 その中で例えば、ベートーヴェンの「月光」の1楽章をダンパー+モデラートペダル(音色が変わる)をオンにして演奏するのですが、曲が終わると通常拍手があったり、言葉を発したり、体を動かしたりの反応がありました。 あるグループの時、その中にはダウン症の子供が多かったのですが、最後の音が消えていくまで、私もずーっと聞き続け、普段以上に長い最後の音、消えた後の余韻を聴き続けました。もう音は終わっている。。。それなのになんと長いこと誰も何も、物音を発しないのです。大抵は雰囲気で自分が音を止める瞬間を決めます。でもこの回では、演奏中からただならぬ深い静けさを感じ、終わってからも長い沈黙。 そうなんです、信じがたいくらい皆が音色を聴き入ってくれて、感じ入り、内面に反応しているのでしょうか。誰もそれを止めないし、自由に反芻しているのです。いうなれば、彼らの感受性にはコントロールというバリアが少ないのです。感じたら、そのまま、感じるまま。まるで無重力でどこまでも続く時間のようでした。 それぞれの子供が違う表現方法を持ち、彼らの外側にいる私たちに伝達されます。 私はこの時の、感じ続けてくれている沈黙の瞬間を一生忘れないことでしょう。涙が出そうなくらい胸がいっぱいになりましたが、次の動作へと自分が移りました。 マギーポディウムの中で、モーツァルトからのお手紙を読んでもらうときがあります。あらかじめ先生と打ち合わせて、このグループは「読む」ことが難しい、とかこのクラスは年齢15から20歳ぐらいまでで読める子も何人かいる、と確認してからスタートしました。子供が読まない時は、先生が読み、そしてほとんどの回で、専門の手話の先生が来て、お手紙の内容を同時に示してくださいました。本当に先生方の熱心なご協力には感謝です。 ある回の時、手を上げてお手紙を読みたいという子がおり、その子はフォルテピアノを触ってみたい、という時も手を上げて熱心だったので、読んでもらうことにしました。でも読むのは難しかったらしく、一つ一つ単語を読むのに、とても時間をかけて、手紙を読み終わるのに数分かかりました。みんなじっと静かに待ちました。その我慢強さにまた感銘を受けました。

オランダでお節

2022年、今年もどうぞよろしくお願いいたします。 寅年、気持ちを新たに、ブログにオランダ生活について、時々、お伝えしていこうと思います。 今年の冬は小中学校がちょうど、冬休みに入るという一週間前にロックダウンの発表があり、小学校は一週間予定よりも早く休みとなりました。 ロックダウンで家人が多いのに慣れてはきたものの、やはり子供が家にいたら、仕事しにくくなります。子供達を全く構わないわけには行かず、放っておいて何時間もテレビやゲームに夢中になられても困りますよね。 お友達と遊ぶ約束を入れたり、努力はしますがやはり家で過ごす時間が増え、子供も大人も運動不足が増すばかり。 さて、オランダで過ごす大晦日は、恒例のオリーボレン(オリーボルの複数形。揚げたボール型ドーナツ)と発泡酒、おつまみでもあれば十分なので、準備は気楽です。さらに今年はご近所さんが招待してくださったので、うちはそれらを持参しました。 オランダはクリスマスを家族と過ごし、大晦日は友人や近所の人と過ごすことが多いようです。このパーティの多い時期も、大人3人まで(家族の子供は数えない)の訪問が許されていたので、集まるとしても少人数でした。 昨年からは恒例の花火も禁止となり、小さい花火しか買えなくなり、年明けの瞬間もずいぶん静かになりました。 うちは主人が4人兄弟なので、それぞれのパートナーや子供たち、義父母も集まると大家族です。ところが義父母はオミクロンも怖いし、集まるのはやめようということに。 もう2年以上、大家族では集まっていません。 やはり寂しいものですね。 さて、表題のおせちですが、大したことは書けないので、昆布巻きに初挑戦したお話を。 昆布は、何もおかずがない、と思っても乾燥昆布を戻してジャガイモ(オランダなので、これはよく家に常備)と和風に煮ただけでも美味しいので、日本に育っていない子供たちも、うちでは大好きになっています。 昆布巻きには、かんぴょうというものが普通は必要で、さらに中にはニシンとか鮭とか入れますよね。私の育った茨城の環境では、ニシンで、昆布を分厚く巻いたものでした。 お節のために日本食店まで行くのは、相当の労力(?)がいるので、スーパーで買える、サバの燻製を使いました。昆布を巻く、かんぴょうがないので、串刺し。笑 それでも、2、3に輪切りにしたら、立派な昆布巻きに見えましたよ!昆布が薄かったですが、サバの燻製も脂がのっていて、こってりと美味しくできました。もう一つの初挑戦は、黒豆作り。中華で買った唯一の黒いお豆なので、立派なものではないのですが、それらしい味になり、感動いたしました! 黒豆作りに三日もかかると思っていなかったので、お節を食べるのが1月2日に。 それだけでは重箱がいっぱいにならず、厚焼き卵を焼いてみたり、ローストビーフにクリームチーズのようなものを挟んだオードブル、カニカマを詰めたりなどして隙間を減らし、、日本酒で乾杯すると、やはり日本人にとっては大切な節目だなあ、と心が満たされます。 煮物、酢の物のハスは、中華屋さんの冷凍ですが、これはとても重宝しています。 さつまいもに、甘みをつけて茶巾絞りも。あとはタラを焼いてみました。 前に結婚祝いにお友達に頂いた重箱、、、小さめですが立派な塗りの3段重ねを、初めて使用するという、、、(!)10年前に頂いて大切にしまっていました。とうとう日の目を見て、ありがたく使わせてもらいました。四角の箱に入れると、なぜか身が引き締まります。豪勢ではないですが、それらしくなりました。 お餅もなかったのですけれど、まさに、重箱の隅もつついてみて、いただきました。

‘ Thin Air’

このタイトルから皆さんは何を思い浮かべますか?『薄い空気』?これは、2020年にカリオペ• ツパキ Calliope Tsoupakiさんというギリシア出身の女性作曲家が作曲した作品の名前です。コロナ禍中に、‘Festivals for compassion’ ( 共感するフェスティバル)と題し、Wonderfeel festival ワンダーフィールフェスティバルというオランダの野外音楽祭が、世界にまたがるオンラインの音楽リレーを企画しました。 https://festivalsforcompassion.com/info/ もっと元をたどると、オランダ人芸術家、Rini Hurkmansさんの「共感の旗」という作品からインスピレーションを得て、音楽の形にしていったのが先のフェスティバルだそうです。 この旗を掲げて航行する船があったり、飾っているギャラリーがあったりします。共感する、意思表示ですね。 このアイデアを聞いた時に、素晴らしい!と思い、オンラインで世界の様々な場所で、この ‘Thin Air’という同じ作品を 思いを寄せて演奏する姿を「共感するフェスティバル」のサイトで見た時、自分も是非参加したい!と思いました。 そして、11月に演奏させていただいたエラート・フェスティバルで希望を伝えたところ、録画が実現し、現在先のサイトのタイムラインに自分も参加させていただいています。 ユーチューブではこちら。 ‘ Thin Air’ = 薄い空気

’Life is a Dream’ 『人生は夢』続編

前回のブログでは、今年撮影した映画についてざっくりとお知らせいたしました。もっと撮影秘話に興味持ってくださる方、こちらも読んでみてください! このタイトル『人生は夢』ですが、 これは映画の中でラストに使われているハイドンのドイツ語の歌曲 ‘Das Leben ist ein Traum’ の邦訳です。人生は泡のように儚く、いずれ消えてしまうもの。 解釈の難しい歌詞です。地上に浮遊するからっぽの泡。愛も戯れもいつか消えてしまう。名声を成しても最後に残るのは、墓標の名前のみー この映画の中では、2箇所ドローンによる撮影がされています。 まさにこの曲の部分(約20’30)、そしてお話が終わってお城を引いていって撮影するところです。素人の私には出来上がりを見てすごい!の一言なのですが、よく見ていただくと、エドモンド君がちょうどこの歌詞を歌っています。(英語訳が選択できます) 「我々はこの世界に入り込み、漂う」 (We slip into the world and float) そうです、歌手も橋の上で地面から離れ、水の上を漂うカメラは、子役の子供の目線、 夢の一部のようなシーンなのです。 この日、ちょうど風が吹いていました。風に揺れる木や草は、音楽とともに揺れているかのようで良いタイミングだったのですが、そうするとドローンカメラも、風でぐらついてしまうため、とても苦労していました。 この映画で使われた音楽は、演奏したフォルテピアノ(今回は形が四角のタイプで、特にスクエアピアノと呼ばれます)の時代と場所、1829年イギリス、をヒントに選曲されています。イギリスに行き来したメンデルスゾーン(フェリックスとファニー)とハイドン、このようなピアノを実際に弾いていた作曲家達です。 歌手のエドモンド君とキティちゃんの意見も伺いつつ、歌曲5曲、ピアノソロ3曲を演奏しました。

’Life is a Dream’ 『人生は夢』

‘ Life is a Dream’ (music film) 『人生は夢のよう』(音楽動画) こんにちは。このブログを訪ねてくださってありがとうございます。 今回特に強調します。だって3年間もサボっていたのですから。 それでもご縁あり、ここを訪ねてきてくださったことに感謝します。私はおかげさまで今も元気にフォルテピアノを弾いています。 そしてこのパンデミック中にも、今年(2021年)は一つ音楽映画を作り上げました。このプロジェクトは第2回香港古楽音楽祭による打診で、オランダの雰囲気の伝わるお城で、スクエアピアノを使った音楽動画を作成してほしい、というものでした。最初のアイデアは、コンサートの録音。ライブでの音楽祭が難しくなりましたものね。 主人が映画監督とシナリオ書きの経験があったことを覚えていてくれた、香港映画祭のダイレクター Karen Yeung さんが、撮影に関して、チーム作りと内容について夫のDaan Vreeに任せてくれました。 主人はクラシック音楽の世界には無縁ですが、子供の頃から常にクラシック(特にチェロの音楽)を聴いて育ち、普段の専門大学教師の仕事の合間に、この数年、幾つかの短編映画を撮影しています! https://vimeo.com/268741859(例えばこちら Hangul Blues『ハングル・ブルース』) 今回、香港の映画祭ということで、香港出身の二人の若い歌手(Edmond Chu, Kitty Lai)

ミュージアム・ナイト in アムステルダム

11月3日(土)は Museum N8 (Nacht – 夜)であった。 これは、アムステルダムの博物館(56館が参加)が夜7時から夜中の2時まで開き、様々な特別な催し物をやっている。毎年開かれ、一週間前にチケットは売り切れだったそう。 http://museumnacht.amsterdam 私はピアノラ博物館で、宣伝も兼ね、20分バージョンのマギーポディウム(9月13日のブログ参照)で2回参加させていただくことに。  マギーポディウム(facebook いいね👍ボタンお願いします♪) 初演での反省点、隅々まで気が行き届かなかったオランダ語のセリフを初演よりはコンパクト、かつ正しくしようと、息子の前で練習してみると、直されるわ。。。9歳ともなると、オランダ語もきちんとしてきているようで、息子の話す程度の言葉遣いと文章の長さが、子供向けに話すのにはちょうど良い感じであった。 いつも日本語を教えようと、躍起になっている母の真剣さはのれんに腕押し。その代わりちゃんと学校で勉強しているオランダ語は、母の適当な文法で渡り歩いてきたものとは違うきちんとした響きがあり、頼もしく思う。 ミュージアムナイトのピアノラ博物館のところを事前チェックすると、LGBTQ 推薦マークが! レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クィア の略です。(はい、勉強になりました) 実は本番3日前に、「drag queen のグループの方たちとコラボするのどう思う?すごく美しくて、クラシックの歌曲を歌うの。」という電話があり、「はあ?グループ名?彼らのリンクを送ってくれますか?」などと無知な返事をしたところであった。 (もし私のようにこの言葉を知らない方のために。。。簡単に言うと男性で女装の方) 結局、持ち時間も短いし、コラボするのにリハーサルする時間もないので、自分のプログラムだけ集中するということに。 当日。なんと美しい女装集団が、楽器の調律を終えた頃、続々と到着。 香水がんがんの匂いの中、着替えとお化粧に忙しく、実は胸は毛むくじゃらだったり、ゴツゴツの足にストッキングで超高いハイヒール。。。デーモン閣下顔負けというか、仮想舞踏会の仮面というか、美しい厚化粧。10人近いグループでバックステージが賑わっていた。 「ハ、ハロー。すごい綺麗!」と挨拶してみる。

ありがとうございました

つくばでのリサイタル、おかげさまで満席の温かいご声援をいただきました。 来てくださった皆様、お手伝いしてくださった方々に心より感謝いたします。 個人の所有とは驚きの、立派な建物。素晴らしい木目の柔らかな音響空間が、オリジナルのクリアーで華奢ででも豪華な音色を包んでくれました。 リハーサルでは残響の長さに、焦るも、不思議なことに1時間も弾いていると耳が馴染んできます。本番ではお客様が入り、ちょうど良い包まれ加減の残響となりました。 今回のプログラムは 『ロンドンのピアノ音楽』’Music intended to reach the heart’ 〜心に届く音楽〜 と題し、珍しいロンドンでのピアノ音楽に焦点を絞りました。 聴きやすい、親しみやすい音楽がたくさんあります。スコットランドや各地の民謡、ダンス音楽もとても流行っていました。「メロディー」が親しみやすいこと、誰もが知る民族音楽を取り入れたもの、その土地と生活の中にある音楽を基盤として作曲された音楽がコンサートで演奏され、人々が大小のコンサートライフを楽しむ姿が、1800年前後のロンドンにありました。 地元での演奏会だったので、高校時代の恩師や同級生、親戚にもたくさん来てもらうことができ、ん十年前のご縁が続くことが何よりも嬉しかったです。本当に楽しみに遠方から来てくださった方、ブログも見てますよ、と声かけてくださった方、CDも買ってくださった方々、熱心に耳を傾けてくださり、本当にありがとうございました! つくば山麓の懐かしいエネルギーをたくさん受け取りました。 広々とした関東平野の、まさにその中に立つ、素晴らしい空間でした。 今後とも精進してまいりたいと思います。 どうぞよろしくお願いいたします。  

新曲の初演

この2月頃にスタートした、デン・ハーグ音楽院作曲科の学生さん達とのコラボレーション。そこで教鞭を取る作曲家のマルタィン・パディング氏が学生さんに募集したところ、数名の興味のある人たちが来てくれた。 まずは数台の楽器のデモンストレーションと特徴を説明するセッションに始まり、2、3か月後から各自スケッチを試しにまたやってくる。 いろいろなプロセスを体験できてとても面白かった。 そして8月18日にヘールフィンクのフォルテピアノフェスティバル中に3曲初演。 10月6日にその3曲の他に、さらにもう一曲の初演をした。 大成功の試み! 古楽器が面白いコンセプトのもとに使われる。 楽しかった!!

マギーポディウム

今年は自分のインスピレーションを信じて、やりたいなあと心に思っていたことを少しずつでも実行に移してみようと、チャレンジしたことがいくつかあります。 「マギーポディウム」このプロジェクトは、子供や、普段クラシックコンサートに来られない、子育て中の大人、あまりクラシックコンサートなんて行かないけど、孫となら行こうかな、という幅広い層のお客様にフォルテピアノの音色を、何も知らなくても、楽しんでもらえるコンサートを、という目的でスタートしました。もちろん、クラシック通でも楽しめるよう、とっておきのお話も盛りだくさんです。 いつもフォルテピアノの演奏会を企画するにあたり、ネックになるのが楽器の運送費。そしてせっかく作ったプログラムをたった一度演奏して、また次のコンサートして、、と自分の準備期間が労力の見返りが感じられないままに、数だけこなしていくことへの疑問。 アムステルダム芸術財団AFK にこのプロジェクトへの支援を申請したところ、慌ただしいギリギリ準備の申請だったのにも関わらず、動機をとても好意的に受け入れてくださり、援助をいただけることに! さらにコッホ&ボス ギャラリー(http://www.kochxbos.nl/)デザインによる、素敵なポスターのおかげで、とてもラッキーなスタートを切ることができました。 初演は、6月30日と7月1日に行われ、子供向け公演が日曜日に2回、大人、中学生以上を対象に考えたお話と音楽の公演が土曜日夜、という企画でした。 両日大成功、、、と言えるか、、自分なりには80点をあげたいと思っています。お客様には温かく受け入れていただき、とても楽しかった、と子供達が言ってくれたこと、同伴の保護者の方も、クラシックはあまり普段聞かないけれど、来てよかったという感想をいただいたこと、たくさんの良いエネルギーをいただきました。 来年の2月23、24日に、アムステルダム中心地にあるフォンデル公演内の、フォンデル教会にて、6月8、9日にはピアノラ博物館での再演が決まっています。 今後ともよろしくお願いいたします!

チョップスティック オーケストラ

オランダのTheo Thijssenschool という小学校で、4年に一度アートのプロジェクトが開催される。企画は子供の親達!様々なワークショップが、参加するインストラクター(親達)に導かれ、子供達も好きなコースを選んで経験する。3月のお話です。 今年のテーマは「街!」。 マンホールの模様に絵の具をつけて、T−シャツにプリントする、街の中で子供達がストリートアーティストとして、銅像のように静止して立ち続ける、建築の構造を「夢の街」として作成する、音楽を自分たちで作る、子供の年齢に合わせ、ものすごい数のワークショップが開催される。 前回一度やり、体力も時間もきつくなってきたけど、でも最後の一回と思い、またやりました、チョップスティック・オーケストラ。 調律の趣味から、前回のテーマであった「廃棄物」利用の延長で、思いつきました。子供達の映像は載せませんが、数人で手分けして「チョップスティック」というメロディーをお箸で奏でる、というもの。。。 最後の発表会では拍手をいただきました。 参加してくれた子供達、ありがとう! 私のポイントは子供の年齢、音楽センスなど毎年どのくらい、できる、できない、を見計らうこと、時間内になんとかすること!!! 大小様々な空き瓶を前に、調律して音を探す事前準備が楽しいような、虚しいような、ピアノの練習本当はしたいよ、、と思いながらも、でも何かを皆で成し遂げることは、やはり達成感があり、やってよかった!!    

エラールのピアノが来た

また巡り合わせというのか、素晴らしいエラールのグランドピアノ(1915年製)が私のスタジオに1年間来ることになった。 なんと美しい木目、タッチもなんとも言えないヒストリカルなピアノの感覚。 もっとモダンピアノの音色を想像していたが、低音もアーティキュレーションが聞きやすい、ピュアな音色。弦もハンマーヘッドもオリジナル。 チェンバロ製作家として知られる、ヨープ・クリンクハマー氏がここ数年フォルテピアノ、特にエラールにはまり、何台か修復の監督を手がけた。 コンサートも企画されたが、結局今は場所もとるので、売りに出すことも考えていたようだ。 売れるまで、とりあえずどこかに置かせてもらいたいということだったので、お話してみたら、トントン拍子で話がすすみ、 スペースのある私のスタジオに。 そのお話を聞いたのも、ひょんなことからで、そのご縁をもたらしてくれた方にも感謝。   私にとって、オランダで身近に置けるはじめてのグランドピアノ。 (シュタインモデルの18世紀レプリカの楽器をそう呼ぶ気がしないので) ピアノの先生としても、普通の小さいピアノしかなかったので本当にありがたい。 私だけでなく、生徒さんにとっても恩恵が受けられ、子供達もグランドピアノの音色とその目前から香り立つ豊かな音色に、大きなインパクトを受けているように見える。 なんたって、グランドピアノ。 ヒストリカルな平行弦最後の時代のエラール。 たくさん練習したい!  

恒例のスクールクリスマス・ディナー

もうすぐ冬休み。 オランダではクリスマス前の週末から2週間がいつもの冬休みである。 そしてその週末に入る前の木曜日の夕方! オランダ中(?)少なくともアムステルダム中の小・中学校では夕方5時頃に学校でクリスマス・ディナーがある。 うちの子供達の学校の場合は、昼12時頃にいつもより早く学校が終了し、一度家に戻り、小綺麗な格好に着替えて、夕方親が持ち寄りのパーティ料理やケーキを持って、再度学校に。   いつも木曜日はピアノのレッスンをしていたのだが、毎年この日はどの小学校の子もこの行事があり、レッスン時間帯に着替えたり、親も料理作ったりすることになり忙しいため、キャンセルが相次いだ。いっそのこと、今年からホリデー前の木曜日はレッスンをするのをやめることにした。 夏休み前の木曜日もそうしよう。。。何せ、もう誰もクリスマス支度とホリデーの浮かれ気分でピアノどころではない。さらに親もその日ばたばた。おかげさまで今年は気分もすっきり、前の週に木曜日の最後のレッスンを締めくくり、自分もはじめてゆっくりと子供のためにお寿司を作って持って行った。 もちろん仕事をしているお母さんもたくさんいて、働いている人にとっては、最後の忙しい週に12時に子供を迎えに来て、といわれることがなんとストレスになることだろう。   普段は木曜日に学童保育に申し込んでいるので、うちの子達の場合も12時から早めの学童保育へ。4時頃迎えに行って、着替えさせ、学校に連れていった。学童保育(BSO  Buiten schoolse opvang) は学校の予定にあわせて、臨機応変に夕方までは見てくれるのでありがたい。レッスンをキャンセルしてなかった時は、学童保育の先生に学校のディナーに連れていってもらったことも。それも可能。   そして私はぎりぎりセーフでジュースを持っていくだけとか、何も持って行かないことに、、、という余裕のない年ばかりであった。子供達の服装はまったくの普段着とか、、、朝からディナー用にびしっと決めることもできなくて、気がまわらなかった。   さて、このディナーは4歳児からある。4、5歳のクラスでは2、3人の親が食事のサーブのお手伝いに来るが、7歳以降ぐらいからは子供達と先生のみ。 8、9歳の息子のクラスになると、女のこはメークもしてきたり、まじでドレス、男の子もスーツにネクタイ、蝶ネクタイの子もいて、これがオランダの将来のマナーを教える機会なんだなあ、と思う。 家の子はネクタイなんかいやー、スーツなんかいやー、「普通」がいい、というので、私もまだ子供だし、学校だし、と適当に考えているので新しいブラウスに、初めてズボンのベルトを着けさせてみた。ベルトだって、初めてすると十分きちんとしてる!   この機会にクラスから先生への日頃の感謝をこめて、プレゼントを送ったり、クラスの中で何人か楽器を演奏したり、芸を披露する子もいる。   ボランティアの親が、クラスの飾り付けを午後中にしている。

ポールマンで現代曲

今日は、Pohlman というイギリスの18世紀のスクエアピアノで、この10月にスクエアピアノのために作曲してくれたオランダ人、Bastiaan Egberts氏の曲を録音した。   結局は静けさが保てそう、と賭けたこの部屋で。まるで物置。。。 マイク2本で、作曲した方が自ら録音してくださり、そのうちYouTubeにアップする予定でございます。 調律もしたし、今年最後の神経を使うお仕事だったので、終わった後は、気晴らしに久しぶりに街へショッピングに出かける。   あさって木曜日は、オランダ中の小中学校でクリスマス・ディナーがある。 昼頃学校終了し、夕方またディナーに学校に出かける。 その時に子供のうちから、きちんと晴れ着で参加。 食事は親が持ち寄る。飾り付けも親。そのための子供の洋服を見に行った。 街はクリスマスのイルミネーションと、プレゼントを買う人々で賑わっている。 今年もいよいよ終わりに近づいている。    

マスタークラス

先日はまたレッスンの機会をいただいた。 おなじみのザーンダイクのオランダ製スクエアピアノ。 1830年製で、タッチにはコツがいる楽器。   ここは有名な観光地のザーンセ・スハンスの対岸にあり、オランダの絵のような緑のかわいいお家がザーン川沿いに立ち並ぶ、まさにミニチュアオランダ村のセットにいるような景色。でも実物!今回は電車が止まっていたので、バスに40分揺られてザーンセ・スハンスまで行き、観光客のために作られた風車と、古い緑の木造住宅などを建てたテーマパークの中を子供達を連れて通りぬけ、対岸のホーニヒ・ブレート・ハウスへそこから徒歩10分。   ホーニヒ・ブレート・ハウス(Honig Breethuis) のあるLagedijk 通りで12月17日の週末に音楽のお祭りがあった。 通りのお家で、家に(グランド)ピアノがあったり、開放してコンサートに提供できるいくつもの家があり、そこで地元の音楽家がハウスコンサートをしている。オランダ名物の冬のお菓子などの出店も出て、雰囲気も素敵だった。 そこで、ホーニヒ・ブレート・ハウスにある楽器を、地元の若い才能のある音楽家に演奏させてみよう、というアイデアが出て、このフォルテピアノの持ち主が、やたらと古い楽器の取り扱いを知らないピアニストに弾かせたくない、と話が進まなかったそうだ。そこで「カオル、レッスンしてやってくれないか」という話に。私が判断してオーケーが出た人にだけ、弾かせる、という厚い信頼を受け、地元音楽教室に通う、優秀な10代の子達と大人のピアニストの3人の演奏を聞かせてもらいにいくことになる。2度のレッスンでフォルテピアノへの導入と、ちょっとしたコツをアドバイスしながら、少しでも慣れることができるように、弾くのを見守る感じ。   うーん、また楽しくて嬉しかった。 16歳の女の子はチェロを弾く妹さんとブラームスのチェロソナタ ホ短調の1楽章を。 16歳でこのブラームスを妹さんと弾いている、素敵な姉妹!最低音のホ音が足りなくて、まずあせる、、、よね。さらにロマンティックに大きく表現豊かに弾いている妹さんとのバランスを取るのが難しい、、、、よね。作品よりも30年も古いピアノなのだから。 もう一人は12歳の男の子。同じくらいの歳の女の子のバイオリニストとシューベルトのソナタの1番、ニ長調1楽章。これはピアノとレパートリーがばっちり合う。ペダルの使い方、モダンピアノと大きく違うなあ、と実感。 彼はモーツァルトのソナタも弾く。楽器に刺激されたらしく、ドビュッシーやリストやいろんな曲を試してみていた。若い世代の柔らかな感性、吸収力はすばらしくて、とても楽しかったようだ。   普段18人ぐらいの生徒さんを持っているが、初心者から18歳ぐらいまであとは大人が3人なのだが、選抜クラスにいるような10代の子供達にレッスンするというのは、とてもやりがいのある機会であった。素直に私のいうことに耳を傾けてくれるひた向きな目に、きゅんとしてしまう。。。 ご両親もまた熱心で、温かく見守る姿にこれまでのサポートがあってこそ、こんな若い音楽家が育つんだなあとなぜか親心にも共鳴してしまう。 このチャンスが本当によかった、と私も生徒さんも、ご両親も、博物館の方達も、そして楽器の持ち主も、みんな幸せな気分になったフェスティバルとなった。 フォルテピアノを通してのご縁、ありがとう。  

「冬の旅」への旅

シューベルト歌曲集「冬の旅」。 11月19日のシューベルトの220年の命日に自分の「冬の旅」デビューを果たした。 「冬の旅」の旅の第一歩を踏み出すことができたのも、いろいろなご縁とお声をかけてくださった方のお陰である。共演のGuy さんより、以前この本をプレゼントにいただいた。   普段英語の本を読み切る能力は???なのに、がんばってこれは読もうと張り切った。言葉も調べて読んでいるつもりだが、やはり自然科学や歴史、絵画、様々な分野の教養、知識、専門用語が多く、そう簡単に進まない。内容の濃さと興味で、読みたい気持ちはあるのだが、英語力がついていかない。。(汗)   そしてこの8月に東京のヤマハで日本語訳を発見! 今年の2月に日本で初版が出たばかりで、1年半眺めた英語版に見切りをつけ、即購入!   そしてなんとかコンサートの前までに読み、今後も繰り返し目を通そうと思う本である。 リート伴奏で大事なのはやはり、ドイツ語の意味の把握、音楽と言葉の抑揚の一体感を感じることなので、本を読むことが目的ではないのだが、でもボストリッジの演奏家としての経験と観察力から書かれる冬の旅の分析は、とても興味深く、彼の教養の幅広さと鋭さ、繊細さにはもうほれっぱなし。彼の演奏も本当に心に浸みいる。エモーションがダイレクトに伝わってきて、長年愛聴していたフィシャー=ディースカウとはまた違う新鮮な良さがある。 オランダのスクエアピアノ、1830年頃の楽器で、親密さと「スピーク」できる感覚がたまらなく、お客様にもとても喜んでいただくことができた。 リート伴奏は楽しい!24曲の構成、フォルテピアノでの演奏、テンポ構成、伴奏法、詩の意味、様々な観点から興味の尽きない作品である。Guyさんとの共演も続けていきたいが、一生のうちには両手指くらいのたくさんの歌手の方と「冬の旅」を勉強して、様々な声域でも機会があったら演奏してみたいなあ、と密かな目標を持っている。  

犬のお散歩サービス

  これはいつかアップしたいと思っていた話題。 アムステルダムの街の中で、時々見かける光景で、おじさんが7、8匹のワンちゃんを一度に連れて歩いている。 たくさん犬を飼っている人がいるんだなあ、と前は思っていたがこれは実は犬のお散歩サービスの立派なお仕事だそうだ。 犬のお散歩も、毎日は大変。 お店を持っている知人が言うには、たまにお店や仕事がすごく忙しい時には、こういうサービスを利用するそう。。 知らない犬同士でも、慣れたおじさんの手で楽しく、グループお散歩中なんだろうな。  

お城でのコンサート

先週の昇天祭月曜日には、ユトレヒト近郊のルーナースロートというこじんまりしたお城で、年に一度のオープンデーに毎時間コンサート、というイベントで演奏させていただく機会をいただいた。 歴史的なお城の中での歴史的なテーブルピアノの演奏という、セッティングで雰囲気からすでに素敵。   お城は13世紀に建てられ、1985年に手放されるまで、そのご家族のお宅として使われていた。最後に住まわれた男爵夫人は離婚後、長年一人暮らしだったそう。一人で住むにはすごく大きい!!逸話によると、オイルヒーターの暖房がまだ完備でない頃、夫人は家の中で部屋から部屋へと自転車を乗り回していたそうだ。 オランダっぽい。。   15分のミニコンサートということもあり、子供連れも誘いやすく、来やすく早くも予約で一杯。 約60席の天井高めの壁画のあるお部屋に、絵のように治まったブロードウッドのテーブルピアノ(1829年製) 。 ・・・と偶然の「ディズニー白雪姫」色スカート。(笑)   1時間おきに計6回弾き、360人ほどのお客様にブロードウッドの現役な音色を聞いていただくことができた。プログラムはシューベルトの即興曲から一曲は毎回、(3つのプログラムを用意)他にベートーヴェンのバガテルや、エリーゼのために、楽興の時3番など親しみやすい曲に。   子供達、おじいちゃん、おばあちゃん、お友達、生徒さん一家、知り合いの方達も来てくださり、喜んでいただいて、幸せな気持ちになった。幅広い層の方にフォルテピアノの音色を聞いていただけたことが何よりもの喜び。15分で3−5曲というのは、初めて見る、聴く音色には十分な時間である。 普段のコンサートについて考えさせられた。 クラシックって、本当に馴染みやすいのだろうか。敷居の高いプログラム、になっていないだろうか。場合によってプログラムの内容はとても大事。 今回のような場所で、フォルテピアノをたくさんの幅広い層の方に聞いていただけた、ということが自分の幸せ感につながっているのでは、と思う。もっとたくさんの方に素敵なヒストリカルピアノの音色を聞いてもらいたい。。。そういう使命感が達成されたのかもしれない。     お天気も最高で、広いお庭ではお城見学の後、皆が外で遊んだりお散歩を楽しめる。     使われていた食器も展示してあったが、オランダの1790年頃のこの地方のもので一枚数十万円の価値とか。ナチュラルな染料の色で、かわいらしい。    

新しい流行 スピンナー

「ママー あれ買って〜」 とある水曜日のお迎え時に8歳の息子にせがまれる。 「何、あれ?」 「New rage, spinner!」 オランダでもかっこいい英語ぐらいは子供でも使う。 要するに今一番新しい流行。 そのモノは、二日まえ月曜日の夜6時半からのピアノのレッスン中に9歳の男の子が手にしているのを見たのが初めて。「何、それ?」というと、かっこ良く指に挟んで回してくれた。 私の息子への返事は、 「今週宿題もちゃんとやって、ちゃんとできたら、来週買うかどうか考えるよ」   そして木曜日。 この日のお迎えは主人。 夜レッスン後帰宅すると、「スピンナーを探して3件もまわったんだけど、どこも売り切れだよ」 私と意見が違うじゃん。すぐに買ってあげようとするし。。。 「だって持ってないと、かわいそうだから」 「それに、結構ナイスなモノだし」 !!!   そして金曜日。 家に二つあるのを発見。 いくつか店をあたったらしい。 一つは息子に,もう一つは4歳の娘にも。

ある日のピアノの苦労

普段あまり、文句はいいたくない(と心がけているつもり)方なのだが、今回はあまりにも逆上して、でも抑えて、こらえて、何事もなかったかのようにコンサートを終わらせようと努力したけれど、でも後味もずっと残っている、、、ことがある。 ある大切なプライベートのパーティにピアノトリオで呼んでいただき、リクエストでメンデルスゾーンの一番を弾くことになった。 結果的には、大成功で本当に皆さんに喜んでいただけた。   問題は、、、そのベヒシュタインのグランドピアノを会場にレンタルしてくれたピアノ屋さん。調律とオーバーホールも手がけるらしい。モダンピアノを弾き慣れていないので、重いピアノだったらメンデルスゾーンの早いパッセージなんて弾けない。そのため、数週間前に一度試弾に行った。すごーく、狂っている。一年以上調律してない&弾いてない感じ。話によると、最近弦を全て新しくしたから、とのこと。もうすぐのコンサートまでに、安定するのだろうか?! 「2週間後にもう一度来たいので、それまでに調律していただけますか?あとイントネーションの違うこの変を少しそろえてもらえませんか?」と一応丁寧にお願いする。   2週間後。何にもしていない。。。。 パーティを企画するKちゃんに、(お金を払う)お父様には内緒にしてね、と2回目にもピアノが変わってない状態を話したら、逆上して、別のピアノ知ってるから、試弾してきて、と。それも試弾にいく。たまたま夜の10時に、、、、その時にしかもうできないというので。。。偶然近い場所だったのでそれはできた。 それはヤマハのG3で、調律はずっと良く、タッチもずっと揃っていたが、音色の面白みに欠けると思ってしまった。音色はベヒシュタインのほうがよかった。もしあのピアノが当日までに調律されるなら、、、それに賭けたい、と思った。それにそのヤマハのほうがレンタル料が高く、お金を出す方に急な変更を知らせるのも、気がひけた。ベヒで行く!と意気込んで、必ず調律をするようお願いすることに。   彼の理由1。「レンタル料に、事前調律は含まれていません」 (なに〜〜〜) これがわかったのが、コンサート3日前。   Kちゃんが調律一回分を追加で払うことを彼に話して、合計3回の調律を当日までにすることを約束。 彼は「コンサートでは、全ての音がちゃんと並んでいることを約束する」と私にも話した同じ言葉を断言。   前日練習、、、、今も狂ったまんま。 彼の理由2。弦を張り替えたばかり。ーーー>それも1年前ということがわかる。それから調律してないってこと?? さらに付け加えると、事前に練習に来た私に、ちょっと当惑気味。あまりウェルカムな雰囲気ではなかった。モダンピアノで事前に見に来る人って、いないものなのだろうか?   ヴァイオリンとチェロの二人も話の過程で心配になって当日到着。 ベースのオクターブでさえびゅーんとうなるのを聞いて、みな静かに逆上。。。 Kちゃんは彼と裏で話に行く。

マスタークラス終了

先日のマスタークラスはとても楽しく、学びの多い時間でした。 4人の生徒さんが私のレッスンを受講してくれました。 二人はドイツで初期鍵盤楽器を勉強中の学生さんで、コンクールを受けに来た方。あとひとりはオランダ在住のピアノの先生と、15歳のオランダ人の男の子。 ほぼ皆、Zumpe のスクエアピアノを体験し、一緒に解釈や奏法を試し、その楽器にあう演奏を模索しました。この楽器はグランド型よりどちらかというとクラヴィコードに似ています。 何が似ているかというと、強弱感のリミットがあること、タッチが弦を押す,という部分は似ているが、シングルアクションのスクエアピアノではとてもハンマーが振られてたたいているような感覚までは満たないこと。アーティキュレーションが大事なこと、などなど。   ほとんど皆さんがこの楽器、またはオリジナルのウィーン式ピアノZahlerでハイドンの作品を演奏され、他にはデュセックやクーラウの作品があがりました。 この楽器、楽しい!と思ってくださった生徒さんがほとんどでしたが、普段どこで練習できるの?という質問には「うーん」となってしまいます。弾ける状態の楽器があるだけで、貴重ですよね。 ましてやコレクターでない限り、家にこの時代の楽器がある学生さんもいません。クラヴィコードやフォルテピアノ、チェンバロの経験はこの楽器を弾くのに役立ちますが、でもこうして滞在期間中の練習とレッスン,という少ない機会でもそれを体験することによって、インスピレーションを得られることでしょう! 自分はなんて贅沢な環境にいるのだ、と思います。   私にとっては3度目のマスタークラス体験でしたが、(前にユトレヒトとフィンランドのクオピオで何人かフォルテピアノやチェンバロのレッスンしました。)さらに良い指導ができるよう、精進したいと思います。時間が限られ、一期一会でも音楽を共有して、クリエイティブな刺激を与え,与えられることが楽しいです。   また来年も予定していますので、日本からもどうぞご参加ください。

フォルテピアノのマスタークラス

この10月に自分がマスタークラスで教えるという機会をいただいた。 実はこのフェスティバルでマスタークラスの講師となるのは、オフィシャルには3年目。 でもマスタークラスって自分で生徒さん,連れてくるらしい。(人気の先生はそんな必要はないだろうけれど) だから今年は少し自分でフェースブックや、知人の先生グループに宣伝をしてみた。 フライアーこんな感じで。 この夏、スウェーリンクコレクションのスペースにいくつかのフォルテピアノが増えていることに気づく。そしてよく見ると、1769年製のツンペのテーブルピアノが。 (Zumpe et Buntebart, London 1769 G – f3)   これはイギリスのフィンチコックス博物館に Richard & Katrina Burnett コレクションとしてあったツンペであった。10年ほど前にクレメンティ賞の受賞で訪れた際に、「これがヨハン・クリスチャン・バッハがリサイタルをした当時の楽器!」とそのスペシャルな、決して力強くはないが歴史の重みのある深い、柔らかい、そして細くはないイギリスっぽい音色に酔いしれ、いつかまた弾きにこれたらなあ、と夢に思っていた。その楽器がこちらにやってきた。 昨年フィンチコックスが閉館し、たくさんの楽器がオークションにかけられたが、Geelvinck Museum のオーナーがそこで購入したようだ。 1760年代のツンペで弾ける状態の楽器は、世界中に何台あるのだろうか。

SOUNDS

フォルテピアノの五重奏団。 思えば結成は2013年。 半年のブランクのあと、この5月15日にはなんと一日で二つのコンサート。 一日2回のシューベルト「ます」はかなりヘビーだった。。。 ひとつめは、ドイツ国境近くのある街のシアターで、ライトアップもかっこよくこんな感じ。 そう知名度があるとも思えない私たちのアンサンブルのチケットを買ってくれる方はいるのだろうか、、、と心配しながらホールのマネージャーに「チケット予約ありましたか?」と尋ねると「いい質問だ、ちょっと聞いてくるよ」とどこかへ。そしてピースサインをして戻ってくるので、2枚ってことかな、、、と思うと200人! 宣伝の効果か、ありがたいことにたくさんのお客様に私たちのオリジナル楽器での「ます」を聞いていただくことができた。 5人の女性グループとして自分たちの音楽を探しながら、いつくかのコンサートを共にしてきた。 弦の4人は古楽オケなどで世界をかけまわって活躍している、経験豊富なメンバーだが、でも五重奏のコンサートはそうそうあるわけでもなく、残念ながらマネージャーもなし。 やっとラッキーなことに入って来たこの2回公演は、大成功で5人の結束もびゅーんと強くなったような一日だった。 前半のプログラムは他に、Albrechtsberger の弦楽四重奏。「ます」編成の4人の弦楽奏者でできる作品。アルブレヒツベルガーはベートーヴェンの作曲の先生として知られている。バロックから古典にかかる時代を象徴するような要素たっぷりの、4楽章の美しい曲で、最初の緩徐楽章のあと、2楽章目はフーガ、3楽章はメヌエット、最後は軽快なスケルツァンド。 そしてモーツァルトのトルコ行進曲。今回ははじめて、テーマが戻るところに装飾や、デコレーション(ロバート・レヴィン氏の言葉)実験的にたくさんいれてみる。 モーツァルト的スタイルの中でする装飾のこと、もっと研究を重ねてみたい。 前半の最後は2014年にSOUNDS のために、オランダの若手作曲家、Hugo Bouma氏が作曲してくれた ‘andere vissen’(他の魚達)。この曲は「ます」とコンビで演奏会に取り上げられることを想定して作られており、8つの魚に関連した内容からなる。さらに、5つのペダルを持つウィーン式ピアノのために作曲されているので、ファゴット、打楽器、モデラート、ウナ・コルダ、ダンパーとすべてのペダルが効果的に大活躍する、とても面白い作品。 今回の「ます」のためにフォルテピアノを提供してくれたのは、Theo Kobald氏。 非常に細かいところまで完璧に作られていると感じるような、美しい楽器である。(2014年作、ウィーンのFritz 1813 のレプリカ)  

モーツァルトプログラム

自分にしては実はオールモーツァルト、というプログラムを演奏したソロリサイタルは初めてであった。 今年の1月に2カ所でこのプログラムを演奏した。 モーツァルトの幼少時代から晩年の作品までのなかからいくつかを選んで、「モーツァルトー人生の旅路」と題して彼の音楽とその頃の出来事をお話したりしながらすすめた。 2014年に自筆の断片が発見された、有名なイ長調のソナタK.331(トルコ行進曲つき」)もプログラムに。 自分が子どもの頃から親しんでいる作品で、それもモーツァルトは死後200年以上経っているものがなぜ今更、音が違うことがあるのだろうか? こんなセンセーショナルな出来事はそうそうない。 ブダペストの国立図書館で、無記名の自筆譜の山を丁寧に調べていたある音楽学者が、そのうちのひとつがモーツァルトのよく知られた音楽であることに気づく。 ソナタの中の一部の発見であったので、トルコ行進曲の楽章には音の変更はなかったが、1、2楽章においては数カ所、その新しい版に従った。 モーツァルトのK.331 メヌエット楽章 最新のヘンレー版より   こちらから自筆譜をダウンロードできる。(なんという時代!)この貴重な版をすぐにシェアできるようにしてくれて感謝。 http://mozart.oszk.hu/index_en.html   今回のプログラムは Kv.397, 540, 355, 310, 25, 331 メッペル市の会場はアムステルダム周辺の自分のお客様が来てくれるにはちょっと遠いので集客を心配していたが、モーツァルトのお陰か、このソナタの話題のお陰か、なんと満席に。そして思いがけず嬉しい新聞批評(4つ☆)をいただいた。(訳さなきゃ!!!)   さらに、オーガナイザーのサポートのお陰でこんな映像を作成してくださった。話べたで使えるところが少なくて。。。さらに英語もひどくて、演奏会前で余裕もなくて、と言い訳ばかりだけれどでも綺麗に撮影してくださった、Salomon

「ワーテルローの戦い」プログラム

2015年は、ナポレオンがワーテルローの戦いで負けてから200年の年であった。その戦いにちなんだ音楽を探してみると、思いの外たくさんあり、当時の聴衆が娯楽として音楽を楽しんだ様子が思い浮かぶ。 オランダの作曲家ウィルムス(Johann Wilhelm Wilms) は『ワーテルローの戦いーピアノのためのある歴史の音楽的絵画』という作品はまさにタイトルそのまま、戦争開始の様子から戦い、その後のお祭りの音楽までが、ナレーションの言葉が添えられて描かれている。 7月には日本でも池袋の明日館にて 「東日本大震災復興支援コンサート 」として 梅岡楽器さんとのコラボレーションによって、このプログラムのソロ版を演奏させてもらうことができた。 オランダでは、俳優で歌手であるGuy Sonnen氏とのデュオ版や、ピアノトリオ ベルフォンティスとGuyさんとの4人でのバージョンなど、数回公演した。 各地で大好評をいただき、たくさんのお客様に楽しんでもらうことができた。エンターテイメント的要素の強いプログラムだった。日本でのソロ版はGuyさんのナポレオン姿をご披露できなくて残念だったが、あるお城でのコンサートの写真はこちら。(ピアノはブロードウッド1840年製)   こちらはHet Jagthuisというアムステルダムより郊外にある街の昔農家で,牛舎小屋を改造して作った演奏会場、の楽屋にて。 Guyさんはかつて、日本の「オランダ村」で今も(?)上映されるための映画「将軍からの贈り物」に主演するため来日したことがあり、日本大好きな俳優さん。   Kasteel Heeswijk  

オランダの小学校一年生!

息子がこの9月からグループ3、日本でいう、一年生になった。 グループ1、2は幼稚園のような感覚の内容だが、小学校と同じ校舎内にありそのまま3に延長していくようなシステム。 グループ3からが学習の始まり。 アルファベットを毎日一つ以上、週に2、3ぐらいのスピードで学び、それぞれの筆記体で書く練習をしている。さらに母音が含まれた単語例をたくさん発音させ、学ばせている。 例えば’ i ‘ を習うとis, vis, mis, sis. オランダ語の長母音、aa を学びそれが含まれた単語で練習。 aar, vaar, maar, saar, vaas… あとは数字に慣れるための問題と、足し算をわかりやすく学んでいるところ。 ときどき工作の時間もあり、体育は週に2回。 週に一度かそれ以下の頻度で担任の先生と歌も歌うようだ。ただ音楽は年間を通して、定期的に外からのスタッフが来て、歌を中心にやるプロジェクトもあり、子どもの行く学校の場合はMuziekgebouw aan ’t IJ でのコンサートで締めくくる。

ピアノの発表会で思うこと

この2、3年は約1年に一度のペースで生徒の発表会を企画して来た。 生徒がこういう場を通して、他の人の演奏を聴き、いつもと違う環境で人前で弾く、ということで成長する姿を見るのがとても嬉しい。 続けている生徒さん達は一回ごとに、ものすごく前進している。 先週の日曜日に行い、今回は12名の出演。大人の女性の生徒さんが彼女のパートナーでもあり、プロの俳優さん&歌手であるGuy Sonnen氏とソプラノ&バスバリトンでデュエットを2曲披露して花を添えてくれた! メンデルスゾーンとシューマンの二重唱作品。 彼女はピアノだけでなく、歌も習い、写真家でもある多趣味な生徒さんである。 そして、締めはGuyさんのソロ、シューマンの『二人の擲弾兵』を動きを交えて歌ってくださり、圧巻。 自分もできるだけちょこっとソロで弾くことにしている。 子ども達にもできるかぎり暗譜でやらせるため、この日ばかりは普段フォルテピアノで「楽譜を置いたままでよい。暗譜の習慣は18世紀にはなかった」などのフォルテピアノ式ではなく、ちゃんと示しをつけるため、暗譜ですることにしている。 今回はショパンのポロネーズ第1番。 むかーし勉強したことがあったのは、大きな貯金となってこういうときにすごく助かる。経験の貯金が多ければ多いほど助かるということも実社会では実感。 音楽に限らず。。。 学生時代、その前に勉強した曲というのは、勉強して暗譜してお蔵入り、というものがほとんどだが、また弾こう、と月日が経って改めて引き出しをあけてみると「ああ、こんな曲もやっていた」「当時こんなことあったな」とか「いくら注意されてもわかってなかった」「この曲は苦労したなあ」「子どもの頃この曲大好きだった」などなど様々な思い出が蘇ってくる。 年をとるにつれて、当時わからなかったことがいつのまにかわかるようになっていたり、できなかったことが、すっとできたりする瞬間の嬉しさ。弾く機会があると、自分も成長できるから、ちょこちょことやって来たことが積み重なると、その経験は確かに自分の糧となっている。昔よりも「わかる」「できる」ことが過去にやった作品を改めて弾くことにより見える。ピアノ続けていてよかったなあ、としみじみと思う。続けていないと、見えてこない。 演奏会に来てくださるお客様はいつも一人の人をずっと追って成長を感じてくれるとは限らない。そういう方ももちろんいて、とても励まされる。変わりつつある部分といつまでも変わらない部分をどちらも感じてくださるだろう。 でも基本的には一期一会と思ってやっている。その時、その成長過程で聴いてくださった方。再会できるかもしれないし、一度きりの瞬間を音楽を通してその日その場で共にした方。 オーボエのアルフレード・ベルナルディーニ氏にかつて言われた言葉が忘れられない。「いつも何千回のうちの一回、と思えばいい」と。もしも満足のいく演奏ができなくても、それができても、たったの一回の出来事。その一回に左右されすぎてあきらめたり、いつまでもくよくよしていてもしょうがない。「完璧」は存在しない、ということ。少し傷があっても、100%に満たないことの積み重ねでも、それは積み重ねられているのだ。 傷モノと思っても、耐久性のほうが、大事ということか。 そう、、、生徒さんにも長く続けてもらいたいな、と思う。 趣味でいい、いつか大人になって同じ楽譜を開いたときにきらめく何かがあとになって、でてくるから☆

新しいスタジオ

本当にブログ書くのが久しぶりになってしまった。 日本から「ブログ楽しみにしていますよ」と何度か言われたことがあり、あああ、なんと怠け者の自分、と反省するのだが、なかなか書けなくて申し訳ない。。。 4月から自分が学生時代、ハーグからアムステルダムに引っ越しをした時点より長年使っていた部屋を出て、新しいスタジオに移ることになった。1999年10月頃から15年は居た場所で、その間に学生を卒業し、フリーランスのヴィザを申請してこちらで仕事を始めたり、今の旦那と出会ったり、子どもが生まれたりといろいろなことがあった。子どもが生まれてからの数年間は旦那の家に家族と住み、スタジオとして使用していた。 新しいスタジオはゼーマンスハウスといって、前よりももっと良い環境で満足している。 この建物は昔は船乗りの学校であったところで大きな学校のような建物の中の元教室を今はオフィスや音楽家のスタジオとして貸し出している。、 建物入ってすぐにある、ステンドグラスに引っ越しが決まったころわくわくした。 HSM と赤で見えるのは- Hollandsche Stoomboot Maatschappij (オランダ蒸気船会社)の略。 JCJLと上にあるのは、その上にもっと小さく書いてあるが、Java – China – Japan Lineの略。 日本にも行った船をこの会社が作っていたようだ。 そのための船乗りをここで養成していたのだろう。 建物の中にはゆかりある写真がかかっていてノスタルジックな雰囲気に溢れている。 住んでいるところはアムステルダムの西、西教会からそう遠くなく、ゼーマンスハウスは思いっきり東で、東教会のちかくである。まさに毎日のように東奔西走する。。。セントラルステーションの駅前通りを、思いっきりダッチな子ども二人乗せられる自転車で西から東へ、そして東から西へ帰る。 東へ向かう途中、スタジオ近くにこんな看板も見つけた。 これは西ーアフリカ方面行きの船の関係ある部門の建物だったのだろうか。 「船の博物館」も近くにあり、オランダの世界に開いた海の入り口にいるような場所である。

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ生誕300年

今年はバッハの息子達の中でも最も才能があったと思われるカール・フィリップ・エマヌエル・バッハの生誕300年にあたる。 6月に小さな会場でそれにちなんだリサイタルを開いた。 タイトルは’ Bach & Bach’ . バッハが好き、という音楽愛好家は多いがほとんどがヨハン・セバスチァン・バッハの父のほうを指すだろう。やはりカール・フィリップだけではお客さんが来てくれそうにもない。だから父と息子の音楽を比べて聴ける企画にした。 フォルテピアノで主にカール・フィリップ、17世紀イギリスモデルのスピネットで父バッハを演奏。 プログラムはカール・フィリップの「識者と愛好家のための曲集」よりロンドやソナタ2曲、そして「フォリアの主題による変奏曲」、「幻想曲ーカール・フィリップ・エマヌエル・バッハの心情」。 父バッハはフランス組曲の第5番よりアルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグ、インベンションとシンフォニアよりニ短調、ニ長調、ヘ長調、ヘ短調を並べて演奏した。 カール・フィリップはオリジナルのZahlerというチェコのフォルテピアノ(5オクターブ半)が繊細な心情を表すのに頼もしい私の相棒となってくれた。強弱の差が出せるフォルテピアノとチェンバロのひとまわりヴォリュームの小さいようなスピネットと比べる場合、どんな競争になるかと思いきや、どちらの良さも返って引き立ったようで、どちらもよかったという感想をたくさんいただいた。 音楽としては、カール・フィリップの方が良い作曲家、聴いていて面白いね、という意見も。。。 どちらにも同じタイトルの作品を選ぼうと最初は考えがあったのだが、それが面白いことにほとんどないことがわかった。まさに父の音楽の趣味に反抗していたのだろうか?! カール・フィリップには組曲、「プレリュード&フーガ」の組み合わせもほとんどないし、カール・フィリップに多い「ロンド」、「ソナタ」は父バッハにほとんどない。(ヴァイオリンのソナタは有名)父バッハは「ファンタジー」と名のつくものは意外と少なく、オルガン曲に少しあるのと、有名な「半音階的ファンタジーとフーガ」などである。スピネットでその曲を試しに練習していたが、今ひとつ迫力に欠ける。 スピネットは豊かな音色が出るが、やはりボディーが小さいため、2段鍵盤のチェンバロにはかなわない。私は常々、それぞれの楽器には「サイズ」があると思っている。 サイズの合わない洋服を着るとその人の良さが出ないのと同じく、作品のサイズと楽器のサイズもマッチしないと、しっくりこない。今回「半音階的ファンタジーとフーガ」をスピネットで演奏したら、スピネットって物足りない楽器だね、この曲って今ひとつな曲? という楽器にも曲にも残念な感想が出かねないのだ。 インヴェンションとシンフォニア、聴きやすく声部の少ないフランス組曲はとても良く楽器が鳴ってくれたと思っている。曲がシンプルで音が少なくても、作曲家の素晴らしさはそのままである。ヘ短調のシンフォニアのなんと深みのある内容。   この日のコンサートの落ちは、ちょうどサッカーのワールドカップでオランダが試合する日で、ちょうどコンサートの時間と同じ!控え室の窓から見えるアムステルダムの通りのカフェはオレンジ色でいっぱいで皆、大きな画面を見ている。 サッカーだから来ないというお客様はもちろんいた。(生徒さんの家族一家も:)) 来てくれた音楽好きのお客様達には楽しんでいただけたようで、良いコンサートとなった。会場のピアノラ博物館のバーでは、コンサートの終了後、壁にかかった古い大きなオルゴールを当時のコインを入れてまわしてくれた。とても豊かな響きをワインとともに最後まで残っていたお客様数人と堪能した。  

「コーンスープ」か「トウモロコシのスープか」

バイリンガルで子育てをするのに、小さな疑問は毎日のようにある。 なるべく日本語とオランダ語の2カ国語に集中するため、日本語の中にたくさん出てくる英語をどうするか、悩む。 例えば「コーンスープ」と言ってしまえば日本では普通のことだが、まず英語の「コーン」という単語はオランダ語では maïs「マイス」、「コーンスープ」は「マイススープ」と言う。 私は「トウモロコシのスープ」と言うようにする。子供がオランダの中学校にあがり英語の「コーン」という単語を学んだら、または自分で知るようになったら使おうと思う。 日本語の「トウモロコシ」という語感とあの黄色いトウモロコシの形のイメージが一致して欲しいからだ。 でも日本語を貫くのにわかりにくい言葉も多いことに気づく。 スポーツの名前なんて、カタカナばかり。水泳では、バタフライも平泳ぎもクロールも、そしてフィギュアスケート、サッカー、アーチェリー、日本語には英語が多いが、これらの単語にはオランダ語特有の言葉がある。例えば野球なんて、ずいぶん長いことオランダ語知らなかった。 ‘honkbal’。ホンクバル?!想像もつかないでしょう?? 他に日本語独自の言葉は?と疑問をもったのが「紙ナプキン」。「紙ナプキン」または「紙ナフキン」これが日本語。 オランダ語では servet 「セルヴェット」。 オランダ人はこの「セルヴェット」を日常よく使う。 日本ではテーブルを拭く「ふきん」があって、それで食事中テーブルが汚れたらふいたり、または手を拭くには「おしぼり」がある。日本人は濡れたタオルをよく使う。それを意識し始めたのは、こちらでは紙で済ませることが多いことに気づいたからだ。 保育所の時から、子供達もクラスメートの誕生日パーティには一人づつセルヴェットがある。オランダ人のお宅で食事をすると、必ず置いてある。もちろん日本でも洋食のレストランには置いてある。 ある時、ベビーシッターさんに、「食事の時、手や口を拭くのはこのタオルを濡らして使ってください」と置いて出かける。 床にこぼしたときは、こっちで、と別のタオル。(他に、テーブル用台ふきんもあるのだが、言うのをやめた。) 先日2回、違う二人のオランダ人のベビーシッターさん、どちらも乾いたまま置いておいたタオルが使われていないことに気づいた。 頼んだのにも関わらず。。。 そして、キッチンペーパーやティッシュ、近くに置いてあったセルヴェットを使っていた。 「ふきん」「おしぼり」は日本特有の文化なのだなあ、と思った。

アムステルダムの春到来

早朝、鳥のさえずりがうるさくなり始めた。 春なのだなあ。 アムステルダムにはあちこちに並木道があり、鳥の憩いの場になっている。 空気の香りが変わり、光が明るくなり、木の枝に小さな芽がふくらみ始めた。 ちょうど、アムステルダムのクロッカスホリデー(小中学校が2月に一週間休暇となる)の最終日、クロッカスの花達がにょきにょきと顔を出し始めた。 かわいい!    

『レコード芸術』誌CD批評が掲載されました!

昨日発売の『レコード芸術』2014年1月号に、私たちのCD『ラ・コルデ・ヴィブランテ』の批評が掲載されました。 掲載、感謝いたします。 たくさんの方にこのCDを聴いていただけましたら嬉しいです。 CDの入手方法はホームページまで。

4歳児のクリスマスディナー

オランダの学校(basic school) の1年生は、日本の幼稚園にあたるのだが、ヨーロッパらしく今日19日はクリスマスディナーという行事。 学校は昼で終わり、夕方5時すぎにまたクラスに集まって子供達と先生だけのディナーパーティー。お料理は保護者が手分けして作り、教室の準備、後片付けも保護者が手伝う。 子供も前の日から「明日はクリスマスディナー。一度家に帰って着替えてからまた行くの」 「着替えて」?! そ、そんな素敵なディナー用のお洋服は用意していません。。。 よくこちらで大人が夜の演奏会や観劇に行く前に、家に戻って「リフレッシュしてくる」という方がいる。身だしなみを夜会用に整えて、出かけ直すのだ。 保育所でも、「パーティ」は度々あった。 クラスの子のお誕生会はもちろん、学校へ行ってしまう子のお別れパーティはとても盛大にやっていた。その度に、テーブルクロス、紙ナプキン、自分の取り皿にナイフとフォーク、造花や子供用の電気キャンドルで飾り、照明も暗くする。皆で大きな長いテーブルに向かい合って座り、大人のパーティ顔負け。 学校のクリスマスディナーに、私は後片付けで参加。 イタリア人のパパが作った美味しそうな大きなピザが余っている! あちこちにネクタイをした小学生、シルクハットをかぶったり、仮装したり。女の子はショートドレスにタイツが多い! 保護者は校庭で立ってワインを片手に大人のパーティをしている! 1年から4年までのディナーを終えたばかりの子供達と大人達で校庭は大混雑。 この土曜日から冬休みなので、クリスマス飾りはすべて取り去った。 この日はアムステルダムのあちこちの小学校でクリスマスディナーを同じようにやっていたらしい。そして次の日は1時間遅く学校が始まる。 1時間遅く始まることで昨日の余韻を親子共々楽しめるところが、良いと思う。 要するに最後の2、3日は冬休みモードでリラックスしている。まだ小さいから勉強もなくていいけれど、高学年でもおそらくこうなのだ。 オランダ人は親も先生も、パーティ好きで、皆慣れている。

ラ・コルデ・ヴィブランテ日本ツアー終了!

シチリア出身のギタリスト、ダリオ・マカルーソ氏と共に3回の日本でのコンサートを行いました。浜松市の楽器博物館(10月26日)、牛久市エスカードホール(11月2日)、石岡市ギター文化館(11月3日)。 今回は私たちのCDのプレゼンテーションも兼ねて、苦労の末産み出したCDを携えての旅。たくさんの嬉しいコメントをいただいて、大成功のうちに終了となりました。 このコンサートに足を運んでくださった皆様、本当にありがとうございました! それからこのコンサートの準備のために快くお手伝いをしてくださった、友人、知人には本当に感謝しています。 浜松ではオリジナルの1805年頃のトーマス・ラウド(クレメンティの名前が一緒にネームボードに)のイギリス製スクエアピアノ。 味わいのある軽やかな音色に、芯のある柔らかい音色のダリオのギターととてもよく融合しました。 この花模様はクレメンティ社のピアノによく見られますね。共同に制作した楽器のようです。 ある方からこんな感想をいただきました。ここに筆者の許可を得て掲載します。 『一昨日はとても素敵なコンサートを開いてくださり有難うございました。 フォルテピアノの色や形がとてもエスカードに似合っていて、扉をあけたら別のホールかと思いました。 それに、19世紀のピアノの音は、私が想像していたものより、ずっと響きに重みがあり、ものすごい存在感でした。 心配していた響きも、前のブロックのすぐ後ろ、つまり通路をはさんで一列目やや右寄りで聴いたのが功を奏しました。 フォルテピアノはまるでサラブレッドの毛並みのようでした。 静かな光に包まれて、たてがみをふさふささせながらゆっくりスローモーションで走っている。それも夢の中で。 そういう音です。 特に、ベートーヴェンの作品は、テーマが魔笛だったので、夢の中でモーツァルトが弾いているピアノを聴いているような気分でした。時には、ハープのようにも聞こえるその音色はギターとちょうどよいバランスを保ちながら、華やかに展開してゆきました。 テーマがよいと、こんな風にアレンジできるんだな、と感心しながら聴いていた部分があり、CDでも毎日気に入ってきいてます。 その他の曲も、モダンの楽器でやるより、即興的な部分が多いせいか、すごく自由に解き放たれた響きがあります。 ギターがメロディになると、甘くて哀しい恋愛映画をみているようです。 こんな素晴らしいデュオですから、いろいろ大変なことも多いとは思いますが、ぜひとも10年、15年と続けていってくださいね。 かおるさんのレクチャーがとても私は好きです。簡潔でいて、はじめての人にも興味をい抱かせるような話法です。いつか、ギターやフォルテピアノの楽器を部分的に写しながら、古楽器の世界へようこそ、という内容の短い映像を作ってくれると嬉しいです。ぜひ生徒たちにもみせてみたいです。』 Mさん、ファンタジー一杯の感想ありがとうございました! 牛久エスカードホールでは、地元での広告などを見て来てくださった方もおり100名を超える盛況となりました。古楽器には音響も良く、サイズも中ぐらいで利便性もありとてもよかったです。ショッピングセンターの最上階にこんなスペースがあると、普段着でふらっと音楽を楽しめるようになりそうです。今日は何かやってるかなあ、とお買い物帰りにちらっとのぞいてみるのもいいかもしれません。 ギター文化館は、さすがギター専用のホールとあり、素晴らしい音響スペースでした!!!木村館長も、フォルテピアノはここの音響に抜群でした、とのことでした。お客様が少なめだったのがとても残念でしたが、木目で天井の高い、チャペルのような素敵なスペース。フォルテピアノの音色の豊かさがよく聴き取れるホールだったのではないでしょうか。味わいあるパノルモギターの音色、ダリオのクリアーな音作りがフォルテピアノと対等にやりとりして、贅沢感、幸せ感の中で演奏することができました。 なおCDは次の場所で購入可能です。

クオピオでの演奏会

8月、北欧歴史的鍵盤楽器祭にて、ソロリサイタルとマスタークラスを行った。 生後六ヶ月の娘を連れていったのは、母乳育児を続けたかったのが一番の理由で、あまり泣かない楽な子でもあったので、特に問題はなかった。フェスティバルのほうで経験のあるベビーシッター(女性同士のカップル)さんを探してくれて、すぐ近くの安全な所にいてくれたのでお陰でなんの心配もなく仕事ができた。 前日の練習は自分の側でこんな感じ。 クオピオで知名度がおそらくまったくない自分のコンサートに誰が来てくれるのだろうか、と思いつつ、、、オーガナイズ関係者やマスタークラス参加者の学生達もたくさん来てくれて、少ない中でもとても雰囲気のよいコンサートになり、自分にとっては充実した演奏会であった。初めてのお客様、それも違う言葉を話す、日本からかけ離れた場所にある国でのコンサート。 大きなジェスチャーを交えて、ハッキリ話そうと努めてスピーチでもするかのような気持ちだった。 異国の、オランダでもない土地、フィンランド。。。そういうことが必要と舞台の上で感じられたのが、不思議である。 音楽が共通の言語であることは、本当に素晴らしいことである。それに助けられて、今までオランダでも暮らして来られた。 次の日のマスタークラスは3人の生徒であった。皆若くて、一生懸命で可愛い、、、と思ってしまう自分の歳を感じる。 一人はチェンバロでのレッスンで二人がフォルテピアノ。短い時間に様々な発見をして、一緒に考えていく作業はとても楽しい。 一人はiPadでの楽譜。。。 譜めくりに、タッチスクリーンを上にずらす。書き込めないのが不便そうだけれど、、、。 少し午後に暇ができて、街へ散歩。ベビーシッターさんお勧めのこの地域のスペシャルな食べ物ということで、Kalakukkoというものをお土産に購入。キロで買うのだが、最低が1キロで、それを買った。(約25ユーロ)家であけてびっくり。分厚くてぎっしり焼かれたライ麦パンの中に、ベーコンとお魚がぎっしり。パンが中の具を密閉しているので、一ヶ月はもつそうだ。昔木こりがこれを食料に持って仕事に出たそう。魚の部分も発酵したような、独特の味わいが出ていて、とても美味しかった! クオピオはまさに湖に囲まれた街。どちら向きに歩いても、いつかは湖に到着。 街の中にも緑の公園が、あちこちにあり、空気が本当に綺麗で美味しかった。 朝、早起きした時の新鮮な空気、あの感覚が一日中あるような、常に綺麗な空気の場所。 そうそう、街の中心地の広場にマーケットが出ていて、ジャガイモが売っていたのだが、箱に入っている。 この箱は、一升のようなフィンランドの単位、1カッパというそうだ。 英語がほとんどマーケットでは通じなかった。 どこかおとぎの国にでもいるような感覚が時々する。 冬にはマイナス35度になるとう、クオピオ。フェスティバルだけではわからないフィンランドの人々や文化にあまり触れることはできなかったが、厳しい冬の寒さを知る物静かな人々の心の中にはものすごく深い英知が潜んでいそうで、深い森に住む妖精が出てきそう、なイメージは遠くないと思う。

フィンランド、クオピオへ

この春、良いニュースをいただいた。 8月のフィンランド、クオピオ市におけるリサイタルとマスタークラスに参加するために、朝日新聞文化財団より助成金をいただけることになった。 クオピオ市で、歴史的鍵盤楽器のフェスティバルが行われている。 Nordic Historical Keyboard Festival 8月14日から23日の間、クラヴィコード、チェンバロ、オルガン、フォルテピアノでのソロやアンサンブルの演奏会が毎日、計22回、そしてマスタークラスも開かれる。アメリカやメキシコからも演奏者が来るそうだ。そんな国際的な場に招待され、マスタークラスはレッスンを行うという貴重な経験。 このフェスティバルは現代音楽にもオープンで、今年は4曲の世界初演が行われるそうだ。 私はシュタインモデルの楽器にてソロリサイタル。 クラシックな作品に加えて、マルドナド氏の現代曲も披露する。 マルドナド氏の作品は以前演奏した事があり、作曲家にもミラノに会いにいき、録音を聞いてもらった。 いつか私のために作品を書いてくださる、と約束してくださってその日を心待ちにしている。 フォルテピアノはその当時の作品を演奏するのは楽しいのはもちろんだが、現代曲でも楽器の特性とマッチして「響き」として聴いてもらえたら古楽器での現代曲も素敵だ。 同じプログラムでアムステルダムにて7月21日に演奏予定。 自分のシュタインモデルのフォルテピアノで弾くので お近くの方はどうぞ聴きにきてください♪

オランダの小学校1

4歳になる息子が5月半ばからbasisschool (basic school)に行き始めた。 オランダでは4歳の誕生日を迎えると学校が始まるので、各自入学の時期が異なる。 最初の2週間はお試し期間で、午前中で迎えに行ってもよいが、その期間が終わると、平日は9時始まりの3時15分終業。(学校によって少し違う)水曜日のみは1時終業の半日、が一般的である。 6歳からが義務教育なので、最初の2年間は日本で言う、幼稚園のようだ。 今やっていることは、デュプロやパズル、積み木、絵をかいたり工作、体育、先生を囲んで床に座って先生のギター伴奏で歌ったり、絵本の読み聞かせをしてもらったり、天気の良い日は校庭で遊ぶ、というようなものらしい。 うちの子供は、最初のうち、ばいばいするときに泣いた。。。 でも慣れた先生が子供の手を取ってくれて、3週間目ぐらいからは泣かなくなった。 午前中の休憩用に、果物を一つと飲み物を持参するように言われた。持って来た果物は教室の中の大きなフルーツ皿に盛るように言われた。後でわかったのは、持ってきたものを食べるのではなく、おやつの時間に先生がまとめて切り分け、配ってくれるそうだ。なんだかオランダらしい。リンゴ、梨、バナナ、オレンジいろいろなものが入っている。 お弁当づくり、というものが始まった! 茶色いパンのサンドイッチをよく残す〜 他のオランダ人皆が食べてるようなサンドイッチ。 おにぎりのほうが、やはり好きらしい。 ココアパウダーでこんな努力もしてみたが。。。 白いパンでも具によって食べず、あとは他の子が遊びに飛び出すともう食べるのをやめるらしい。でも全部食べてくれたときの喜び!こんなに嬉しいものだとは思ってもいなかった☆

「夜の魔女」プロジェクト

4月の27、28日とアムステルダムのオルゲルパークにて面白いプロジェクトに参加した。Huib Emmerの’Nachthexen’ とAnne La Bergeの’Lonely Stats’という2曲の新曲発表。 第2次大戦中のロシアとアメリカのパワフルな女性、というのがテーマ。 私はNachthexenのオルガンパートで参加。 この曲は、3人のオルガニスト、トロンボーン、コントラバス、フルート、ナレーション、ラップトップ(電子音楽)のために書かれた。 Nachthexen「夜の魔女」とは、第2次大戦中にロシアでは女性パイロットがおり、ドイツにたくさんの爆弾を落としたが、レーダーから逃れる飛行機に乗り、音もなく現れて消えて行くのでそう呼ばれていた。姿を消す薬を飲んでいるのだ、という噂まであったそうだ。3人のパイロットとこのストーリーにインスピレーションを得た作品。 Lonely Stats(寂しい統計)の方は、アメリカの女性にまつわる。同じく第2次大戦中、男性が戦争に行ってしまいアメリカの野球界が人手不足となる。その頃女性のプロ野球チームが発足。その選手達のことがもとになっている。作曲家のアンネいわく、「野球は三振やストライクの数、スコア、すべて統計であり、数で比較されている」作品は、Nachthexenと同じ楽器編成で、オルガンは一人。コンピューターがサインを出したら、インプロヴィゼーションを始めたり、決まったフレーズを演奏したりする。’guided improvisation’ と呼んでいた。 オルゲルパークで、生まれて初めて、コンピュータつきのオルガンを見た! 実は、ハンスさんという方が、発明して作った世界にひとつの楽器だそうだ。   楽器はホールの大きなパイプオルガンのパイプが共用されて鳴るので、音色は生のオルガンのまま。 私は19世紀後半のタイプの小型のパイプオルガンでホッとした。ストップのところに陶器の材質が使われていて素敵だった。モニターで指揮者を見る。 ロシアの軍事ニュース関係の(?)テレビ局で翌日このコンサートのことが放映された。 http://tvzvezda.ru/schedule/programs/content/201005071133-4zo9.htm/201304291026-q4xl.htm 約8分45秒のところ。 タイプの違うパイプオルガンが四方の壁に設置され、とても贅沢感のあるホール!昔教会であったところを改装して建てられている。アムステルダムの中心地フォンデルパークに接する。

第2子誕生

3月7日に娘を出産した。 一人目よりは出産もらく、、、とよく言われるが、時間的には短かくなったものの、それなりに大変だった。これで人生最大の大仕事は最後。無事に産まれてきてくれた時の感動と疲労の産後数時間が今でも印象に残る。 始まりはこれから。。。 確かに二人めは一人目よりは余裕ができて、可愛くてしょうがない! 一人めは可愛いと思えるまでに、結構時間がかかった。 産まれてきてくれて、ありがとう。  

アトリエコンサート

前回のポストが「運河が凍った」とは、なんと怠けたことか。。。。ド反省。 春が来て、夏が通り過ぎ、もう秋。 たくさんのことがあり、毎日飛ぶようにぎっしりとした時間が過ぎていった。 6月のことになるが、大事な催し物だったので書きたい。 アトリエコンサートをチェロのNina Hitz とヴァイオリンのHeleen Hulstと企画。昨年始めより、スェーリンク・コレクションという元はRien Hasselaar (リン・ハスラー)氏の所有だった楽器のコレクションの運営委員の一人にならないか、と言われてお手伝いすることにした。 ハスラー氏は2000年に突然他界され、そのあと公の団体として、彼の100台近くにのぼる、スクエアピアノやたんすに見えるようなオルガン、そしてグランド型のフォルテピアノの数々、仕事場のアトリエの機材や道具、修復のためのマテリアル、等がそのまま保存されている。 今ある場所がアムステルダムの街の中、運河沿いの一等地の4階という隠れた場所にある。 だいたいそんな高いところに、どうやってたくさんのピアノを運び込んだか。。。 これはオランダ人の得意とするところである。 入り口は日本でいう4階なのだが、中に入るとさらに3層の階になっていてかなり広い。 寝せて並べられたスクエアピアノを含め25から30台の楽器がここにある。 ほとんどに白い布がかぶせられたまま、まるで墓場のような印象である。 このコレクションは、長いこと教育にも携わったリンさんが、教育に役立てて欲しいという当時からの願いより、アムステルダム音楽院のフォルテピアノ科の学生が勉強に使わせてもらっていた。自分も含め、オランダのアムステルダム音楽院でフォルテピアノを主科、副科で学んだピアニスト達が練習していた楽器である。 音楽院がアムステルダム駅近くに引っ越しをした2008年、旧校舎には大きな部屋が二部屋と、修復などに使われていた部屋があったのに、新校舎内にはフォルテピアノを保存する博物館的な場所は設計に含まれておらず、行き場がなくなった。 そして、Rijswijkという町の貸し倉庫に約40台の楽器が行くことになり、現在にいたる。 数台の楽器が、Geelvinck Hinlopen huis という博物館に貸し出しをされ、演奏会にも使われている。そこでも私も様々なお手伝いをさせていただいている。 リンさんが生きていた当時からの面影が残っているのが、彼の自宅兼仕事場であった、このアトリエである。その後、一度楽器の修復がアトリエで成されたきりで、アトリエはほとんど使われておらず、ピアノのほうは、許可を得た元学生が時々練習に訪れるのみである。

運河が凍った!

2月最初の週末確か3日の金曜日に雪がたくさん降り始め、4日は真っ白の銀世界になった。 零下が続き、この調子で2週間行けば、15年ぶりにエルフステーデントホト (elfstedentocht)「オランダ11都市スケートマラソン競技」が行われるかもしれない、と期待に胸を膨らませたオランダ人も多かった。運河の氷が15cmの厚さになったら、決行されるそうで、この15年の間そこまで凍ったことはない。これは運河を伝って11都市をまわるスケート大会である。 それでもこの週末(10、11、12日)は街の中の運河が凍って子供から大人まで皆、普段は上から眺めている運河に降りて、散歩したりスケートしたりと楽しむ人でにぎわった。 運河にうかぶ船の家に住む人たちが、ドリンクサービスする場面も。。。。 温かいココアやブランデー、スープを売っていた。即席カフェで皆でこのわくわくする凍った運河での休日を楽しむ。 プリンセングラハト(運河)の上を歩いた後は、西教会の近くにある、最近リニューアルオープンしたチューリップミュージアムへ。ここは知人の日本人女性建築家、根津幸子さんが内装を手がけていて、明るくてかわいい雰囲気。ここには春が。。。

今日のお隣さん

今日、メンデルスゾーンのピアノトリオ、ニ短調の一楽章をハイテンションで一人で練習していた。 実は、生徒が来る少し前だったので、部屋の空気を入れ替えながらと思い、窓も少し開けて、廊下に通じる部屋のドアも開けて。外は雨だし、誰にも何も言われないので(!?)時々窓開けて弾いている。もちろん近所迷惑な話なので、ときどき、ちょっとだけ。(外は10度以下で長いこと開けていたら、フォルテピアノによくない) ふと手を止めると、同じ音楽がヴァイオリンとチェロパートつきで、聞こえてくるのだ! え、え、え、どこから聞こえてくるのか? 誰かがCDを聞いている。 このピアノの部屋を10年以上使っているが、こんなに聞こえてくる程の音量でクラシックを聞く隣人は知らない。 同じ曲の同じ楽章を?! ふとみると、開けたドアの所に見知らぬおじさんが。。。。。。。! ‘Fantastic!’ と親指をあげてにこっと笑い、見てる。 ‘Do you live here?’ と弾きながら聞き返すと、(そんなにしゃべれる余裕のある曲ではないので、とっさにこう聞いた)手振りで、いいから続けて、気にしないで続けなさい、という様子で部屋に戻っていってしまった。 この1年ほど、私の隣の部屋はホテルとして貸し出しているようで、週末などに毎回違う観光客らしき人が2、3人で泊まっている。そのおじさんもきっと短期滞在で来たのだろう。 そのうち生徒さんが来て、そのレッスン中にそのおじさんが外に出て行くのが聞こえた。 それにしても、旅行中にたまたまメンデルスゾーンのピアノトリオといういつも、誰でも聞くような曲ではなさそうな音楽を持って来ていて、ホテルと思っていたら隣の部屋からいきなりがーっとうるさい生のピアノが聞こえてきたら、その人もさぞかしびっくりしたことだろう。それもお気に入りの、曲が?おじさんもCDを聞いていて、私がたまたま同じところを弾き始めたのだろうか?! こんな偶然があるなんて。。。。 同じ曲つながりという偶然から、そのおじさんともっとお話したかったが、レッスンの後私は次のレッスンに出て行って、今日は会えなかった。また明日も滞在していたら会いたい。

WORMでのコンサート

WORMでのコンサートは12月4日に無事終了。 今回のプログラムはお琴の後藤真起子さんとの再共演もあり、琴、フォルテピアノ、電子音楽、チェロ、バスクラリネット、そしてシンバルの即興演奏家という組み合わせ。 真起子さんとは5月に私達のデュオのために作曲された Anna Mikhailova の ‘Shogi. White dragon.’を再演。他には箏曲の「六段」を琴とフォルテピアノで二重奏してみたが、これが賛否両論。(以前にやったときもだったなあ。。。)音の響き的にはこの楽器の組み合わせはとてもきれいと思うのだが、日本の音楽は私にとって、とても難しい。日本人として恥ずかしいが、これは「てんとんしゃん〜」と声で唱えるところからちゃんと習わないといけないのだろう。「六段」という音楽がなかなかつぼを理解できないのだ。あとはピッチがピアノでは揺らせるテクニックはないのでお琴のよう、ではない。ピアノのドレミとは違って琴は微妙に違う音高になっていることもある。真起子さんは、「そのズレがいいのよ」と言ってくださるが。。。日本の音楽はわざとアンサンブルもずらし気味に弾いたり、自由でいいという。 尺八とフォルテピアノという作品を演奏させていただいた時にも、作曲家の言葉として、「きちんと合わせようとしないでください」と何度も言われた。 その日は他にベートーヴェンのソナタ作品49−2の一楽章を私がフォルテピアノで弾き、Gilius van Bergeijk氏のこの作品をもとにした電子音楽作品がテープで流された。「ピ、ポ、バ、ピ、ポ・・・・」音の高さが全く違うが、リズムはそのままで、宇宙から来た音みたいだった。 他に、シンバル演奏家は小型のシンバルに、ケーキのデコレーション(ピンクや白のお砂糖の粒?)や小さいアルファベットパスタを上から降らせて落として、そのサウンドで作られた不思議な世界は微妙な音のグラデーションだった。 そしてHuib Emmer作曲の出演者全員で演奏できる フランツ・リストの「灰色の雲」の編曲で幕を閉じた。ピアノソロの原曲よりも壮大な感じになっていた。 アバンギャルドに慣れているWORMのお客さんにとっては、とってもクラシックなものが聞けたプログラムであったが、クラシックばかり普段聞かれる方にとっては、ハテナ???もあったかもしれない。即興演奏や現代音楽、コンピューター音楽では「音楽」や「曲」というよりも、どんな材質から出る音、どんな波長の音、音そのものが本質的になってきて、自分もFACESでの活動などで即興に触れる機会も増えてきたこの2、3年、音の違う聞き方を学んでいるように思う。 WORMの建物の中の壁と天井は、廃品利用で飛行機の窓の部分が使われている。 座席も飛行機の座席で、昔のタバコの灰皿つきであった。 廃品利用のほうが、現在では高くついたりするそうだ。 これはプラスチックのタンクを使ったトイレ。中に入ると半透明でちょっと落ち着かないかも。。。 建物内のカフェ。 出演者とお客さんのために、ベビーシッターが用意されていたが、WORM内にすごい数のぬいぐるみのスペースが用意されていてそこで子供達が遊んでいた。これには圧倒された。。。

シンタクラースのお祭り

オランダの12月5日は年間行事の中で、女王誕生日についで重要なシンタクラースの日。いうなれば、クリスマスよりも大事な行事である。主に子供のためのものだが、大人まで様々なやり方で祝い、楽しめる。 シンタクラースは日本語のサンタクロースに響きが似ているが違うもので、サンタクロースはオランダ語では kerstman (Christmas man)になる。 シンタクラースは黒人ピートをお供に連れて、蒸気船でスペインからやってくる。 11月の半ばに、「今日、オランダに到着しました」という日が毎年新聞、テレビで報道されて、その日から12月5日まで滞在している。シンタクラースは大きな本を持っていて、そこに名前の載っている良い子のところにきて、プレゼントをくれる。 子供達は、シンタクラースが乗ってくる馬のために、にんじんを靴の中にいれて、暖炉(煙突からシンタクラースが入ってくるので)の所に置いておく。シンタクラースが来ると、ペーパーノーテンやスペキュラース、アルファベットのチョコレートというお菓子をにんじんの代わりに入れておいてくれる。また、シンタクラースはそれぞれの子供に合った内容で、詩を残してくれたりもする。 その詩は韻を踏んで作るのが特徴で、大人になってからグループでパーティをする場合は、誰かにあてて詩を作ってきてプレゼントに添えたりする。 うちの旦那の場合は、子供の頃いつも詩が入っていて、そこには ‘Sint & Piet’より、というサインが Sint と、Piet 違う手で書かれていたという。 去年はまだ何もわからなかった息子も、今年はシンタクラースのお話をちゃんと理解している。シンタクラースの歌もたくさん保育園で習って歌えるようになった。この時期、親のいうセリフでよく聞くのは、、、「いい子にしていないと、シンタクラースからプレゼントもらえないよ」。。。うちもそれが効果あり。 12月5日の ‘pakjesavond’(プレゼントの箱を開ける夜)には、大きな袋のなかから家族それぞれにあてた、プレゼントがぞくぞくと出てくる。(誰が準備したのか?!) おかげでいい子にしていたのでたくさんのプレゼントをもらって大興奮であった。 子供がいないときによくオランダ人のピアノの生徒さんの親から「シンタクラースの歌をピアノで弾けるようにしてくれませんか」というお話がよくあった。どれだけ大事なのかというのが、子供を持ってやっと一緒に実感できた。このお祭りのいいところは、宗教的ではないオランダ独自のものであるところだろうか。シンタクラースにまつわる楽しい歌もたくさんある。詩を作ることによってそれぞれの個性を考え、頭をひねる。 オランダ中の子供達にシンタクラース一人でプレゼントを配るのは大変なので、「お手伝いシンタクラース」「お手伝いピート」がたくさんいる。この時期になると街の中でお店や市場をうろうろしていたりするのが、楽しい。

シチリアの調律騒動

先週は4日間、イタリア、シチリア島で過ごした。 チェファルという町でギターのダリオ・マカルーソと演奏会があり、シチリアに住むダリオにしょっちゅうは会えないので、様々な曲のリハーサルも予定して余裕をもって木曜日の到着だった。 出発前日に、リハは金曜日とコンサート当日の土曜日の9時から午後4時までできるようだと聞く。到着した木曜日の午後は私のフリーな一日となり、強い日差しの中で美しい町並みと海、静かな時間、雨降り続きで曇り空のアムステルダムとのギャップの大きさにゆっくり身体を慣らしながら、心を空っぽにして海岸で波を眺めていた。 金曜日の朝9時にホール前でダリオと待ち合わせ。 ダリオが「誰も来ないのでは、という予感がする」 そんな。。。?!何を言っているのだ。 オーガナイズの方が「リハーサルはできないよ」と一度言っていた、という話を聞いた。でもダリオがそれでは困る、とがんばりなんとか二日間の同意をした。 ところが誰も来ない。。。 ダリオがオーガナイザーに電話して、地元のホールのドアを開けてくれる人に連絡を取る。なんとか連絡がついて、10時頃に開く。 ピアノを見ると、修復したてのような、ぴかぴかの外装のJosef Simon がカパーをかけられてステージの片隅にあった。鍵盤は開いたが、鍵がかかっていて調律をする部分のピアノのふたは開かない。どうやって調律するの? Josef Simon (ca 1840) Viennese piano しばらくしてホールのステマネ(?)のおじさんが鍵を見つけてくる。 低音がとても狂っており、いくつかの音は半音ほど違う。 ピアノの調律は? 「カオル、ピアノの調律は今日の4時に来るって」 だってリハーサル4時まででしょう?!?! 狂ったピアノでは2、3時間弾くのが集中力の限界だった。 狂った音をタッチしないように、一オクターブあげてみたり、音をぬかしたりしているうちに音楽に集中できなくなる。ダリオも私も絶対音感がなく、ピッチがわからない!

コンサートのドタキャン

昨日のロッテルダム、WORMでのコンサートはまさにドタキャン。 リハーサルのため会場に到着10分前に電話が。。。 「今日のコンサートはやらないことになったよ」 え?!?! 信じがたいのと電車の中で高まって来た緊張感がどこへ行ったらいいのかわからない。 理由は、新しい場所に移転したWORM が、建物のチェックや様々な許可が金曜の夜に警察官が見に来ておりたけれど、それを書類にもらっていない限りは何もやっちゃだめ、、、とのこと。 土曜日のパフォーマンスも直前キャンセルになったらしい。 土曜日の午後に移動した私のフォルテピアノは使われないまま、日曜日にUターンした。もっと早く教えてくれーー!!! お客さまへのお知らせなどでしばらくどたばたしたが、皆で経費でお茶させてもらい、わーっとしゃべって心をおさめた。 それにしても、どんなことになってるの!? 面白い企画が多い場所なので気に入っていたけれど、これはスキャンダル。。。 「今日のコンサートキャンセルになったの」とその日に何人かに話したが、二人のオランダ人が「え?天気がいいから?」と反応。 二人もです。今週は最後の夏日のような24度−26度という快晴の日が続いた。 太陽が出ると、オランダ人は真っ先に日光浴のため外に出たり、カフェのテラスでビールを飲むのが普通なので、それでコンサートに行くのをやめるお客さんが多すぎて中止になったのだろう、という推測からくる反応である。 新しい日程でプログラムは上演予定なので、無事に演奏できることを祈る。

スクエアピアノ・デー

アムステルダムで6月末から7月初めにかけて ‘Amsterdam Virtuosi 2011’ という室内楽フェスティバルが Geelvinck Hinlopen 博物館であり、6月25日の話になるが。。。。「スクエアピアノ・デー」というスクエアピアノに焦点を置いた日があった。なんてマニアックなお祭り、、、でもイギリスのフィンチコックス博物館などは、同じくスクエアピアノに焦点を置いた、もっと本格的な催し物を今年4月にしていた。 スクエアピアノとは:ドイツ語、オランダ語では tafelpiano (テーブルピアノ)と呼ばれる、一見テーブルのような長方形をした、ピアノ。 昨年からスェーリンク・コレクションというアムステルダムにあるフォルテピアノのコレクションの委員となり、そのコレクションの楽器が数台置かれているGeelvinck 博物館では何かとお手伝いをさせてもらっている。この日はコンクールの審査員と新曲発表のプレゼンテーションに参加。 まずはスクエアピアノの演奏コンクール。 第一回目の開催なので、出演者がいるのか?という心配があったが、4人のフォルテピアノの学生、または卒業生が参加。年齢制限もなく、演奏曲目も自由だったので趣味の方が来るかもしれない、、、と思いきや、専門に勉強した演奏者ばかりで、4人4様の選曲、楽器へのアプローチがあり、とても面白かった。 楽器は4台のスクエアピアノがあった。 審査員はほかに、ウィレム・ブロンズ氏、スタンリー・ホッホランド氏、ミヒャエル・ツァルカ氏。私にとってフォルテピアノのコンクールの審査員というのは、初めての経験だったので、審査のディスカッションはとても興味深かった。 私の中では、これは「フォルテピアノの」コンクールなので、普通のピアノとは違う古楽器に合うタッチで弾いて欲しいという気持ちがあった。そして、その楽器の音色をどう引き出せるか。音楽性、技術(ヴィルトゥオージティ)という点ももちろん大事で、その兼ね合いは、本当に難しいと思う。 初対面の審査員のミヒャエル・ツァルカさんが素晴らしい音楽家で、さらに自分の感覚ととても近く参加者についていろいろとお話できたことが、とても素晴らしい経験であった。 夜には、スクエアピアノのために新曲を作曲してもらう、という作曲家のためのコンクールがあった。8曲の応募作品があり、そのうちの6曲が演奏された。 その時のダイジェスト版はこちら。 youtube ‘square for future’

2歳児の大きな経験

この夏7月に実は、2週間だけ2歳の息子を連れて日本に帰った。 とっても楽しい日々で、ちょうど地元の夏祭りもやっていて夏らしい日本を満喫した。 印象に残ることはたくさんあるらしく、 「お祭りも見たねー」 「アイシェ食べたねー」(アイシェはアイスのこと、オランダ語の子供ことば) 「ばーばに会ったねー」 「飛行機に乗ったねー」 「かーん、かーん、かーんって踏切見たねー」 断片的な思い出を一ヶ月半たった今も、幾度となく言葉にする。 オランダ人の親戚や保育所の先生にも、「ボク、日本に行ったの」「飛行機乗ったの」と開口一番に未だに言う。(オランダ語で)よっぽど飛行機に乗って、違う文化の日本という国に行ったことが強く印象に残っているらしい。 その後、ちょっとした問題が起きた。 約2週間、保育所生活に慣れなかった。週に3回保育所に預けているが、3週目の終わりになって、やっといつもの息子らしく楽しめるようになった。とくに2週間の間は、オランダ語を「一言も話さなかった」日もたくさんあるそうで、話しても「飛行機」または「Nee!」(オランダ語のNo!)のみ。泣いてばかりで、ご飯も食べたがらず、皆とも遊びたがらず、先生の膝の上で「ママー」と泣くばかり。 一度は保育所から電話があり、早めに迎えにいった。 かわいそうだった。日本に行く前の一週間、主人が出張で一週間いなかったので、日本語のみの生活を3週間ほどしたのだが、その後、オランダ語がどこかへ飛んでしまったのである。口をついて出てこないのは、自分でもつらかったに違いない。 夏休み中で、保育園の大の仲良しのお友達もちょうど休暇でいなかった、というのもあるようだ。なじみの顔もなく、オランダ語で遊ぶ気もない、、って。 先生には「日本ではパン食べないんですか?」と聞かれた。 前は食べていたのに、昼食のサンドイッチを食べたがらない、と。 日本でパン食べるけれど、オランダのパンとは見た目も色も味も違って、子供はなかなか日本でのパンを食べなかったので、おそばやうどん、ご飯が多かった。 でもお友達が戻って来たり、慣れて来たりと、3週目の終わりには元の息子になり、お外でも遊ぶようになり、お昼のオランダのチーズのサンドイッチを食べ、歌を歌ったりするようになった。 バイリンガルで育てる時に、こんなこともあるのだなあ、という経験。 でもまたすぐに、オランダ語が優勢になるのだろう。。。

オランダの文化、芸術への予算削減

オランダの国会は、2013年から2億ユーロ(日本円で約230億円!)の文化、芸術への予算を削減することを決定した。 日曜日の夜、ロッテルダムからハーグまで「文明の行進」(mars der beschaving)と名付けたデモ行進が行われ、約7000人の人々、音楽家のみならず、俳優や博物館、シアター関係者とにかく、反対する気持ちを表すためにたくさんの人が参加した。 さらに、4万人以上の署名を集め、嘆願書まで出した。それらのお誘いのメールもいくつか知人から届き、署名のみ参加した。 月曜日にその論議が行われることになっており、その前に行われたこれらのデモ。 それにもかかわらず、昨日この予算削減が実行されることとなり、とてもとても、失望。 これによって、国からの補助を受けている多くの、オケやアンサンブル、フェスティバル、作曲家達、シアター、文化施設が打撃を受けるのみならず、小中学校の生徒達の博物館や観劇というこれまで行われていた文化的な企画もただで鑑賞することはできなくなるそうだ。 すでに、小さな村の図書館が閉鎖されたりもしていて、なんて残念なことだろうと思う。 フリーランスのアーティスト達にとっても、ただでさえ日々の生活をまかなうのが、大変なことなのに、仕事を失う人、減る人たちが増えるのは必須であり、それによってクリエイトされるはずのものがされなくなる。 感動を与えて、受け取る場が減ることは未来の子供達の情緒の育成にもかかわるだろう。 このところの経費削減では、身体障害者への補助が削減されたりもあったりと、弱い人の立場まで無視されているように思う。 (このニュースの日本語) http://www.portfolio.nl/nlnews/archives/cat2/ (デモの様子) http://nos.nl/video/251625-duizenden-demonstreren-tegen-kunstbezuinigingen.html この決議に負けずに、私たちはできる限りアートを続けていきたいと思う。 政府の援助が減ったら、規模が小さくなるのは目に見えている、、、、ボランティアもしなければ何も始まらないだろう。 まわりにたくさんたくさんいるアーティスト達は、何もないところから何かを創りだしている。 それで感動を生み出す場を作っている。 普段このブログの更新も遅れているが、今日ばかりは何か書かずにはおれなくなった。

ポッポの赤ちゃん

3月の半ば頃、ベランダの鳩の巣の中に、新しい卵を二つ発見。 今年の冬には、寒くてベランダにしばらく出ないうちに、一羽の雛がかえっていた。 そのときは巣があったことすら知らず、発見した時点でずいぶん大きくなっていて、「あー、いつのまにか巣を作られ、赤ちゃんまでいる!」と思いきや、そのうちに巣立っていった。 最初は鳩がうちで産まれるなんて、ちょっとラッキーなシンボルかな?なんて思ったが、主人いわく「それは白鳩のことだろうー」このグレーの鳩はただ汚していくだけで、しょうがない、、、なんて迷惑がっていた。 新しい卵を発見したときに、処分しようと思って、つかんだ。 そうしたら、温かかった! まだ生きているんだ、、、捨てられなかった。 その雛も無事に孵った! 我が家では「ポッポの赤ちゃん」を毎日のように眺めて、楽しんでいる。 子供も朝起きて、「ポッポの赤ちゃん、見る〜」と日課になり、一緒にベランダに行く。 「大きくなったね〜」 「大きくナッタネ〜」 「お母さんハトがいるね」 「おかーたんハトがいるねっ」 「さ、もう寒いからドア閉めよう」 「さ、もうさみーからドアしめよ」 なんでも言葉を真似するもうすぐ2歳の息子だが、自分から「ポッポの赤ちゃん見よー?」と問いかけてくるか、あるいは「ポッポの赤ちゃん見るよー」というと、いさんで走ってくる。 おかしなもので、毎日くるこのポッポのメスとオスの両親が顔なじみになってくる。 そうすると無数にいる公園のハトの群れのそれぞれの顔が違って、うちに来るハトが混ざっていたら顔を認識できそうな気がする。 最初は親鳩がかわりばんこに赤ちゃん2羽の上に座って、温めていたが、最近は母鳩がエサを持ってきて、声を出して赤ちゃんは「ピーピー」と鳴くようになった。 ここ数日は、半分立ち上がっていたりするので、巣立ちの日が近いかもしれない。 そうしたら親ハトの役目はおしまいだね!

コンサート中のハプニング

日曜日のオランダのドレンテ州にある町、メッペル(Meppel)でスタバト・マーテル(ペルゴレージ原曲ーバッハ編曲版)のランチコンサート。 この4月はカメラータ・アムステルダムという室内オケの通奏低音で参加させてもらっている。 スタバト・マーテルの最後の楽章 ’アーメン’ でホール内の照明が消えた!! 一瞬ざわついて、、、でも「ここで止まってはいけない、、、、」とできる限り弾き続ける。 幸い同じフレーズを違う調で繰り返すような部分だったので、なんとか最後まで行き着いた!2、3分だったか。 皆ちょっと間違いながらも、、、。ソプラノとアルトの二人は「アーメン」の歌詞のみだったから、グッドタイミングなハプニングだった。 もしもっと曲の真ん中で照明が消えていたら、、、コンサートを終了できなかった欲求不満で夜眠れなかったに違いない。 原因はメッペルの町中で起こった停電。 お客さんも、ステージの音楽家12人あまりも終わると同時に、大爆笑となり、大きな拍手をいただいた。 こういう経験数回したよ、、、というコンバスのロシア人ボリスや、指揮者もチェリストもこんなのは初めての経験だ、、と様々。 あー、びっくりした;;;

チャリティーコンサート ’Play for JAPAN’

3月26日にオランダのハーグ市で、歌手の夏山美加恵さん主催のコンサート’Play for JAPAN’が行われた。 これは今回の東北大地震の被災者のためのチャリティコンサートである。 最終的にこのコンサートを通して集まった義援金13,340.53ユーロとのこと!!(約150−160万円)大きな教会はお客様で一杯になり、チケットは600枚以上売れ、スタッフや出演者をあわせると700人が会場にいた。 内容は日本人を中心としたバロックアンサンブル Dionysus Consort、元パリオペラ座のバレーダンサーと白石さとしさんのエレキギター&電子音楽による即興パフォーマンスや、ハーグのレジデンチーオケの第2コンマスの野口桃子さんらのアンサンブル、オランダ人の尺八奏者、ハリー・スタレフェルド、琴奏者、後藤真起子さん、美加恵さんのソロで日本歌曲を2曲、そしてオランダ人女性5人組のアカペラ、Wishful singingが「さくら、さくら」を歌って幕を閉じた。私は歌曲の伴奏で参加させてもらった。 本当に素晴らしいコンサートだった。 日本国旗を舞台に据えるところから始まり、自分が国旗を掲揚することって、滅多になく、「これは普通のコンサートではない。私たちは日本のために何かするんだ。。。」という緊張感と真剣な気持ちが高まる。 集まった観客のほとんどはオランダ人で、そして日本人、他にも外国人がたくさん。皆でひとつの想いを持って、同じ時間と共有し、献身的なステージをひとつひとつ鑑賞して、胸がいっぱいになった。 日本大使館次官もいらしてくださり、献花をされた。 この会場を無償で提供してくださった、カソリック教会の神父さんの優しさ、寛大さにも心が熱くなる。ニュージーランドのクライストチャーチや、ハイチの地震や、様々な災害がある毎にこのような場所を提供しているそうである。 こんな災害が起こって、失ったものを見ると、失望や悲しみばかりになる。しかしこのように多くの人の少しでも何かしたいという気持ち、教会に一杯になったとてつもなく大きな人の情に触れて、必ずこの災害を乗り越えられるはず、、、と思う。日本人というだけで、たくさんのオランダ人に、「ご家族は無事ですか?」と聞かれる。人の情って温かい。 世界中に助け合いと優しい気持ちが溢れているように思う。 この災害はつらいことだが、それを乗り越えて、私たちは前進していくのだと思う。

先週のコンサート

この日はチェロのニーナ・ヒッツとのデュオコンサート。 日本の大惨事から気持ちが沈んだまま、、、。 演奏会の前に皆で1分間の黙祷をささげる。皆の温かい気持ちが、大きなエネルギーの波みたく、力強い時に感じた。 被災者の方々には早く、平和な時が戻るように、心の安らぐ温かいところで眠れるように、一生懸命祈りたい。 失ってしまったたくさんの戻らない命。仕事や家を失ってしまったり大変な避難生活にある方に、心よりお見舞い申し上げます。 皆で気持ちを合わせて、協力しあって危機を乗り越えて行こう! 演奏会の後に集まった教会への寄付、全額301ユーロ80セントが、この教会を通して、日本にある支部、エヴァンゲリスト・ルター派の教会へと送られることになり、嬉しい。 コンサートは、、、飛行機のラッシュアワーか、風向きのせいか、次から次へと、頭上をわたる騒音。。。でも重苦しいイントロのベートーヴェンのチェロソナタ第2番から、最後のチェロとピアノの変奏曲変ホ長調の明るい、愛に満ちたテーマに向かって、冬から春の希望に向かうプログラム構成になった。タイトル「春のそよ風」のように。 3月26日(土)にオランダ、ハーグ市にて、’Play for JAPAN’ というチャリティーコンサートが開かれる。 ハーグ在住の音楽家を中心に企画されており、現在すでに百数十人の予約が入っている。私も日本歌曲を2曲伴奏してお手伝いさせてもらえることになった。主人が司会進行を勤める。お近くにお住まいの方はぜひいらしてくださいね! place: Church of our Saviour address: Bezuidenhoutseweg 157, The Hague start: at

Museum N8 ーミュージアム・ナイトー

ミュージアムナイトとは、アムステルダム中の45の博物館が夜の7時から夜中の2時という普通ではない時間に開館して、多くの人が、夜のミュージアムの様々な催し物を楽しむ。だいたい11月の最初の週末にある。 その昔には、国立博物館のレンブラントの「夜警」の前で踊る、ディスコが催されたりもあったそうだ。。。 そんなことがあり得るなんて! オランダ人の寛容さには本当に頭が下がる。。。 私は今回、Geelvinck Hinlopen ハウスでのリラピアノ演奏をさせていただく機会に恵まれた。 この博物館には、スウェーリンク・コレクションという、アムステルダム音楽院でも使われているフォルテピアノのコレクションより、貸し出しという形で、館の中に展示品として、または生きた演奏会に実際に使われる楽器として数台のフォルテピアノが置かれている。リラピアノは、最近修復が終わり、この博物館の「図書室」に見事に収まっている。 図書室は昔のオランダらしく、本棚が天井まで高く作り付けられ、壁中に本がある。 その合間の本がない壁の一面に、美しい壁紙をバックに、リラピアノが置かれている。高い天井からかかった重みのあるカーテン、大きな窓からの景色は運河沿いの通り。 あまりのしっくりさに、最初は感動した。 ピアノに「おめでとう!良いところにもらわれてよかったね!!」と話かけてしまうほどであった。 この博物館はもともと裕福な一家が住んでいた家で、19世紀頃の調度品を中心に、アンティーク家具や美術品に溢れている。中庭も素晴らしいので、観光で来たらぜひおすすめの場所である。 館で働いている、ボランティアの方の手作り衣装にて演奏した。 オランダの昔の布を再現した布で作られている。 8時頃になると、たくさんのお客様で和気あいあいとなり、天井は高いがそう広くもない図書室にはリラピアノは十分のヴォリュームであった。アムステルダムの夜のお祭りを楽しんだ。

マルメロの実

オランダは駆け足で冬に向かっている。 もっと街路樹が黄金色の葉で一杯だった10月半ばの話になるが。。。プレゼントにこんなジャムをいただいた。 ‘Kweeperen’ とは何だ? この果物のジャム(ゼリー)だよ、お庭で取れたという果物を一緒にくれた。 見た事ない。。。カリンかな?とも思ったが、辞書で Kweepeer を見ると、「マルメロ」とある。 マルメロって、日本では見た事もなかった。聞いた事はあるような気もするが。。。 この果物から、部屋中に甘い香りが強く漂う。ジャムは少し甘酸っぱい。 くれた方が、子供の頃、庭にマルメロの木があって、これを見ると母が秋になるとジャムを作ってくれたことを思い出す、と話していた。 私にとっては、秋といえば、田舎の庭になっている柿。 オランダでも美味しい柿が食べられる。 オランダでは柿は外国の果物で、シャロンフルーツ、またはカキ・フルーツとも言われる。 この果物になじみがなく、買わない人も多いようだ。この甘くて美味しい味を知らないなんて、もったいない。 この時期になると、オレンジの大きなカボチャもたくさん出回る。毎年恒例のパンプキン・スープを作っている。 旬の果物や野菜を食べるのは、幸せ。。。 サンマがないのが、ちょっと寂しい。

風車でのコンサート

17日にアムステルダムの北地区にある風車の中のホールにて、リサイタルをした。 1772年、ちょうど若きベートーヴェンが、ウィーンへの留学に出発した年に建立された風車で、チョークのもとになる石(?)を風車ですりつぶして、チョークを製作していた風車である。 その風車がガラス越しに見えるように、小さなスペースが隣接されており、居心地の良いお庭と、その隣の家にいるクジャクやヤギの動物達がのどかな雰囲気を醸し出す。 天井の高い木目の壁、床、バックのガラスの壁と音響もとても温かく響いた。 60名程のほとんどオランダ人というお客さまも会場の「ダッチさ」に喜んでいた。 「5オクターブの中のベートーヴェン」というシリーズのプログラムで、私のシュタインモデルの楽器5オクターブで演奏できる曲で構成。この機会に、初期の作品2−3のソナタを再び勉強したことは、本当によかった。 アルカホリックの父は子供達の世話もできず、16歳で母を亡くしたベートーヴェンが、やっとウィーンで音楽の勉強できた喜び、ハイドンにレッスンを受けられた喜び。 躍動感のつまったハ長調のこのソナタは、恩師ハイドンに捧げられている。 その数年後に作曲した「悲愴」のハ短調は、なんと重苦しい助奏があることか。 すでに耳の異常を感じ始めた、苦労の多いベートーヴェン。 シンプルなフォルテピアノで、ベートーヴェンのストレートな表現をぜひ聞いて欲しいと思う。 たくさん音が重なるとフォルテの厚い和音、右手一声になると弱音でのメロディー、ハイドンやモーツァルトに聞こえてくる、古典派のスタイルがそのまま。フォルテピアノで軽快に弾ける小粋な装飾音。 ベートーヴェンのパッションは楽器を上手に、最大限に使用して表現されている。 楽譜は左から右に読むからか、ピアノを弾いていると、音楽は左から右に流れていくような気もする。(または音符が右に現れて左に消えていく) でも鍵盤は垂直に打鍵。弦は平行に視界に入る。 出てくる音は垂直、だけでなくあらゆる方向に広がる。 そこにハーモニーの色があったり、鋭いリズムがあったり、音楽は本当に抽象的で、立体的で、つかむ事もできず不思議な、でもたくさんの「気」がつまっていてパワーのあるものである。 自分が音楽を奏でて、人に音の振動が伝わっていくのかと思うと、心地よいもの、美しいもの、温かいもの、パワフルな物、たくさんのよいものを届けられるようでいたいなと思う。

生徒さんのお話

夏休みが終わると、生徒さんのレッスン再開。 私のピアノお稽古場はコンセルトヘボウの楽屋入り口につながる通りにあり、とても贅沢な地域である。 幸い家賃が上がらない契約なのがありがたい。 その地域の近所に住むオランダ人M君はうちにもう数年レッスンに来ているが、何せこのアムステルダム中心地の旧南地区 Oud-Zuid (Old-South)に住む裕福な家の男の子で夏休みのみやげ話もいつもすごい。 今13歳だが、小さい頃はいつも オペア(Au Pair)と呼ばれる住み込みの子供の世話をするお手伝いの人に連れられて来た。 歩いて1分のところに住んでいても一人で歩かせないためである。3人兄妹で両親が共稼ぎ。そんな家族は家の中に一部屋余裕があると、お手伝いさんを住み込ませる。その家族に来ていたのはポーランド人で、住み込みしながら、英語の勉強に来ていた25歳前後の女性だった。 小さい頃から、夏休みが始まるとすぐに飛行機で外国へ。イタリアや南仏というのはもう、よくある話で、彼らはタイやニューヨークにも行っていたし、この前の冬は北極の側まで行って北極クマを見てきたそうだ。 2月の最後の週のクロッカスホリデーにはほぼ毎年スキー合宿。 今年はアリゾナ州のグランドキャニオンに家族で数週間と、ロンドンにクラスメートと一週間英語の勉強とスポーツを毎日するコースに参加したそうだ。 習い事はテニスにサッカー、前は柔道もやっていて、そしてピアノ。一時期はキーボードの打ち方をコーチする人が家に来ていた。すごく凝った飾りのついたTシャツを着ていたり、太陽の光が強すぎないように調節する眼鏡をかけていたり、とにかく頭もよく、お洋服もかっこよく、お話も上手でスポーツマンな秀才君だ。(いかに練習できなかったか、の説明もうまい) オランダの学校の夏休みには宿題が出ない! そして皆、家族と数週間ぎっしりキャンプに行ったり、旅行に行ったりする。 M君の場合、長期休暇でなくてもほぼ毎週末、郊外にある自然に囲まれた別荘に行き、おじいちゃん、おばあちゃんにもそこで合流したりしている。 小さなうちから世界中のあちこちにぽんっと旅行して、様々なことを経験しているだけあってスケールの大きな子である。 オランダ人は質素で倹約、あまりおしゃれに興味がない、というイメージもあるが、普段は倹約して、夏休みには長く休暇を取り、思い切り楽しむ。そういうメリハリが合理的だけれど、オランダの良い面だと思う。 日本ではなぜ夏休みにあんなにたくさん宿題があったのだろう? 水泳教室や、学校に行く日もあったりと、学校から完全に離れるときがない。親にとっては夏休み数週間子供達と旅行、というのは楽しみでもあるが、仕事を休むことになる。 私は家族で旅行をした、という思い出が少ない。 近所の公園で父や弟と遊んだ事、父のジョギングについていって毎週走った頃のコト、茨城の祖父母の家に行った事、家族でデパートへのお買い物。。。北海道の祖父母の所へ何度か行って大自然に触れたことは強く印象に残っている。それは多分、数日、と長かったのであちこち出かけた。 オランダ育ちのうちの彼には、「君はホリデーを経験したことがない」と言われる。 私の育った環境はあまり旅行はなかったが、父の転勤で大阪や岡山県にも住んだ。それで違う地域を体験したのは今思うととても貴重である。子供ながらに言葉を変えて話し、気候や人々、校風の違いに驚いた。

リラ型ピアノ

少し前の話になってしまうが、リラ型のピアノの修復がほぼ完成したということで、試弾に行った。 この楽器はスェーリンクコレクション(Sweelinck Collectie)というアムステルダムにあるコレクションに属する楽器で、ヘールフィンク博物館に、貸し出され設置され、訪れる人の目を楽しませてくれていた。 昨年から博物館のオーナーがぜひこの楽器の音色を再現できるように、との強い希望で、Gijs Wilderomさんが修復をしていた。それが終わったということで、楽しみに行った。何せ、リラ型やキリン型というピアノは何度も見た事はあるのだが、それが演奏できる状態というのは初めてだった。ハイスの工房で見るたびに、この楽器どんな音がするのかなあ、と興味を持っていた。博物館のオーナーによると、ベルリンにリラ型ピアノコレクターがいるそうで、演奏もしているので、いつかぜひ訪ねてみたいものだ。 音色はとっても豊かで、ウィーン式ピアノの系統の音色。19世紀のSchleip というメーカー。 少し撮影をしたので、よかったらこちらを。 You tube ‘ Lyra piano” とても背が高いので、調律するときに低音になるほどピンの位置が高くなる。 調律を少しさせてもらったのだが、なんと一本弦を切ってしまった。。。ハイス、ごめんなさい! ピンが私には高すぎて、ハンマーをピンと垂直に保てないで廻してしまったようだ。 ハイスの長身ではラクラク。。。 面白かったのは、全面にかかっている絹の布が、これまでかかっていたのはエンジ色だったのだが、ハイスが違う色に変えた。(破けがあったため)それを変える前に最初に弾いて、変えた後にまた弾きに行ったとき、音色がこもった。 後から買った布がほんの少し厚かったみたいだ。でも最初のではうるさすぎる、という話もあるようなので、少し厚くした黄土色の布に落ち着きそうだ。 音色が座っている正面から来るので、「うわー」と顔に当たるような気もするのと、この縦型のせいで音が垂直に縦に渡り、鳴り響くのでヴォリュームが大きい。当時、この楽器はどんなところに置かれ、どんな人たちが聴いていたのだろうか。 11月のアムステルダムのミュージアムナイトに、夜から夜中2時までの間、何度か演奏させてもらえることになっている。 いろいろなことに想いを馳せて、この楽器のためのプログラムを考えるのが楽しみだ。

イチゴサンド

イチゴの時期もそろそろ終わりか。4月末から5月、6月と、今年もよく食べたイチゴのオープンサンドイッチ。 特に朝ご飯に。 薄切りのイチゴをパンにのせて、白砂糖を少しかける。 パンとフルーツって合う。美味しい! これを食べると産後の時期を思い出す。

室内に砂場

今日は子供が行っている保育所についてのお話。この近所に住むオランダ人にとって、この地域にある小学校とともに、この保育所は 「あそこはアントロポゾフィーantroposofie 系なのよね」 (英語 anthoroposophy)と言われる。そこはシュタイナー教育を取り入れている、という意味なのだがとても評判が良い。 保育所ではCélestin Freinet, Thomas Gordon, Rudolf Steiner の3人の教育メソードを組み合わせて取り入れている。入所のときにもらったパンフレットにも詳しく教育方針が書かれているが、おおまかなものとして「自然との触れ合いを大切にする」「季節の行事や、パーティ(誕生日、クラスが変わるときのお別れ会等)を大切にする」「規則正しい生活」など。先生方いわく、話し方もトレーニングされていて、「私ー型」の話し方を使う。たとえば、「私はそれはよくないと思うよ」「私には**ちゃんが階段遊びが好きだというように見えるよ!」「私はこうしたらよいと思うよ」などなど。 毎日おやつの時間には、グループの子供達と先生で、「季節の歌」をうたう。歌えない赤ちゃんも含めて、とにかく先生は歌い、身振りや手振りをつけて元気に歌って、それからおやつ。そういう儀式的な決まりを、規則正しい生活として子供に覚え込ませている感じである。 「動物の歌」を歌うときには、その動物のミニチュアおもちゃをテーブルの真ん中に置いて、見えるように。 保育所ではさらにできるだけ「自然食品」の製品を子供達に食べさせるようにしているという。たいてい茶色いパン(白パンは出さない)だが、約週に一度はピザや、パスタ(トマトソースのみの手づかみできるもの!)のスペシャルな日がある。 3、4週間に一度は、ある団体から来る音楽家が子供達に生の音楽を奏でてくれ、楽器を触らせてくれたりもする。「え、また来てたんだ、、、」というぐらいしょっちゅう。コントラバス、リコーダー、電子ピアノ。。たまにうちの子はお昼寝中で寝過ごしてしまったらしいが。。。 部屋の中に、じつは床のふたを開けたら、砂場が出現!そこなら冬でも天気の悪い日でも砂に触れる事ができる。自然のマテリアル、砂、水、、、に直に手を触れることを大事にしている。小さな滑り台が部屋の中にあるのだが、その上部分のスペースも床を開けると、そこはお風呂の浴槽みたく、水がためられるようになっていた! 生後2、3ヶ月の頃は規則正しい生活なんてとんでもなかったが、早くから保育所に入れてすこしずつそれに慣れたことは、子供が一歳になった今、それが身に付いているのでとってもとっても感謝している。子供が無意識である時代から、感覚のアンテナが張っていて、それがはぐくまれるように、保育所が対応しているのがよくわかる。意思も強く、表現もハッキリのびのびとする。こんな環境に入れさせることができたのも、ラッキーなことで、本当に幸せなことである。 親も参加の誕生日会(午前中のおやつ時間に。ウチがおやつ持参となる)

火山灰から知ったコリアンダー事情

その日は夕食に友人が来る予定で、タイカレーを作ろうと思ったのだが、トッピングする新鮮なコリアンダーを買いにいつもの近所のイスラム系のお店に行ったが、置いてなかった。 アイスランドからの火山灰の影響で航空便がストップしているため、モロッコから来ているハーブ類を切らしているそうだ。聞いてみるとお店の経営者はモロッコ人だった。 いつも感じのいいおじさんで、その日はいろいろとお話してくれた。ラム肉などはオランダ国内で手に入るらしい。 コリアンダーがわざわざモロッコから空輸されていたとは知らなかった。 バジルやミントはイスラエルからの空輸だそうだ。 確かに、オランダの日照時間は短いから、ハーブ作りに向いている国とはいえない。 おじさんの話では、飛行機がストップしているため、タクシーでアムステルダムからバルセロナまで行った人がいて、3500ユーロ払ったとか。。。! しょうがないのでスーパーマーケットに行ったら、真空パックのケニア産のものが売っていた。 スーパーは火山灰事件よりも前にすでに仕入れてあったということか。 話はそれるが、最近、自転車でちょっと帰りに寄り道をして、イスラム系の人々が住む地域のオープンマーケットに行った。トルコ人、モロッコ人が多く住み、様々な食材が売っている。そして安い!たまたま店が閉まる時間帯だったのもあるが、バナナはスーパーでは数本で1.5ユーロくらいするが、そこではカメルーン産のモンキーバナナが10本くらいで1ユーロだった。 「これは小さくて、熟れきっていて、甘いのかなあ、この値段で美味しいバナナだったら、また来るぞ。。」 そして味見。 意外と甘くなかった。。。。。 それは蜂蜜をたっぷり入れたバナナケーキになった。 バナナケーキ用にまた買いに行くだろう。

Faces

今日は私が参加しているFACES というバンドについてのお話。 本格的にリハーサルがスタートしたのは、2008年だったか。 その結果が実となり、昨年は’Tijdlus’(タイドルス。英語でtime loop-時のループ)というタイトルのツアーで8つくらいのライブがあった。 このグループの活動は普段のクラシックとは全く違う方向性の音楽であるが、私はとっても楽しく参加している。 電子音楽、ロック、実験的サウンド、ノイズによる即興、親しみやすいメロディー、クラシックな要素、いろいろ混ざったTijdlus のプログラムであった。そしてそれらが映像と共に演奏される。 決して即興音楽のグループではなく、メインの作曲家が二人いる。 曲の中に、即興するスペースがもうけてある事は多い。 映像アーティストのヨーストが作った古い映像や斬新なサンプル映像、自分で作ったグラフィックなどを組み合わせて、私たちの音楽とコラボレーションしていく。その場のライブでの映像操作もあり、このグループの面白さはライブでしか味わえないと思う。 私はグループから借りているシンセサイザー「ARP -アルプ」、ハモンドオルガン、さらに自分のスピネット(17世紀の鍵盤楽器、チェンバロに似た、弦をはじく音がする)を弾く。 ケーブルがいっぱい! これらは昨年の写真。 今年は William Mumler という19世紀のアメリカ人心霊写真家をテーマにしたプログラムである。 ヨーストの映像が、今回はヴィデオではなく35ミリフィルムに創作された。 ヴィデオで凝った映像を作った後、フィルムに撮り直し、味わいのある映像となった。もはや即興操作はほとんどないが(色彩は少し変化できる)私達の音楽とぴったりとフィットしながら進むところが、すごいと思う。 ヨーストはもともとフィルムメーカーなので、彼の本領発揮。 4月にはアムステルダム、ウェスターパークのフィルム・ビエンナーレにて、選ばれたフィルムメーカーの一人として、映像+音楽のFACES が参加。大きな反響を得て、Mumler プログラムは今年、来年のツアーに向けて準備中である。

お琴とフォルテピアノの出会い

この演奏会はフォルテピアノが演奏会で頻繁に使用されている、数少ない場所でもあるヘールフィンク・ヒンローペンハウスという博物館にて行われた。1787年製のブンテバルトというテーブルピアノに、19世紀初期のブロードウッドのテーブルピアノ、それに1848年のロンドンのエラールという3台が現在演奏会で使用可能である。元々は、アムステルダムのコンセルバトリーに常設してあった、スウェーリンク・コレクションというフォルテピアノコレクションからの楽器であったが、音大が引っ越しした後に楽器コレクションの置き場はなくなってしまったため、コレクションは現在ではいくつかの場所に分散してしまった。 この博物館にもらわれた(置かせてもらっている)3台はとても幸運な楽器である。今では移って来た当時とでは比べ物にならないぐらい、命が甦り、声を発し、歌を歌えるようになった。最初の頃の半分眠った、ちょっとふてくされたような楽器が、笑顔になったように感じる。 楽器の調整はまだする余地はあるが、フォルテピアノの学生から卒業生まで何度も演奏会に使われ、愛情を注がれて、17世紀そのままのような見事な内装の建物内で、絵のように美しく納まり、でも活きた音楽を奏でられている。 現在3月末までの「日本展」の一環で、昨年ダイレクターの方に何か日本の楽器を取り入れた演奏会をしたいのだけれど、良い案はないかしらと相談されたのが始まりだった。最初は邦楽の演奏という案も紹介したのだが、結局フォルテピアノと共演してしまったらどうか、と思った。 お琴はピッチの問題はA=410だろうが440ヘルツだろうが何でもすぐに変えることができ、調律法もフレキシブルであることがわかった。だが、まったく文化背景の違うところで育った楽器。デュオは可能なのだろうか?! という疑問で一杯だった。 一柳慧氏の作品がすでに存在するらしい。それはエラールで演奏してみよう。 さらに、あと4ヶ月ほどしかないというところで、どなたかこのデュオのために作品を作曲してくださる方はいないだろうかと探した。オランダ人女性作曲家のミランダ・ドリーセンさんが約束できないけれど、実験的にぜひやってみたいと快くお返事してくださった。そして、曲が間に合った! ミランダの作品はテーブルピアノのために作曲してもらった。5オクターブの楽器で、ダンパーとリュートストップ、さらにテーブルの右半分の上部のふたが開閉できるタイプの楽器である。 ミランダの作品はシンプルでコミカルなイメージが最初と最後の自由なダイアローグ的部分に挟まれている構成である。それぞれの楽器の奏法を生かした作品で、特に彼女の指定した調律法によって和音の響きが面白くなる! 調律法は独特のもので、ここで全ては書かないがよくこういう調律法まで考えられるのだなあ、と感心するばかりである。 ただ、、ただ、、、調律に約1時間はみる。。。前日にも一度、当日の朝と直前にもダブルチェックした。。。さらにこの調律法にすると、ハイドンのソナタは弾けなくなった。。。のでプログラムも実はこの作品をいただいた後に変更した。ドレミファソ、、、が普通のドレミ、、のようには鳴らない。 一柳氏の作品とは全く違うキャラクターであり、どちらも演奏することによって、とても幅のあるプログラムとなった。 リハーサルしてみると、お琴はとてもシャープな音から柔らかい音、爪を使うのも使わないのも可能、強弱もエラールのグランドピアノに負けないフォルティシシモからテーブルピアノにぴったりな音量にできたりと臨機応変。 「びーん」とか「じゃじゃじゃん、、、」という爪ではじく、腰の入った日本的な響きはかっこいい! 結果、大好評に終わり、お琴とフォルテピアノの素晴らしい出会いの日はたくさんの方が聴きに来てくれて、皆で共有できたことがとても嬉しかった。特に、素晴らしい曲を作曲してくださったミランダ、ありがとう! (3月21日にミランダの曲は再演予定。同じ場所で4時から。25分くらいのプログラムなのでたくさんはできないが、もしご都合のつく方はどうぞ!プログラムの半分はオランダ人女優二人による「枕草子」劇である。)

赤ちゃんとピザ

ある日の保育所の日誌に、こんなことが書いてあった。 「今日のキッズ。、、、、 7名」 「お昼に保母さんのDさんがピザを注文して、テイクアウトしてきた」 ここまで読んで、「保母さんのご飯がピザだったのかな?」と思った。 「どの子もピザを美味しくたべたが、***君だけは、パンのほうが好きであった」 ***君というのは我が子である。 赤ちゃんのお昼ご飯に、ピザとは。。。 うちではまだ一度も離乳食でピザを与えたことがなかったので、それはそうだろうと思った。 それに、ピザのまわりの部分少し固くはないか? ピザといってもトマトソースに、チーズくらいだと思うので、問題はないのだが、保育所でピザを皆で食べるなんて、赤ちゃんのうちから楽しそうではないか。。。 さらにピザというと、テイクアウトとか、出前とか冷凍とか「手抜きご飯」のイメージがあったので、(時々しているが;;)うちの子だけピザに手をつけなかったのが、なんだか「それでいい、うん」と微笑んでしまった。 ピザはもう少し大きくなってからね。

子供は寝る。。。

前回のブログで書いたように、オランダの保育所スケジュールにあわせて家でも我が子を寝かしつけるように努力して数週間。 なんと、ちゃんと時間になったら寝るようになった。 午前10時と午後2時のお昼寝タイムになったら、さっとベッドに入れてドアをしめる。(家は一部屋子供に与えられないので、しきりのガラス戸を閉めて、視界に入らないようにする)最初は15分ほど泣きわめいていたのだが、2、3日で数分で寝付くようになった! 夜も同様で、今ではだいたい8時半就寝、朝7時起床というリズムが立派にできた。 今まで夜10時まで起きていたのは、「眠らない子の意思にあわせて」いたのではなく「大人の時間につきあわせていただけ」なのだろうか。子供はたくさん寝るのだ。。。 そして目覚めるととてもすっきりしていて、眠りも深くなったのか、夜中に起きる事がなくなった。 子供が寝たあとに彼に留守番を任せて、コンサートを聴きにいったりもできてしまう。(逆もある。。。) 静かな夜の時間も確保できて、精神衛生的にも良い気がする。 オランダ人の合理的なやりかたは日本では抵抗があるのかもしれない。 日本にいるときには母親や親戚に、 「ほら、**ちゃん泣いてるよ!」 「いつまで泣かせてるの」 となった。そこで泣いている子供のところにさっと行く。あやしたり抱っこしたりすると機嫌はなおるが、すぐに寝付かなかった。オランダのやり方だと、規則正しい時間が身体に身に付くのか、きっとおじいちゃん、おばあちゃんに預けても時間になったら、放っておけば寝るようになりそうだ。 現に、保育所でもその後、お昼寝の時間になったら問題なくさっと眠るようになった、と保母さんたちも一緒によろこんでくれた。 ある日本の育児の本で、泣く子を放っておいて育児する方法(特にヨーロッパ)と、泣く子にさっとお母さんが来るタイプと、その後の人間形成にどのような違いが出るかを追跡調査した、という話がのっていた。 泣く子は、最初は長時間泣いていたものが、短くなって、遅くても2週間ほどで躾ができるという。 その結果が面白かった。 泣いても親が来ない、ということを学ぶと泣いて呼ぶのをあきらめる。それが、「あきらめの早い子になる」とあるのだ。 本当なのだろうか?!!? 「赤ちゃんは泣くことでしか意思を伝えられないから、できる限り意思を通してあげる」という考え方がある。 そういう本の影響もあり、はじめは赤ちゃんを泣かせておくのが罪悪に感じていたのだが、よく寝る子を見ると、自分はこのやり方でいこう!と思う。あきらめて寝ているのではなく、ただ習慣で眠気が来るようになったのだろうと思う。 「寝る子は育つ」という言葉はオランダの保育園でも聞いた。

育児の違い!

1月の半ばに妊婦ヨガのクラスで一緒だったメンバーで新年会。 こちらではパーティといえば旦那さんも一緒が普通。といっても7人の元受講者の中でたった一組しか結婚していない。 ところで、その新年会で大きくなったかわいい赤ちゃん達を見るのは幸せな時間であった。 パパママ達もみんな、幸せいっぱいなオーラが漂っていて、同じ頃にハイハイを始めたり離乳食を始めたりした子供達の成長を共有する。 私がまだ夜や朝に一日一回か二回母乳をあげていたのだが、「えー、まだあげてるのお!」との全員の視線を受けた。 すでに誰もあげていなかった。 いわく、3ヶ月までは「フルタイム」、6ヶ月まで粉ミルクと併用で、その後はもう粉ミルクのみ。離乳食も始めたから、という。日本ではよく、3歳になってもあげている人も多いらしいし、1、2年は普通らしい、と思っていた。 ヨガメンバーのオランダ人ママは全員仕事持ちで、 「母乳やめたら、自分にエネルギーが戻って来たわ」 「うん、やっと調子が戻ってきて、仕事もできる」 と生き生きと言う。 1年ぐらいすればいいかな、と気楽に考えていたが、子供はご飯にも興味を示しているので、まあそろそろやめても、粉ミルクもあげていれば栄養の面では、母乳の一番大事な時期は終わっているのだと思う。 さらに、先日保育所で小さなおしかりを受けた。 うちの子供が一番、寝るときに泣く。と。 「いつも寝るまで抱っこしたり、あやしたりしてませんか?」と。 オランダ式では、赤ちゃんのうちから子供部屋(家にスペースのある人は作るのが普通)に一人で寝かせ、就寝時間は夜7時から8時頃が多い。うちは10時過ぎのときも。。。 だって、仕事から帰って、食事与えて、少し遊んで、お風呂に入れて、着替えして、、、とすぐに寝ないからもう一度ミルクで、おやすみ、、というパターンだったのだが、 「子供が疲れて泣くー寝る、というのはだめです。泣き始めたらもう遅いのです。」 オランダ人は、泣く前に、こちらが寝る時間になったら、パジャマに着替えさせ、ベッドに寝かせ、本を読み聞かせ、電気を消してドアを閉める。 泣こうが、放っておき、一人で寝付くようにする。 そうして、昼寝も決まった時間にさせるべきらしい。 だから、家でも保育所のスケジュールにあわせて昼寝の時間の習慣をつけて欲しい、とのこと。 そうか、、、うちは疲れるまで遊ばせ、疲れてきたらベッドに入れると寝たり、泣いたら寝たりと、適当。昼寝する日もあり、しない日もあり。そりゃあ、昼寝しないときもある子が、いきなり昼ご飯の後暗い部屋に入れられて、他の赤ちゃんも一緒で、ドアを閉められたら、怒るだろう。。。泣くだろうと想像がつく。 子供が7時(!)に寝付くなんて、どうやって6時から保育所から連れて帰り、ご飯と寝る準備を終わらせるのだろう! でもそうすると、「大人の時間」がちゃんと確保される。それもオランダ人にとっては、非常に重要なようだ。

クレメンティッシモでスタート

今年最初の演奏会。 とっても寒い日が続いていて、さらに日本から戻って5日目ということだったので、子供の時差ぼけやリズムが崩れることも心配であった。それに3週間べったりとおばあちゃんや親戚にかわいがられ、甘やかされてきた子供が保育所に戻ったときに、泣いたりしないのかなあ、という心配。 ところが、なんと良い子。保育所にいけば行ったで、ちゃんとそこで遊んでいたらしい。 一日目くらいはときどき泣いたらしく、3日間は時差ぼけもあってほとんどお昼寝をしなかったそうだ。 ただ起床が5時頃だったりしたので、子供と早朝に遊ぶはめに。 でもその3日間をフルに利用してさあ練習! と朝からピアノの部屋へ直行。12月からちょっと調子が不安定だったモデレーターペダルが、まだヘンで、これではまずい、と楽器のアクションを取り出したりしていたとき、、、、 「ポキ」 という音が。 「あ、やばい。。。」 ハンマーが一つ折れた。とっても初歩的なミスでアクションを取り出すときの注意が足りなかった。。。 修理、修理、、、。ハンマーの修理は意外と簡単で、動物の骨から作られた木工用ののりでつなげるだけ。 幸い切れ口もぴったり合ったので、ひもでしばらく固定しておいたら数時間後には復活した。ほーっ。 さらに、モデレーターの問題もフェルトが動き始める部分のネジを右や左に廻すうちになんとか直ったようだ。 ‘ Clementissimo!’ – オールクレメンティというプログラムであったが、反響はとてもよかった。 「ベートーヴェンやハイドン、モーツァルトの誰にも似ていないんですね」 「彼は、モーツァルトみたいなピュア、ミュージシャンとは違うねえ」 「ベートーヴェンみたいな転調や、低音の感じがしました」 どれもこれも、私もそう思う。モーツァルトに比べて「音楽的じゃない」と言ってしまえばそれまでだが、 クレメンティにしかないオリジナリティの面白さは、私も感じるところが多く、ここで言葉で語るのではなく、音で皆さんに徐々にお届けしてゆきたいと思う。 賞をいただいたときも「クレメンティアワード」だったし、今回の急なコンサートでもクレメンティ。 クレメンティにはいつも助けられている。 それにしても、この冬一番の寒い日、となり、部屋では温度約20度、湿度41%だったのが、ホールの温度16−17度、湿度36%と差が激しい所に数時間前から楽器を置いたが、演奏中の調律はそこまでひどくならず、よかった。。

雪のアムステルダム

日本から戻って来たら、オランダは一面真っ白であった。 運河も凍り、手袋なしでは手が痛い。 今年の年明けは地元の薬師というお寺に夜中に初詣に行った。 そこは6号国道に面した、小さな寺であるが、子供の頃には幼稚園もやっていて通ったところであった。 今では毎年の初詣客で、元旦の夜中には長蛇の列ができる。 彼にとっては、生まれて初めての「花火のない」静かな年越しであった。 元旦には筑波山の麓近くの、母の実家に行き、「ゆず」を取るという日本でしかできないことをした。 日本の冬の香りを胸いっぱいに満喫した。 こうして写真で見ると、日本の冬の日差しはほんとうに明るくて、暖冬とはいえ、心が晴れる。

オランダの秋色

最近、空気がめっきり冷たくなった。 こんな色に紅葉していた葉も落ちてしまい、冬がやってくるなあ、という気配。 最近オランダにはたくさんのブラウン・ビールがあることを発見。 グロールシュ、バヴァーリアのメーカーも秋のボックビールというのを出していたけれど、各地の醸造所でボックビールを作っているらしい。リカーショップに行くと、オランダで製作されたもの、ベルギー製のもの、とたくさん売っていた。 「ボック」というのは雄ヤギのことで、なぜかブラウンビールのネーミングになっている。 オランダ製のものをいくつか、買って味見してみた。 ちょっと苦みがあるけれど、美味しかった。

解き放つこと

10月には、パレルモにも行ったり、その後すぐに、ギターのダリオがアムステルダムに来て、演奏会があったりで、仕事本格的に再開し始めた。託児所のおかげもあり、うまく軌道にのってきた。 パレルモから戻り、朝の飛行機でアムステルダムに到着してまっすぐ託児所へ子供の顔を見に行く。 そうしたら、子供のほうは、「ん?」という顔。 きょろきょろして、「あれ、この人誰だっけ?」 という顔。・・・・・ちょっとショックだった。でもこれは実は託児所に迎えにいったときのいつもの反応でもあった。 それでも授乳していて少ししたら、ニコニコして、遊びだした。ホッ。。。 忘れもしない10月15日、夕方子供を託児所に迎えにいったときには、私を見たとたん、ニコーっと笑って、両腕を差し出して来た。 「あー! 私のことわかってくれた!」 ・・・ということで、やっと5ヶ月を過ぎて私の顔を覚えて? 認識してくれたのだ。 それから最近、ひとりで哺乳瓶を支えてミルクを飲むことができるようになってきた。 ある日、赤ちゃん用の椅子(背もたれがゆるい)にいる息子に、哺乳瓶を託して一人で飲ませてみた。 そうしたら、飲んでいる。。。 いつもは自分の膝の上に抱いて、上から顔を覗き込む風景であったのが、その日は椅子に座る子供に正面から対面する。 それがまた、初めてのことで、なんだかむずむずとしてきた。なぜか。。。何かヘンだ。。。寂しいのだ。 自分の膝の上に抱かなくても、一人で私から離れたところで、ミルクを飲んでいる。接触がなく、一人でこなしている。「もう私を必要としていない」というような気持ちになる。もちろんそんなはずはないのだが、一つづつ、出来なかったことが出来るようになり、べったりくっついていた赤ちゃんだった存在から、離れていくような気がした。そこで、「でも抱っこしてあげようかな。そうして目を見て飲ませるほうが、愛情が伝わるかな?」と一瞬考える。 「待てよ、でも出来る事をやらせることも大事なのかも」 と、そのときは一人で飲ませる事にした。自分が抱っこして触れていたいというだけで、どちらが子供にとって良いことなのかと考えると、独り立ちさせることは大事に違いない。 ミルクを飲む、という当たり前でささいなことかもしれないのだが、ここで、一人で飲ませる小さな決断は、あえて自分から放れてさせることを受け入れて、がまんした日であった。

パレルモ市での滞在

パレルモに来たのはなんと3度目。・・・・の正直で、演奏会が実現してとても嬉しい。 演奏会は非常にうまくいき、音響がとくになんといっても、素晴らしかったので、ギターとフォルテピアノの溶け合う音色に耳を任せて楽しむ事ができた。そして良い新聞批評をいただいて、とても嬉しかった。 パレルモ市は、何度来ても車の多さに少しへきえきする。オランダで1、2ヶ月前くらいに、パレルモの道路のゴミ収集の仕事に従事する人たちのストライキのため、ゴミが2週間近く収集されず、街の中がゴミの山である、というニュースを見ていたので、え、今もストライキ中?と一瞬思ったくらい、あちこちのゴミ袋の山が目につくのが、とっても残念なところであると思う。 大通りのショッピングストリートの近くにホテルがあり、オランダよりもずっとファッショナブルな靴やバッグや洋服や、様々なお店のウインドウショッピングをして楽しんだ。オランダもここ数年、オランダ人女性の服装が昔よりずっとフェミニンな傾向のスタイルになってきたと思うけれど、イタリアのエレガントで洗練された、線の柔らかなデザインが多いのを見ると、オランダにこういうの、ないよなあ、、と何度もため息であった。 出産後はじめて、4日間、子供から離れて滞在。 それはとてもヘンで不自然な感覚であった。到着した次の日から、子供に会いたくて抱っこしたくて、しかたがなかった。でも子供を連れて来ていたら、やはり演奏会に集中しきれなかったかもしれない。4日間のうち、3日間たまたま託児所がある日であったが、彼がしっかり子供の世話をしてくれた。 おかげさまで演奏会はうまくいった。

サルデーニャでの思い出

・・・サルデーニャ滞在中の演奏会はもう一ヶ月も前になるが、古い教会の石に響く音響の中、なごやかな雰囲気の中でうまくいった。 サルデーニャで思い出に残っている「顔」が二つある。 ひとつは、演奏会があった1321年建立の教会の中で、正面の祭壇の壁に、古く、色あせかかっている天使が何人(どう数えるのかしら?)かあり、その中のひとりの天使の表情である。こぎれいで美しい天使と言う感じではなく、すこしぎょっとするような、古くてすごみが感じられた顔であった。 もうひとつの顔・・・は教会の管理人をしているカルロスさんである。 毎日来たときと帰るときに鍵を開け閉めしてくれた。私が一人で練習をしていた時に、カルロスが入って来て、「君、歌の伴奏もするかい?」らしき事をイタリア語で話しかけてきた。(そう理解した) 「はい、シューベルトとか、モーツァルトとか?」 「うーん、、、そういうのじゃなくて、アンドレ、とか」 「アンドレ?」 「・・・・」 アンドレというのは、イタリアで流行っている歌手らしい。年代は調べていないけれど、歌謡曲か、、演歌系か。。でも知らなかったから、何か歌いたそうなのを感じたので、うーん、どうしよう「イタリア人の知っている歌、、、」と、安易にオー・ソーレ・ミオを弾いてみた。そうしたら、歌いだした! 気持ち良さそうに一回歌い終わって、もっと、、という顔をしているので、さて困った。 もう一曲、、そうそうこれもあった、と「帰れソレントへ」を伴奏したら、歌ってくれた。 カルロスさんに「クレメンティって知ってる?」と聞いたら、「オエー・・・」という顔をした。 イギリスに渡ったクレメンティは、もうイタリア人ではない、と。確かにイタリアの音楽というよりは、イギリスの影響のほうが色濃く出ているからカルロスさんの気持ちはよくわかる。イタリア人はやはり、明るく、朗々と歌いたいのだなあと思う。クレメンティは少し暗い影がある作曲家で、私はそこが好きなのだけれど、サルデーニャにはやはりあまり似合わない。 オランダに住んでいて、イギリスからも近い曇りの日が多い北ヨーロッパでは、クレメンティもしっくりくる。 自分ももし、イタリアに10年住んでいたら、クレメンティなんて、、、と思うのだろうか。

エラールのテーブルピアノ

今回の演奏会は、シシリー出身のギタリスト、ダリオ・マカルーソとのデュオ。 使われたフォルテピアノは、フランスのエラールというメーカーの1805年製テーブルピアノである。 ペダルが4本あり、5オクターブ半の音域。 プログラムにはフランスものもあり、18世紀の通奏低音伴奏の作品にもわりとよかったので、私達のプログラムにはぴったりのものであった。 やはりオリジナルの楽器の音色は、楽器から漂う香りがある。ダリオもやはりオリジナルは味わいが良い、と気に入っている。ペダル2本は使えなかったがコンディションはまあまあ、でもタッチの調整はされていないようだった。 が、演奏会前日になり、雨の一日というお天気のせいか、調整の悪かった部分がさらにひどくなり、いくつかの音が出なくなってしまった。オーガナイザーに楽器の調整をお願いしたい、と頼んでおいたので、演奏会当日の朝、カリアリ市の楽器製作家、 Marco Carrerasさんが来てくれた。最初の日のリハーサルの時に、奇麗に調律されているなあ、と思っていたので、マルコさんは私の調整の希望をわかってくれるだろう、、と思っていた。そして念入りに丁寧につきあってくれて、楽器はずっと弾きやすくなった。カレーラスさんは、チェンバロも制作し、フォルテピアノもシュタインモデルを製作したそうである。 主に、弦からハンマーの跳ね上がる最高位置への距離がばらばらだったのが原因だったのだが、イギリス、ブロードウッドのテーブルピアノは18世紀のものでも、ねじがついていて、手で簡単に高さを変えることができたはずだった。でもエラールにはそのねじがなかったので、鍵盤の手前の方で固定してあるポイントに、薄い紙を入れたり出したりして調節した。 楽器調整中いくつかのイタリア語の単語を覚えた。。。 アルト(上に)、バッソ(下に)、ベーネ(良い)、ノン・ベーネ(良くない)、メイヨー(より良い)。。。 イタリア語はとってもメロディアスで、よどみなく流れるように聞こえる。 話せたらいいなあ、、、と強く思う。

子連れ旅行 サルデーニャ島

もう2週間も前の話であるが、イタリアのサルデーニャ島が5ヶ月になるうちの子の初めての飛行機での海外旅行であった。 なんといっても荷造りに一週間以上まえから私が緊張。 気候はどうか、熱がでたらどうしたらいいのか、何枚の洋服、下着が必要か、いくつのおむつが必要か、飛行機に乗るときに粉ミルクを作るためのお水を持ち込めるのか。。。ホテルにキッチンはあるのか、哺乳瓶の煮沸消毒はできるのか、冷蔵庫で母乳を保存することもできるだろうか。。。 結局彼と二人でもてる限りの荷物となり、キャスター付きのスーツケースが大小3つ、ふたりともリュックを背負い、さらにベビーバギーを押し、車用のチャイルドシートも持参した。リュックを背に、片手でバギー、もう片方の手でスーツケースみたいな感じである。 電子レンジと冷蔵庫は使える、という話を聞いたが、お湯を湧かせるような旅行用の器具も持参。 哺乳瓶を洗うかもしれない小さなボールも持参。。。 産後初復帰の演奏会があったため、演奏会用の衣装と靴、楽譜に、一応録音できるようマイク、録音機、楽譜、これだけでも気をつかう。六泊七日の滞在のため、おむつはひとパック(40個入りまるごと)用意。母乳をリハーサルの合間にあげられるかどうかわからないので、粉ミルクも25回分程もっていく。サルデーニャに行くにはアムステルダムからローマで乗り継ぎしなければならなかったので、機内持ち込み荷物にも粉ミルクは2回分入れる。ミルクをどこで作るかもわからないので、ミルク用の一度煮立てた水の他に小さな魔法瓶に熱いお湯を入れていく。荷物検査では、赤ん坊がいると意外とすんなりと、お水も持たせてくれた。ホッ。。。 途中の小さなハプニング。到着までのあいだに、子供がうんちをして、つなぎの肌着を汚す!!! そして、着替えの下着を持っていなかったことが発覚。(ママ注意足りませんでした) すべてスーツケースの中に真空になるように必死に詰めたところだった。ミルクとおむつはばっちりだったのに。かわいそうに、汚れたのが、乾いて、、、そのまま到着。途中空港で買おうかとも思ったが、そういうものは売っていなかったのもあり、もういいや、、と買わなかった。 到着時のハプニング! 彼の荷物が紛失。 私のドレスや演奏会のもの、子供のおむつなど必要なものは全て到着したのでまだよかった。(荷物は3日目の夜に戻った) ホテル(B&B)は4月に改装したばかりの奇麗なところで、子供用のベッドも用意してくれていたので一安心。 到着した晩、持ってきた粉石鹸で汚れた子供の肌着を手洗いして、バスルームにひもを張って干す。 がオランダのようにはすぐに乾かない。 そうだ、外に干してしまえ。小さなバルコニーがあったので、あまり外から見えないように3日目の日中に干す。 その日の夜、鳩がフンをした! やっと乾きかけていたのに。 よく見ると、バルコニーはすでに鳩の落とし物で汚れていたので、予測できたかもしれない。洋服はなんとか足りそうだったので、演奏会の前日にはあきらめ、なま乾きでフンつきの哀れな洗濯物はそのままオランダへ持ち帰った。

動物がいっぱい

素敵な大きな絵本をいただいた。子供のためにたくさんのお祝いをいただいているが、この大きな絵本は動物がどのページにもぎっっっしり。木版画っぽい輪郭で描かれている、テクニックのことはよくわからない。 「海の動物」、「巨大な動物と小動物」、「白と黒の動物」、「夜の動物」、、、ぎゅうぎゅうとページいっぱいにひしめく、どれも違う形、大きさ、色。 絵本の大きさが子供と同じくらい。目の前いっぱいに広がる世界に、興味を示す。。。が、掴んで壊さないでねー!

Böhmのフォルテピアノ

前にも話題にでた、Gijs Wilderomさんの工房に、修復中のウィーン式フォルテピアノがある。 最近、何度か弾かせてもらったが、とてもインスパイアされる楽器である。 数ヶ月前に弾かせてもらったときに今ひとつ鳴りに抵抗感があった。ハイスさんの中でもひっかかっていたらしく、ある部分を全部やりなおしたそうで、ずっとよくなった!楽器の修復の小さな作業は、すべての音にやりなおし、となると膨大な仕事である。でも、インスピレーションを信じてやりなおした決断はすばらしい。 なんて音楽的な楽器。というのは変な感想かもしれないが、思った音色が指先を通して、反応しやすく、しなやかにかえってくる。鳴りもとってもナチュラルになり、ウィーン式の軽さをもちながらも、スカスカしない「singing tone」のつまった音。 ハンマーシャンクに使用した洋梨の木は、オランダの果物畑といわれているBetuwe地方のものとのこと。 ポイントは、「蒸気処理をしていない木材」であることだそう。 18、19世紀のハンマーシャンクも梨の木はよく使われ、蒸気を通していないものであったらしい。そのほうが、強く、かつ、しなりがよく、強いタッチを受け止めて楽器を鳴らすのに、優秀らしい。そこで、蒸気を通してあると、微妙に木が柔らかく、楽器の鳴りにはマイナス点となる。 さて、この楽器はJoseph Böhm というウィーンのメーカーにほぼ間違いないと思われるが、ネームプレート(メーカーの銘柄の書いてあるボード)がない。 しかし、楽器の形、スタイル、ネームプレートのあるBöhmと比べることによってほぼそのようである。 もうひとつ証拠として、N.Y.のメトロポリタン博物館にあるBöhmとの共通点がある。 それは、楽器のメカニックを取り出したときに見ることができる、内蔵のベリーレイル(ピアノの内部、ハンマーのメカニックの背後にある支えの木材)に、鉛筆書きの「サイン」があった。 メトロポリタン博物館のBöhmとハイスさんの楽器の内部の同じところに同じ形のサインが!(下の写真のうち、上がメトロポリタン博物館の楽器。光っていて少し見にくいが、、確かにありました。) ハイスさんによると、「合格」とか「オーケー」みたいな意味ではないかとのことである。 製作家Böhmが自ら、鉛筆でサインしたものかもしれないと思うと、ゾクゾクする。

オランダの託児所

託児所の「慣れ期間」が始まった。 週に3回申し込み、朝8時/9時から夕方6時まで。だが今は一日5時間から始め、一週間ごとにに6時間、7時間、9時間と長くしていく。この期間は「母親のため」にあるそうだ。子供は自然に慣れていくものだが、母親にとっては初めての「お別れ」。 一日目・ ・・預けた後、ずっと子供のことが頭から離れず、のんびりできない。 戻ってくると、ちっとも眠れなかったらしい。 いつもと違う環境だからしょうがないが、泣いていたのかと思うと可哀想になる。 ベイビーグループは、オランダ人の保母さん一人、モロッコ人が三、四人働いており、一人は有色人種の女性。自分の子供がまったく異文化の人に面倒見てもらい、一緒に育てていく(と託児所の方はいう)ことになるとは、想像もしていなかった。 有色人種の女性は、ケニア出身のメロディーさん。でも一人一人話していくと、皆とっても心の良い方たちで、本当に子供をかわいがってくれる。 モロッコ人の保母さんが多いのは、実はちょっと知られていることらしく、 大家族に慣れていて、子供の扱いが皆、上手だそう。 本当にそうで、何度か行くうちに、保母さんへの信頼感が増してきて、安心してきた。 言葉や文化が違っても、赤ちゃんだからこそ、心と話しかけのイントネーションでちゃんと通じるみたい。 そして子供が、保母さんに笑いかけている。 アムステルダム育ちは、国際的になるかしら? 両親や義父母に頼らない、アムステルダムの若いパパ、ママさん達にとっては、託児所の利用はごく普通なことである。 ひと月約800ユーロ(週に3日)かかるが、約半分(またはそれ以上)が国から戻ってくる。 最初は子供を預ける罪悪感みたいなものが一杯だったが、働かなければならないし、音楽の時間に使わせてもらえる環境に感謝である。

リチャード・エガーのモーツァルトP協奏曲

8月5日。とっても久しぶりのコンセルトヘボウ大ホール。。。 なんともぼけていて、間違えて小ホールに入って席を探してしまった。 偶然小ホールでもフォルテピアノの演奏会で、舞台の上のフォルテピアノを見つけてすぐにはわからなかった。そちらはロナルド・ブラウティガムのベートーヴェンピアノソナタの夕べだった。 でも私が聞きにきたのは、リチャード・エガーのモーツァルトのピアノ協奏曲 KV 415 ハ長調。 オーケストラは NJO Orchestra of the 19th century! 18世紀オケではなく、19世紀オケ? これは10日間の若い音楽家のためのプロジェクトで、これまで一度も古楽器を演奏したことのない人たちが、プロジェクト中に招待された指揮者とともに勉強して、演奏会で披露、というものだった。指揮者はリチャード・エガー。 最初はハイドンの交響曲第101番「時計」。 2楽章の有名な時計のチクタクをファゴットと弦楽器がを刻むところ、アーテキュレーションがくっきり聞こえて、ピッチや発音があやふやだと、とっても聞こえやすい。。。絶妙な緊迫感と温かみが伝わる。 3楽章のメヌエットは3拍子の音楽で、3拍目が次の小節を誘い、どんどん、どんどんと音楽が気持ちよく流れてゆく。3拍目から1拍目への緊張感、ときには2拍目のアクセント、、とハイドンのリズム遊びをすごく楽しんだ。 そしてモーツァルトのピアノ協奏曲。 リチャード氏が最近購入したGijs Wilderom の楽器にも興味があった。 Gijs ーハイスさんはずいぶん前からとってもお世話になっているフォルテピアノ修復家、製作家である。ハイスの楽器は、ずいぶん練習やトライアウトもさせてもらっていたのでよく知っていた。

そろそろ産休終わり。。。

3ヶ月経って、赤ちゃんとの生活のリズムが整ってきた。 ミルクをあげる時間は、産褥看護士さんには3時間おきに、と言われていたが、なかなかきっかりにはいかないので、欲しがるときにあげて1時間半から4時間おきのときもあった。寝る時間も不規則だった。日本では「自律授乳」という母乳の仕方の言葉があって、欲しがるときに一日に何回でもあげる、というやり方があるそうだ。 オランダでは3時間おき、というのは基本として保健所の本に書いてある。 先日オランダ人の義理の姉の家で、同じ頃に生まれた赤ちゃんに、きっかり3時間のスケジュールを実行しているのをみて、ショックを受けた。 そのうちに託児所に行ったりすると、「お宅の子供のスケジュールは?」と聞かれるよ、といわれあせった。 「うちの子は、スケジュールなんて言葉でいえない。。。」 託児所は赤ちゃん一人一人のスケジュールにあわせてくれるのか。。。 それから、「3時間おき」に挑戦してみた。 今までで一番問題だったのは、上手に寝かせられなかったこと。 泣くのを放っておけなくって、泣くとすぐに抱っこしてあやしてしまう。そしてひたすら子守唄を歌い続けてみる。 だが2ヶ月半ぐらいから、2分、3分と泣かせっぱなしにしてみた。 すると、たいてい、最高でも7分ぐらいで眠る。 「なーんだ。。。」 目が覚めたときに「さっき泣いたのに来てくれなかったじゃないか」という表情はなく、すっきり目覚めるし、抱っこしてもなかなか眠らない、、、という神経質な状態から、深く健康的に眠っているように見える。 そうすると、3時間ぐらいたつと、自然に目が覚めたり、寝すぎるときにはこちらが起こすこともできる。実際無理に起こすことはほとんどする必要がなく、リズムがつけやすくなった。 夜中に起きることも最近減ってきた。 母乳だと、消化がよく夜中に起きる回数も多くなりやすいとも聞く。 そのために、夜寝る前には粉ミルクに変えてみたりしたが、結局母乳でも自然に長く寝るようになった。 保健所の定期検診に行ったときに、3時間スケジュールについて質問したら、「あなたの好きな方法ですればいいのよ!」と。 母乳だろうが、粉ミルクだろうが、夜中に何回も起きようが、何歳まで母乳をあげようが、「あなたがハッピーなら私もハッピー」となんでもアリ、の答えをもらって少しまた驚いた。 オランダでは仕事を続ける女性が多く、一般的には出産後3ヶ月まで産休である。その後、託児所やベビーシッターを週に2−4回利用しはじめる。 夫も週に4回働くという人も多く、または両親が近くに住んでいて週に一回くらい協力してくれる場合もある。基本的には両親に頼る人は少なく、夫婦で協力して子育てをしていく。 3ヶ月しか母乳をあげない、と仕事の開始と同時にわざと母乳をストップしていく人もいるようだ。 でも母乳を続ける人は、冷凍保存して託児所に持っていったりもしてがんばる。 うちも託児所を近いうちにスタートすることになっている。

Astor piano?

知人がこんな写真を送ってくれた。 アメリカ、ヴァージニアにある第5代目大統領ジェームス・モンロー(1758-1831, 任期1817-25)の家にあったピアノだそうだ。 一見、典型的なイギリスの1800年頃のテーブルピアノ。 でもメーカーのAstor (London)というのは聞いたことがない。ブロードウッド(当時の有名なイギリスのメーカー)といわれてもおかしくないそっくりさである。 当時、小さなメーカーは大きなメーカーと同じ部品を使用してピアノを製作することもあったと聞く。または、有名なメーカーの楽器を修復して、その後には自分の名前をプレートに入れてしまったか。 とにかく、Astor氏はどのような楽器を作った、または修復したのか、演奏可能であれば、音を出してみたいという思いにかられる。 ちょっと調べてみると、面白い手紙をインターネットでみつけた。 Read “the letters about the Astor piano (source: New York Times) 一つ目の手紙は、ブロードウッド社が、’Astor & Broadwood’ というパートナーシップはない、という事実をロンドンタイムズ誌に知らせている。二つ目の手紙では、Astor氏はブロードウッド社にピアノを注文しており、7月か8月にはニューヨークへ船便で送りたいとのことである。1795年の手紙。もしかしてこのピアノがモンロー大統領のピアノになったのかしら? この手紙を書いた

サギ

アムステルダムらしい、レンガ作りの家の日本でいう4階に住んでいるのだが、通りの大きな木のちょうどてっぺんあたりが窓からよく見える。 今の季節、緑の葉っぱが色濃く茂っている。 たくさんの鳥がこの木にとまりにくるのと、すぐそばの空を眺めることが多くなり、鳥の目の高さを楽しんでいる。 でもこの訪問者にはちょっと驚いた。 サギ(reiger)である。 この鳥はアムステルダムの街の中で、地上でよく見かける。 住宅用ボートの上にいたり、ひょこひょこっと公園を歩いていたり。 でも朝起きて、窓の外に大きなサギが木の枝に立っているのをみて、ぎょっとした。もちろん鳥だから飛んでこられるはずだね。。

預かりもの

階下に住む、中国人とオランダ人のカップルがドアをノックしてきた。 一ヶ月のホリデーに出かけるので、あるものを預かってほしいと。 それは、「かめ」に入った「亀」であった。 亀には名前がないそうだが、カリフォルニアの亀だそう。体の裏側がオレンジ色で鮮やかである。確かにその亀のことをファイアーフォックス、と言ったのだが、その種類は探しても見つからない。 ちなみに彼女は妊娠4ヶ月なのに、ユーゴスラビア、チェコ、ポーランドへのキャンプ一ヶ月のホリデーに出かけた。 大事にしてね。。。

かぼちゃの花

あー! ある日ベランダをみてびっくり。 約2ヶ月前にいただいたかぼちゃの苗に、立派な花が咲き始めた。 そういえばかぼちゃの花は黄色であった。 この数日続いた、真夏日のおかげで太陽の光をたっぷり浴びて、葉っぱが大きくしっかり育った。 数センチの双葉の苗だったのに。 実がなる日が楽しみだ。

出産事情今昔

60、70代の知人の女性たちが、自分たちの頃の出産の体験談を聞かせてくれる。 「私は2日間かかった」「3日間かかった」「ワゴン車の中でさっと産まれてしまった」 「自宅でさっと産まれてしまい、夫が靴ひもを解いてへその緒をしばった」などなど。 さらに、当時は時間がかかったときには、「驚異のオイル」というのを薬局で買って来て飲んだ、という話も。(70代オランダ人) そのオイルの原料はなんなのだろうか〜? 最近はきいたこともない。 それから oudse bruin beer という種類のビールを飲むと母乳によいよ、というのは3人から聞いた。 ビール飲みたいから、試してみたいが、アルコール禁止じゃなくてよいのだろうか。。。!

育てること

久しぶりにピアノの鍵盤に触れる。 聞き覚えのある音楽が、耳の中に響く。 ただ、指がやや鈍い。でも、、でも、、、ピアノを弾くとあついものが込み上げて来て、音楽がパワーを与えてくれる。 久しぶりに外の空気を吸うと、アムステルダムの街は変わりなく、シャボン玉の中ででも暮らしていたかのような気分になる。 子育てとはなんと時間がかかるものだろうか!!! ピアノ曲を勉強するときに、時間をかけて育てていくのに似ている。 曲の持っている力、内容を理解すること、弾き込み、自分の考えや感覚を投影させてから再創造すること。 時間をかければかけるほど、作品がよくなるように、子供と一緒に過ごすことで、理解が深まるだろうか。 じーっと見ていると様々な表情をする。 赤ちゃん言語は、難しい。。。

フリーランサー

自分はオランダでは、「フリーランス」の音楽家という立場で、’ワンマンビジネス’(従業員がいない仕事)という登録になっている。日本では「自由業」にあたる。 アートに関する仕事の人ばかりでなく、オランダでこの肩書きの人に時々出会う。特に昨年お世話になったのは、大工さん。そして今回、助産師さんにお世話になった。 大工さんについてはまたいつかの機会に書くことにして、今回の出産でお世話になったのはフリーランスの助産師さんだった。 私が通っていた助産院には4人の助産師さんがおり、出産の際にはそのうちの一人が担当してくれることになっていた。 だが。。。。実際に「その時」が来たとき、助産院の緊急用の携帯電話にお返事をしてくれたのは、その日たまたま入っていたフリーランサーのピンチヒッター。 こういうことも、あり得ます、とは聞いていた。 だから初めて会う方が、緊急の破水に来た。誰が来ようと、助けてもらえるなら、、、という気分だったのでかまわなかった。 ただ、覚えているのは、一応土足禁止にしている家に、ずんずんとブーツで入って来て、ロングヘアーが動くたびにをぱさっと翻り、香水が漂っていたこと。 「ごめんね、香水あなたにはきついかもしれないけれど」とも。 てきぱきと仕事をして、風のように去っていった。病院に行くことになったとき、私達はタクシーで、彼女は自分の車で病院まで来てくれて、引き継ぎをして、また去っていった。 出産後一週間の間に、助産院から3回の往診があるのだが、偶然にも彼女が一度来てくれたので、お礼の挨拶ができた。 「昨晩も出産に立ち会っていてね。今朝もほとんど寝ていないの。」ととっても忙しそう。 ジーンズにブーツ、ロングヘアー。道ばたで出会ったら、普通のきれいなお姉さんで、彼女が今出産に立ち会っていてね、、、なんて誰もわからないだろうと思う。 フリーランサーは「ワンマンビジネス」の自分の会社だから、仕事着も、もちろん自由。でもこの仕事で香水って。。。妊婦は匂いに敏感なのである。 実際仕事をしている姿はかっこよく、楽しそうだった。 「自分のスタイル」的な働き方は、とてもオランダらしい。 記憶が鮮明な一日の中でも、とくに印象深い存在だった。

産褥看護士さんのヘルプ

オランダでは出産後の約8日間、産褥看護士の自宅ヘルプが受けられる。(うちの場合は計49時間だった)これは、もしも出産後何かの事情で病院に3日間滞在したら、自宅でのヘルプは5日に減る。帝王切開などで入院が長引くと、自宅ヘルプはなくなるだろう。 毎日母子の健康チェックをしてもらい、授乳の指導や、赤ちゃんの体調の見方、お風呂の入れ方などを学んだ。うちに来てくれたソーニャはすばらしかった。先に述べた仕事の他、さらに三度の食事を作ってくれて、買い物、掃除、洗濯干し、アイロン掛けも素早くこなす。いつも以上に部屋がつねに片付いていて、タンスの中の赤ちゃんの洋服も一目でわかる。 ソーニャの作ってくれる、オランダ式朝ご飯はとってもおいしかった。オランダのboterham (オープンサンドウィッチ)ひとつでも、のせるチーズやハムの切り方ひとつで味わいが違う。 噂に聞くオランダ人の好きな「イチゴサンドウィッチ」。マーガリンを塗った白パンにイチゴのスライスとグラニュー糖。この組み合わせ、意外とおいしいのです。 ソーニャが毎朝来てくれて、私は自分の静養と赤ちゃんのことを学ぶのに集中できた。

安産、それとも難産?

5月4日夜中に無事に男児を出産した。陣痛がはじまってから約46時間後となり、その後体力回復に思った以上に時間がかかった。 母子無事に、病院にて出産。オランダらしく自宅出産を希望していたのはかなわなかった。 陣痛が始まって6時間後に助産師さんに電話したところ、「様子みて、話せなくなるくらい痛くなったら、もう一度電話ください」との返事。「話せなくなったら電話。。?!」 自分の陣痛が弱く、なかなか発展しなかったので30時間目、3日の朝9時に、助産師さんがとうとう家にきて、人口破水となった。その後、赤ちゃんが羊水中に便をしたらしく、その場合の約束どおり、午後2時半頃に病院へ行くことに。 緊急事態の窓からはしご車か、、、と思いきやタクシーだった。陣痛がはじまっていてもこの程度では緊急ではなかったらしい。(!)それでも「話せない」痛みの段階にきていた。 助産師さんが早急に病院の空きを調べ、3件目にしてやっとベッドの空きがあった。その間は痛みに耐えながらも頭のなかでどうなるのだろうとドキドキ。。そんなときに限って、タクシーでの道中、アムステルダム特有の運河の跳ね橋が上がったり、道路の通行止めがあったりで、永遠の長さに感じた。病院では助産師さんのアドバイスもあったので、さっそく麻酔をお願いした。この調子ではいつまでかかるかわからないからだ。脊椎の麻酔が効き始め、やっと正気に戻り「麻酔すればこんなに楽なんだ。。。本読みながらでもいけそう」と思っていたところ、1時間ほどすると、麻酔が左半身効かなくなってきた。さらに陣痛促進剤をいつのまにか、点滴されていたので、最後の2時間ほどはひどい痛みをしっかり経験した。 その間に麻酔がきいていません、、、と訴えたくて3度押したナースコールには、「今麻酔師さんが、手がいっぱいでこられる人がいないの、ごめんね」という返事。でも3度めに来てくれた時には、その痛みのお陰で次の「いきみ」の段階に入るとのことだった。いきんで、と言われてももう力が尽き果てて。。その時は夜10時半すぎ。ここで私がやめたら、赤ちゃんが出てこられない!とがんばった。赤ちゃんが、産婦人科医の手で取り上げられ、私のお腹の上にのせてくれたとき、くしゃくしゃの顔の赤ちゃんが宇宙からこちらに飛んで来て、着陸してくれたように思った。 「あー、終わった!!」 妊婦ヨガで練習した呼吸法はとにかくとても助けになった。呼吸法以外に痛みを逃れる方法もないのだ。点滴を腕に打たれて、身動きできないため、陣痛の受け取りも、出産するときも好きな姿勢で、というのは病院では無理だった。でも病院の施設のお陰で母子の命が安全に出産できたことには本当に感謝している。 陣痛促進剤もなく、麻酔もなく、母体の状態をチェックする医療機器もない頃には、たくさんの危険もあっただろう。 少し話はそれるが、友人の友人で、「自然なお産をする」コンセプトの施設で出産に望んだところ、同じように非常に長い陣痛となり、さらに持っていたヘルニアを併発して非常に痛みに苦しむことになったそうだ。病院にすぐ移りたい、と本人は言ったにもかかわらず、施設の人とご主人の説得により、その施設に残り、薬も使わなかったそうだ。 母子ともに無事だったらしいからよかったが、それは本当に痛い上、リスクもあったことだろう。 陣痛がはじまって、数時間ですべてが完了、、という出産に比べたら難産、と言えるのかもしれない。一度しか経験していないので、こんなものだ、と思えばそれでおしまい。大変でないお産なんてないだろう。 母子ともに二つの命が助かり、生きていること。本当に尊いものを授かった。赤ちゃんもものすごく疲れていたのか、産まれた日、次の日もしばらくずーっと眠っていた。小さな命もこんなにがんばった。 授かった命を一生懸命に生きていくこと、簡単ではないけれど、今改めて思う。

laatste loodjes

最近、’laatste loodjes’ (ラーツテ ローチェス)という表現を何度も何度も聞くので覚え、使っている。’Hoe gaat het met je laatste loodjes?’ とか ‘succes met je laatste loodjes!’ . とか。臨月の私の状況にちょうど使える表現で、直訳すると「最後の鉛」。「最後のひと頑張り、追い込み」という意味である。一つ目は 「最後のひと頑張り、調子は如何ですか?」二つ目は 「最後の追い込みがんばってね!」。 偶然というかそれを知ってからか、この ‘lood’ という単語がやたらと耳に入る。’Glas in lood’

日蘭出産事情

もう2週間も前のことになるが、二人の日本からの助産師さんがオランダの出産事情や、働く女性と出産、ということの実情を調査しにいらっしゃっていた。そのモニターになってくれませんか、といつも行っている助産院を通じて連絡があったので引き受けた。 問診を受けたり、お腹の触診のチェックの様子を見ながら、今何を質問しているのか、コンピューターでのカルテのシステムはいつ頃からオランダではしているのか、などとこちらのやり方を聞いていた。オランダではもう少なくとも10年はコンピューターで一人一人の情報管理をしているそうだ。私の通う助産院には4人の助産師さんがおり、そのうちの一人が出産に立ち会うことになっているので、どの人にも会っておくように、と言われている。私のカルテを開くと、4人の誰もが状況を把握できるようになっている。赤ちゃんがお腹の中にいる姿勢も記号で記されている。 オランダでは約8割の人が、自宅出産で開始し、助産婦さんが陣痛が始まったら家に駆けつける。何かの事情で病院に行った方がよい、と判断されたら即、病院に移る。そして結果的には約3分の1の自宅出産率であるから、とても日常的なことになっている。興味があったので日本の助産師さんに、日本での実情を聞くと、なんと自宅出産率は0、2%で助産院での出産率も1、2%!! ということはほとんどの人は今時自宅出産はしない。 日本での産婦人科不足が言われているけれど、日本中での助産師資格保持者の数は、かなり多いそうだ。助産師さんとの自宅出産ができる環境がもっと増えれば、その問題も解決するのではないかな、とも思うのだが。 ちなみに、オランダでは最初の妊娠2ヶ月頃のエコー検査のあとは20週目にエコーがある。それ以外はもう産まれるまではエコーはなしなので赤ちゃんの姿は目にしない。希望があれば、業者がやっている商業的なエコーや3DのDVD 撮影に申し込める。「身体の声を聞くように」と、オランダの妊婦さん向けの冊子によくある。スポーツや自転車乗り、飛行機での旅行、も自分の判断にまかされることが多い。ちなみにヨガクラスで自転車に乗るのを辞めたのは私一人。出産直前までオランダ人女性は自転車生活をしている。「何かあったら・・・」を言い出せばきりがないが、信頼できる助産師さんに出会えれば、異常を感じない限り、触診だけでも、エコーが少ないことに不満をもったことはない。オランダでは過剰な検査などはないので、放任されているようにも思えるが、そのためか身体は普通以上に敏感になっている。 お腹を触って想像する限りである。

Aan’t IJのランチタイムコンサート

バロック演奏会の次の日。日曜日のお昼12時からという時間に、Muziek Gebouw Aan’t IJ での演奏会を聴きにいった。最近 rising star として活躍中のハープ奏者 Lavinia Meijerと仲間達というメンバー。ラヴィニア以外は Aurelia Saxophone quartet とコンセルトヘボウの演奏家達。 ドビュッシーのフルート、ハープ、ヴィオラのソナタの後、ヴァイオリニストのTjeerd Top とラヴィニアによるサン・サーンスの「幻想曲作品124」。これが、すごかった。。。 特にヴァイオリニストの素晴らしい豊かな美しい音色と、その立ち姿の自然なこと、音楽の精霊が語りかけているかのようだった。もちろんモダンヴァイオリンだが、その音色が続く限り、涙が止まらなくなった。彼がパガニーニかモーツァルトのように見えた。もうこれで家に帰ってもよかった。。。即 Tjeerd のファンになっていた。 他には Carlos Michánsの作品でハープとサクソフォーンカルテット、ラヴィニアのスカルラッティソナタのソロ、 Joey Roukens

Hoorn でのコンサート

ハイドン・イヤーにちなんだ演奏会を聴きに行くのは実は一つ目。 今年はハイドンの没後200年にあたり、クラシック音楽会ではハイドンをテーマにした演奏会が多い・・・と思いきやどのくらいあるのだろうか? 3月21日、Hoornでの演奏会はタイトルは ‘De Europeaan Haydn: Haydn en Frankrijk’「ヨーロッパ人ハイドン:ハイドンとフランス」でバロックアンサンブル Eik en Linde によるもの。ピアノ協奏曲のソリストは日本人のスタンリー弟子としては、第一世代の福田理子さん。 駅からの道に迷いかけ、通りの人に訪ねたら同じコンサートに行く人で、その方に出会わなかったら見つけにくかった場所。その方が「ベートーヴェンとモーツァルトに比べると、ハイドンはどうしてもねえ。。。」というようなことをおっしゃった。それと似たような事は、日本のマネージメント関係の方からも聞いた言葉だった。 ハイドンの良さが十分に認識されていない! ルター派のこじんまりとした、音響も古楽にぴったりの感じのよい教会だった。ピアノ協奏曲二長調は理子さんはオリジナルの18世紀の楽器による、軽やかな演奏で、アンサンブルとの息もぴったり。 プログラムはフランスで活躍した作曲家の作品とハイドンを比較している。他には Ignace Joseph Pleyel, François-Joseph Gossec, Joseph Boulogne Chevalier

妊婦ヨガーチャクラ

妊婦ヨガの日。予定日より一ヶ月早く出産してしまったサシャが来なくなり、6人の受講者になった。サシャはスピード出産で安産だったそうで、羨ましいこと だ。ヨガの先生は助産婦の経験を積んだ後、ヨガ,指圧、マッサージ、スピリチュアルな方面も勉強され、幅広く出産に関して身体の内面と意識、神秘について ゆったり落ち着いて指導してくださる。様々呼吸法の復習の後、今日の話題は身体の7つのチャクラと、音声が関わっているという。 O(オー)音は骨盤底筋、「ウー」音はお腹(ハラ)、「アー」音は横隔膜、「エー」音は心臓、「イー」音はのど、「mmm」音は第三の目、「ng ng .. 」は頭のてっぺん。その発声練習をした。そうすると、その音がそれぞれの場所に響いて、そこに集中がいくので面白かった。 先生のお話はほとんど理解できるが、5人のオランダ人の普通の「おしゃべり」を聞き取るのが一番大変である。スピードも早くて、一度に何人かがしゃぺった りする。特に疲れていると外国語を聞くのに集中するのは結構大変だと思う。このコースを受講すること自体が、挑戦的なことだったかもしれない。 出産に関する単語はほとんどオランダ語でやっているので、英語で聞かれたりするとわからないことも多い。 出産準備は皆,着々と進んでいるようで、私が一番遅いような。お部屋もまだだし、ベビーバギーも用意できていない。 今日は出産直後の8日間毎日、5時間程来て下さる方(産褥看護士)の訪問があった。授乳の仕方を教えてもらったり、赤ちゃんと母親の体調のチェック、必要ならば、買い物 やお掃除まで手伝ってくれるありがたいヘルプである。これは保険でまかなわれている。哺乳瓶なども、最初はひとつだけ買っておけば,十分とのこと。出産準備品の情報過多な中で、具体的なお話を聞けてとてもよかった。薦められたので、明日は母乳の講習をやはり聴きにいくことにする。

はしご車?!

昨日は助産院の定期検診。今回はちゃんと頭が下に来ていて、逆子になっていなかった。今後は、駒のように、頭が下のまま回転したり動いたりするだろう、とのこと。普通の人なら頭を下にして7週間もいられないのに、やはり赤ちゃんはすごい。お魚のように羊水に浮かんでいる状態は宇宙にいるみたいなのかしら? 今回は、自宅出産の可能性も考えている、と相談した。二つの妊婦コースでどちらも、オランダ人の助産婦さんの自宅出産サポートの仕方は素晴らしいと言われたのと、自宅で出産した人たちは一同に「すごくよかった」と言う。そして、病院で出産した場合の大変さをよく耳にするからだ。 病院で出産した場合、「じゃあ、シャワー浴びて下さい」となり、問題がなければ2、3時間から数時間後に帰宅。一応車いすに乗って病院を出るらしいので、車いすを使う際のコインを忘れないように、、という注意まである。 自宅出産の場合、まず聞かれたのは、「家の道路側の窓は十分大きいですか?」という質問。万が一、陣痛が始まり、何かあったときに急に病院へと切り替える場合、救急車で行くとのこと。その時に、オランダの古い運河沿いの高い建物での引っ越しにみられるように、はしご車が道路から窓に向けてかかる。そのように、家の窓から妊婦さんが電動はしごで、階下に移動するらしい。そんなアクロバットを一大事にするかもしれない! その確立は1%ぐらいと言われたが、緊急時の妊婦に階段を歩かせないためのケアらしい。陣痛がはじまってしばらくしたら、助産婦さんを呼ぶことになっているが、助産婦さんは家の様子をみて、自宅出産が可能な環境か、病院にいくべき状況かを即判断するとのこと。だから希望していても、直前まではわからない。 とにかく安全に安静にいきますように。。

妊婦ヨガ

1月から妊婦ヨガに通っている。ヨガにはたくさんの種類があるそうだが、私の通う妊婦ヨガはいたって体力的には楽である。主に呼吸法を学び、お産のための知識の勉強も含まれているが、リラックスのために行くような気分である。最後の15分はお茶を飲みながら質問であったりそれぞれの情報交換の時間。その前の約10分は、横になって波の音や、サティのピアノ音楽などを聞きながら、身体と赤ちゃんに意識を集中する。まるで眠ってしまいそう・・・。とにかく陣痛が始まったときに、どうやって自分の内面に集中するか、リラックスを貫くかの練習。深い呼吸、肩を上げない、顔に力を入れない・・・。なんと、 bekkenbodemspieren(骨盤底筋)と口、あごの筋肉につながりがある、という。 痛みが来たときに、逆にスマイルを忘れないように?心がけると良いらしい。そんな余裕があるものだろうか? 12回のレッスンのうち、4回はパートナー付き。7組のカップルは私以外、普通のオランダ人。広告関係につとめる旦那さんが多く、ジョークが飛び交い、いつも楽しい雰囲気である。そのジョークをときどき私は聞き逃して笑い損ねるのだが。 それにしても、大きなお腹を真ん中にして、チークダンスのようなことも実践した。二人でお腹に意識してリラックスするため?男性は女性の背中やお腹のマッサージを習ったり、陣痛を和らげる指圧ポイントも習う。なにかする度にキスしたり抱き合うオランダ人カップル。。自然だけれど、見てるほうは少し照れます!陣痛が来たら、キスするのもいいのよ、と先生はおっしゃった。それは口の筋肉がほぐれているため、だそう。。。その練習は幸いしなくてよかった。 身体のあり方が重要だから恥ずかしがってもいられない。カップルで一緒に出産を受け入れるという姿勢は素晴らしいな、と思う。全員、真剣に話を聞き、僕たちはその時どうすれば良いですか、と男性も前向きに学ぶ。 オランダでは、自宅出産をする人も全体の3分の1に及ぶとのこと。水中出産も人気である。家に大きなお風呂をレンタルしたりする。どのような出産をしたいか、明確にイメージを持ち、やりたいことはきちんと助産婦さんに言う事、というのもヨガの先生から学んだ。予定日まであと2ヶ月弱。日本人には、「大きなお腹だね」と驚かれるが、オランダ人のお腹に比べるとちっとも大きく見えない。

今日出会った人

28日土曜日。今日出会った、彼の大学時代の同僚の女性は、レトリック(修辞学)を元にした「議論」について、弁護士に指導している方だった。三児の母でありながら、ばりばり仕事している。レトリックはフォルテピアノ奏者にとっても、大切な項目の一つ! 当時の18世紀の作曲家達、知識人たちの教養として、学ばれていた古くはギリシア時代に遡る議論の方法論。オランダ語学科を出た彼女は、修辞学を専門として、今の仕事に来た。 それにしても、オランダではレトリックが今も息づいて、弁護士さんの現場などで実用化されているんですねえ。日本もなのかしら? オバマ氏はじめ政治家の演説も、ディベートの論理にちゃんとのっとって話されていると聞く。彼女の話術についつい皆が惹き込まれて行くのを目の当たりにした午後。フォルテピアノ演奏に、もっともっと修辞学の教養も今後取り入れていけたら、と思う。

Bimhuis – Cimbalon

27日金曜日。Bimhuis にて、 Faces で共演しているHuib Emmer の新曲発表を見に行った。 遅れて入り、次に始まった曲に驚いた。 映像、フルート、電子音楽、コントラバス、スチールギター(大正琴のよう)とともに、ツィンバロン Cimbalon が使われていた。フォルテピアノのアイデアの元にもなったとも言われている、弦をマレットで叩く楽器。そういえば、オーストリアやドイツの博物館でたくさ んみた。(正しくは、オーストリアで見た小さいものはツィンバロンの前段階の ハックブレットHackbrettであった) そのライブの演奏を聞くのは初めて。それが現代音楽の即興に使われていたので驚いたのだが、他の電子系の音やフルートのあえて金属的な、加工された音の合 間に、温かみのある音で混じるととてもよかった。奏者に話しかけると、ピアニストだとのこと。(!)その楽器はブダペスト製の1900年頃のもので、ジプ シー音楽のライブもしている人だった。映像は、単語とともに現れ、その画面が切り替わるときに音楽の場面が変わっていったので、一種の指揮者の役目 のようだった。音色のバランスはとても綺麗な作品だった。Anne la Bergeの作品。 Huib の作品は、電子音( Huib のライブ)、コントラバス、フルート、キーボード、トロンボーン。電子音のコンチェルトみたく、他の4人が和声を作り、 対してHuib が電子音で入ってくる。全体にリズムに凝った曲。アンサンブルのタイミングがずれているのかわざとなのか・・・という疑問が残り、Faces のHuibのソロレパートリーのほうがかっこよくて好きだった。バックのガラス越しにアムステルダムのトラム、電車、バスが行き交う夜景を見ながら夜の外出を楽しんだ。

オランダ生活

こんにちは。オランダに住んで12年。オランダ語も少しづつわかってくるようになり、オランダのこと、オランダ人のこと、もっと見えてきます。音楽生活のことだけでなく、私の見たオランダでの発見と感動をときどき綴ってみたいと思っています♪ ときどき覗いてくださいね。