2歳児の大きな経験

この夏7月に実は、2週間だけ2歳の息子を連れて日本に帰った。 とっても楽しい日々で、ちょうど地元の夏祭りもやっていて夏らしい日本を満喫した。 印象に残ることはたくさんあるらしく、 「お祭りも見たねー」 「アイシェ食べたねー」(アイシェはアイスのこと、オランダ語の子供ことば) 「ばーばに会ったねー」 「飛行機に乗ったねー」 「かーん、かーん、かーんって踏切見たねー」 断片的な思い出を一ヶ月半たった今も、幾度となく言葉にする。 オランダ人の親戚や保育所の先生にも、「ボク、日本に行ったの」「飛行機乗ったの」と開口一番に未だに言う。(オランダ語で)よっぽど飛行機に乗って、違う文化の日本という国に行ったことが強く印象に残っているらしい。 その後、ちょっとした問題が起きた。 約2週間、保育所生活に慣れなかった。週に3回保育所に預けているが、3週目の終わりになって、やっといつもの息子らしく楽しめるようになった。とくに2週間の間は、オランダ語を「一言も話さなかった」日もたくさんあるそうで、話しても「飛行機」または「Nee!」(オランダ語のNo!)のみ。泣いてばかりで、ご飯も食べたがらず、皆とも遊びたがらず、先生の膝の上で「ママー」と泣くばかり。 一度は保育所から電話があり、早めに迎えにいった。 かわいそうだった。日本に行く前の一週間、主人が出張で一週間いなかったので、日本語のみの生活を3週間ほどしたのだが、その後、オランダ語がどこかへ飛んでしまったのである。口をついて出てこないのは、自分でもつらかったに違いない。 夏休み中で、保育園の大の仲良しのお友達もちょうど休暇でいなかった、というのもあるようだ。なじみの顔もなく、オランダ語で遊ぶ気もない、、って。 先生には「日本ではパン食べないんですか?」と聞かれた。 前は食べていたのに、昼食のサンドイッチを食べたがらない、と。 日本でパン食べるけれど、オランダのパンとは見た目も色も味も違って、子供はなかなか日本でのパンを食べなかったので、おそばやうどん、ご飯が多かった。 でもお友達が戻って来たり、慣れて来たりと、3週目の終わりには元の息子になり、お外でも遊ぶようになり、お昼のオランダのチーズのサンドイッチを食べ、歌を歌ったりするようになった。 バイリンガルで育てる時に、こんなこともあるのだなあ、という経験。 でもまたすぐに、オランダ語が優勢になるのだろう。。。

オランダの文化、芸術への予算削減

オランダの国会は、2013年から2億ユーロ(日本円で約230億円!)の文化、芸術への予算を削減することを決定した。 日曜日の夜、ロッテルダムからハーグまで「文明の行進」(mars der beschaving)と名付けたデモ行進が行われ、約7000人の人々、音楽家のみならず、俳優や博物館、シアター関係者とにかく、反対する気持ちを表すためにたくさんの人が参加した。 さらに、4万人以上の署名を集め、嘆願書まで出した。それらのお誘いのメールもいくつか知人から届き、署名のみ参加した。 月曜日にその論議が行われることになっており、その前に行われたこれらのデモ。 それにもかかわらず、昨日この予算削減が実行されることとなり、とてもとても、失望。 これによって、国からの補助を受けている多くの、オケやアンサンブル、フェスティバル、作曲家達、シアター、文化施設が打撃を受けるのみならず、小中学校の生徒達の博物館や観劇というこれまで行われていた文化的な企画もただで鑑賞することはできなくなるそうだ。 すでに、小さな村の図書館が閉鎖されたりもしていて、なんて残念なことだろうと思う。 フリーランスのアーティスト達にとっても、ただでさえ日々の生活をまかなうのが、大変なことなのに、仕事を失う人、減る人たちが増えるのは必須であり、それによってクリエイトされるはずのものがされなくなる。 感動を与えて、受け取る場が減ることは未来の子供達の情緒の育成にもかかわるだろう。 このところの経費削減では、身体障害者への補助が削減されたりもあったりと、弱い人の立場まで無視されているように思う。 (このニュースの日本語) http://www.portfolio.nl/nlnews/archives/cat2/ (デモの様子) http://nos.nl/video/251625-duizenden-demonstreren-tegen-kunstbezuinigingen.html この決議に負けずに、私たちはできる限りアートを続けていきたいと思う。 政府の援助が減ったら、規模が小さくなるのは目に見えている、、、、ボランティアもしなければ何も始まらないだろう。 まわりにたくさんたくさんいるアーティスト達は、何もないところから何かを創りだしている。 それで感動を生み出す場を作っている。 普段このブログの更新も遅れているが、今日ばかりは何か書かずにはおれなくなった。

ポッポの赤ちゃん

3月の半ば頃、ベランダの鳩の巣の中に、新しい卵を二つ発見。 今年の冬には、寒くてベランダにしばらく出ないうちに、一羽の雛がかえっていた。 そのときは巣があったことすら知らず、発見した時点でずいぶん大きくなっていて、「あー、いつのまにか巣を作られ、赤ちゃんまでいる!」と思いきや、そのうちに巣立っていった。 最初は鳩がうちで産まれるなんて、ちょっとラッキーなシンボルかな?なんて思ったが、主人いわく「それは白鳩のことだろうー」このグレーの鳩はただ汚していくだけで、しょうがない、、、なんて迷惑がっていた。 新しい卵を発見したときに、処分しようと思って、つかんだ。 そうしたら、温かかった! まだ生きているんだ、、、捨てられなかった。 その雛も無事に孵った! 我が家では「ポッポの赤ちゃん」を毎日のように眺めて、楽しんでいる。 子供も朝起きて、「ポッポの赤ちゃん、見る〜」と日課になり、一緒にベランダに行く。 「大きくなったね〜」 「大きくナッタネ〜」 「お母さんハトがいるね」 「おかーたんハトがいるねっ」 「さ、もう寒いからドア閉めよう」 「さ、もうさみーからドアしめよ」 なんでも言葉を真似するもうすぐ2歳の息子だが、自分から「ポッポの赤ちゃん見よー?」と問いかけてくるか、あるいは「ポッポの赤ちゃん見るよー」というと、いさんで走ってくる。 おかしなもので、毎日くるこのポッポのメスとオスの両親が顔なじみになってくる。 そうすると無数にいる公園のハトの群れのそれぞれの顔が違って、うちに来るハトが混ざっていたら顔を認識できそうな気がする。 最初は親鳩がかわりばんこに赤ちゃん2羽の上に座って、温めていたが、最近は母鳩がエサを持ってきて、声を出して赤ちゃんは「ピーピー」と鳴くようになった。 ここ数日は、半分立ち上がっていたりするので、巣立ちの日が近いかもしれない。 そうしたら親ハトの役目はおしまいだね!

コンサート中のハプニング

日曜日のオランダのドレンテ州にある町、メッペル(Meppel)でスタバト・マーテル(ペルゴレージ原曲ーバッハ編曲版)のランチコンサート。 この4月はカメラータ・アムステルダムという室内オケの通奏低音で参加させてもらっている。 スタバト・マーテルの最後の楽章 ’アーメン’ でホール内の照明が消えた!! 一瞬ざわついて、、、でも「ここで止まってはいけない、、、、」とできる限り弾き続ける。 幸い同じフレーズを違う調で繰り返すような部分だったので、なんとか最後まで行き着いた!2、3分だったか。 皆ちょっと間違いながらも、、、。ソプラノとアルトの二人は「アーメン」の歌詞のみだったから、グッドタイミングなハプニングだった。 もしもっと曲の真ん中で照明が消えていたら、、、コンサートを終了できなかった欲求不満で夜眠れなかったに違いない。 原因はメッペルの町中で起こった停電。 お客さんも、ステージの音楽家12人あまりも終わると同時に、大爆笑となり、大きな拍手をいただいた。 こういう経験数回したよ、、、というコンバスのロシア人ボリスや、指揮者もチェリストもこんなのは初めての経験だ、、と様々。 あー、びっくりした;;;

チャリティーコンサート ’Play for JAPAN’

3月26日にオランダのハーグ市で、歌手の夏山美加恵さん主催のコンサート’Play for JAPAN’が行われた。 これは今回の東北大地震の被災者のためのチャリティコンサートである。 最終的にこのコンサートを通して集まった義援金13,340.53ユーロとのこと!!(約150−160万円)大きな教会はお客様で一杯になり、チケットは600枚以上売れ、スタッフや出演者をあわせると700人が会場にいた。 内容は日本人を中心としたバロックアンサンブル Dionysus Consort、元パリオペラ座のバレーダンサーと白石さとしさんのエレキギター&電子音楽による即興パフォーマンスや、ハーグのレジデンチーオケの第2コンマスの野口桃子さんらのアンサンブル、オランダ人の尺八奏者、ハリー・スタレフェルド、琴奏者、後藤真起子さん、美加恵さんのソロで日本歌曲を2曲、そしてオランダ人女性5人組のアカペラ、Wishful singingが「さくら、さくら」を歌って幕を閉じた。私は歌曲の伴奏で参加させてもらった。 本当に素晴らしいコンサートだった。 日本国旗を舞台に据えるところから始まり、自分が国旗を掲揚することって、滅多になく、「これは普通のコンサートではない。私たちは日本のために何かするんだ。。。」という緊張感と真剣な気持ちが高まる。 集まった観客のほとんどはオランダ人で、そして日本人、他にも外国人がたくさん。皆でひとつの想いを持って、同じ時間と共有し、献身的なステージをひとつひとつ鑑賞して、胸がいっぱいになった。 日本大使館次官もいらしてくださり、献花をされた。 この会場を無償で提供してくださった、カソリック教会の神父さんの優しさ、寛大さにも心が熱くなる。ニュージーランドのクライストチャーチや、ハイチの地震や、様々な災害がある毎にこのような場所を提供しているそうである。 こんな災害が起こって、失ったものを見ると、失望や悲しみばかりになる。しかしこのように多くの人の少しでも何かしたいという気持ち、教会に一杯になったとてつもなく大きな人の情に触れて、必ずこの災害を乗り越えられるはず、、、と思う。日本人というだけで、たくさんのオランダ人に、「ご家族は無事ですか?」と聞かれる。人の情って温かい。 世界中に助け合いと優しい気持ちが溢れているように思う。 この災害はつらいことだが、それを乗り越えて、私たちは前進していくのだと思う。

先週のコンサート

この日はチェロのニーナ・ヒッツとのデュオコンサート。 日本の大惨事から気持ちが沈んだまま、、、。 演奏会の前に皆で1分間の黙祷をささげる。皆の温かい気持ちが、大きなエネルギーの波みたく、力強い時に感じた。 被災者の方々には早く、平和な時が戻るように、心の安らぐ温かいところで眠れるように、一生懸命祈りたい。 失ってしまったたくさんの戻らない命。仕事や家を失ってしまったり大変な避難生活にある方に、心よりお見舞い申し上げます。 皆で気持ちを合わせて、協力しあって危機を乗り越えて行こう! 演奏会の後に集まった教会への寄付、全額301ユーロ80セントが、この教会を通して、日本にある支部、エヴァンゲリスト・ルター派の教会へと送られることになり、嬉しい。 コンサートは、、、飛行機のラッシュアワーか、風向きのせいか、次から次へと、頭上をわたる騒音。。。でも重苦しいイントロのベートーヴェンのチェロソナタ第2番から、最後のチェロとピアノの変奏曲変ホ長調の明るい、愛に満ちたテーマに向かって、冬から春の希望に向かうプログラム構成になった。タイトル「春のそよ風」のように。 3月26日(土)にオランダ、ハーグ市にて、’Play for JAPAN’ というチャリティーコンサートが開かれる。 ハーグ在住の音楽家を中心に企画されており、現在すでに百数十人の予約が入っている。私も日本歌曲を2曲伴奏してお手伝いさせてもらえることになった。主人が司会進行を勤める。お近くにお住まいの方はぜひいらしてくださいね! place: Church of our Saviour address: Bezuidenhoutseweg 157, The Hague start: at 20:15 ticket: 10 euro ( for Japan) reservation e mail: moc.liamgobfsctd-19fcbb@gaahned.napajrofyalp contents: lots of music and a dance performance by Japanese and non Japanese performers, moment to pray together etc. (Baroque […]

Museum N8 ーミュージアム・ナイトー

ミュージアムナイトとは、アムステルダム中の45の博物館が夜の7時から夜中の2時という普通ではない時間に開館して、多くの人が、夜のミュージアムの様々な催し物を楽しむ。だいたい11月の最初の週末にある。 その昔には、国立博物館のレンブラントの「夜警」の前で踊る、ディスコが催されたりもあったそうだ。。。 そんなことがあり得るなんて! オランダ人の寛容さには本当に頭が下がる。。。 私は今回、Geelvinck Hinlopen ハウスでのリラピアノ演奏をさせていただく機会に恵まれた。 この博物館には、スウェーリンク・コレクションという、アムステルダム音楽院でも使われているフォルテピアノのコレクションより、貸し出しという形で、館の中に展示品として、または生きた演奏会に実際に使われる楽器として数台のフォルテピアノが置かれている。リラピアノは、最近修復が終わり、この博物館の「図書室」に見事に収まっている。 図書室は昔のオランダらしく、本棚が天井まで高く作り付けられ、壁中に本がある。 その合間の本がない壁の一面に、美しい壁紙をバックに、リラピアノが置かれている。高い天井からかかった重みのあるカーテン、大きな窓からの景色は運河沿いの通り。 あまりのしっくりさに、最初は感動した。 ピアノに「おめでとう!良いところにもらわれてよかったね!!」と話かけてしまうほどであった。 この博物館はもともと裕福な一家が住んでいた家で、19世紀頃の調度品を中心に、アンティーク家具や美術品に溢れている。中庭も素晴らしいので、観光で来たらぜひおすすめの場所である。 館で働いている、ボランティアの方の手作り衣装にて演奏した。 オランダの昔の布を再現した布で作られている。 8時頃になると、たくさんのお客様で和気あいあいとなり、天井は高いがそう広くもない図書室にはリラピアノは十分のヴォリュームであった。アムステルダムの夜のお祭りを楽しんだ。

マルメロの実

オランダは駆け足で冬に向かっている。 もっと街路樹が黄金色の葉で一杯だった10月半ばの話になるが。。。プレゼントにこんなジャムをいただいた。 ‘Kweeperen’ とは何だ? この果物のジャム(ゼリー)だよ、お庭で取れたという果物を一緒にくれた。 見た事ない。。。カリンかな?とも思ったが、辞書で Kweepeer を見ると、「マルメロ」とある。 マルメロって、日本では見た事もなかった。聞いた事はあるような気もするが。。。 この果物から、部屋中に甘い香りが強く漂う。ジャムは少し甘酸っぱい。 くれた方が、子供の頃、庭にマルメロの木があって、これを見ると母が秋になるとジャムを作ってくれたことを思い出す、と話していた。 私にとっては、秋といえば、田舎の庭になっている柿。 オランダでも美味しい柿が食べられる。 オランダでは柿は外国の果物で、シャロンフルーツ、またはカキ・フルーツとも言われる。 この果物になじみがなく、買わない人も多いようだ。この甘くて美味しい味を知らないなんて、もったいない。 この時期になると、オレンジの大きなカボチャもたくさん出回る。毎年恒例のパンプキン・スープを作っている。 旬の果物や野菜を食べるのは、幸せ。。。 サンマがないのが、ちょっと寂しい。

風車でのコンサート

17日にアムステルダムの北地区にある風車の中のホールにて、リサイタルをした。 1772年、ちょうど若きベートーヴェンが、ウィーンへの留学に出発した年に建立された風車で、チョークのもとになる石(?)を風車ですりつぶして、チョークを製作していた風車である。 その風車がガラス越しに見えるように、小さなスペースが隣接されており、居心地の良いお庭と、その隣の家にいるクジャクやヤギの動物達がのどかな雰囲気を醸し出す。 天井の高い木目の壁、床、バックのガラスの壁と音響もとても温かく響いた。 60名程のほとんどオランダ人というお客さまも会場の「ダッチさ」に喜んでいた。 「5オクターブの中のベートーヴェン」というシリーズのプログラムで、私のシュタインモデルの楽器5オクターブで演奏できる曲で構成。この機会に、初期の作品2−3のソナタを再び勉強したことは、本当によかった。 アルカホリックの父は子供達の世話もできず、16歳で母を亡くしたベートーヴェンが、やっとウィーンで音楽の勉強できた喜び、ハイドンにレッスンを受けられた喜び。 躍動感のつまったハ長調のこのソナタは、恩師ハイドンに捧げられている。 その数年後に作曲した「悲愴」のハ短調は、なんと重苦しい助奏があることか。 すでに耳の異常を感じ始めた、苦労の多いベートーヴェン。 シンプルなフォルテピアノで、ベートーヴェンのストレートな表現をぜひ聞いて欲しいと思う。 たくさん音が重なるとフォルテの厚い和音、右手一声になると弱音でのメロディー、ハイドンやモーツァルトに聞こえてくる、古典派のスタイルがそのまま。フォルテピアノで軽快に弾ける小粋な装飾音。 ベートーヴェンのパッションは楽器を上手に、最大限に使用して表現されている。 楽譜は左から右に読むからか、ピアノを弾いていると、音楽は左から右に流れていくような気もする。(または音符が右に現れて左に消えていく) でも鍵盤は垂直に打鍵。弦は平行に視界に入る。 出てくる音は垂直、だけでなくあらゆる方向に広がる。 そこにハーモニーの色があったり、鋭いリズムがあったり、音楽は本当に抽象的で、立体的で、つかむ事もできず不思議な、でもたくさんの「気」がつまっていてパワーのあるものである。 自分が音楽を奏でて、人に音の振動が伝わっていくのかと思うと、心地よいもの、美しいもの、温かいもの、パワフルな物、たくさんのよいものを届けられるようでいたいなと思う。

生徒さんのお話

夏休みが終わると、生徒さんのレッスン再開。 私のピアノお稽古場はコンセルトヘボウの楽屋入り口につながる通りにあり、とても贅沢な地域である。 幸い家賃が上がらない契約なのがありがたい。 その地域の近所に住むオランダ人M君はうちにもう数年レッスンに来ているが、何せこのアムステルダム中心地の旧南地区 Oud-Zuid (Old-South)に住む裕福な家の男の子で夏休みのみやげ話もいつもすごい。 今13歳だが、小さい頃はいつも オペア(Au Pair)と呼ばれる住み込みの子供の世話をするお手伝いの人に連れられて来た。 歩いて1分のところに住んでいても一人で歩かせないためである。3人兄妹で両親が共稼ぎ。そんな家族は家の中に一部屋余裕があると、お手伝いさんを住み込ませる。その家族に来ていたのはポーランド人で、住み込みしながら、英語の勉強に来ていた25歳前後の女性だった。 小さい頃から、夏休みが始まるとすぐに飛行機で外国へ。イタリアや南仏というのはもう、よくある話で、彼らはタイやニューヨークにも行っていたし、この前の冬は北極の側まで行って北極クマを見てきたそうだ。 2月の最後の週のクロッカスホリデーにはほぼ毎年スキー合宿。 今年はアリゾナ州のグランドキャニオンに家族で数週間と、ロンドンにクラスメートと一週間英語の勉強とスポーツを毎日するコースに参加したそうだ。 習い事はテニスにサッカー、前は柔道もやっていて、そしてピアノ。一時期はキーボードの打ち方をコーチする人が家に来ていた。すごく凝った飾りのついたTシャツを着ていたり、太陽の光が強すぎないように調節する眼鏡をかけていたり、とにかく頭もよく、お洋服もかっこよく、お話も上手でスポーツマンな秀才君だ。(いかに練習できなかったか、の説明もうまい) オランダの学校の夏休みには宿題が出ない! そして皆、家族と数週間ぎっしりキャンプに行ったり、旅行に行ったりする。 M君の場合、長期休暇でなくてもほぼ毎週末、郊外にある自然に囲まれた別荘に行き、おじいちゃん、おばあちゃんにもそこで合流したりしている。 小さなうちから世界中のあちこちにぽんっと旅行して、様々なことを経験しているだけあってスケールの大きな子である。 オランダ人は質素で倹約、あまりおしゃれに興味がない、というイメージもあるが、普段は倹約して、夏休みには長く休暇を取り、思い切り楽しむ。そういうメリハリが合理的だけれど、オランダの良い面だと思う。 日本ではなぜ夏休みにあんなにたくさん宿題があったのだろう? 水泳教室や、学校に行く日もあったりと、学校から完全に離れるときがない。親にとっては夏休み数週間子供達と旅行、というのは楽しみでもあるが、仕事を休むことになる。 私は家族で旅行をした、という思い出が少ない。 近所の公園で父や弟と遊んだ事、父のジョギングについていって毎週走った頃のコト、茨城の祖父母の家に行った事、家族でデパートへのお買い物。。。北海道の祖父母の所へ何度か行って大自然に触れたことは強く印象に残っている。それは多分、数日、と長かったのであちこち出かけた。 オランダ育ちのうちの彼には、「君はホリデーを経験したことがない」と言われる。 私の育った環境はあまり旅行はなかったが、父の転勤で大阪や岡山県にも住んだ。それで違う地域を体験したのは今思うととても貴重である。子供ながらに言葉を変えて話し、気候や人々、校風の違いに驚いた。 日本は長期休暇の習慣はヨーロッパほどは根付いていないだろう。 オランダ人に教え始めた頃は休暇の多さがいやだったが、最近ではゆとりの取り方を学ばされる。 オランダ人の子供はとってものびのびしていて、自発性と個性が強い。 休暇が多いからといって、上達の仕方がすごく遅れるわけでもないのだ。