リラ型ピアノ

少し前の話になってしまうが、リラ型のピアノの修復がほぼ完成したということで、試弾に行った。 この楽器はスェーリンクコレクション(Sweelinck Collectie)というアムステルダムにあるコレクションに属する楽器で、ヘールフィンク博物館に、貸し出され設置され、訪れる人の目を楽しませてくれていた。 昨年から博物館のオーナーがぜひこの楽器の音色を再現できるように、との強い希望で、Gijs Wilderomさんが修復をしていた。それが終わったということで、楽しみに行った。何せ、リラ型やキリン型というピアノは何度も見た事はあるのだが、それが演奏できる状態というのは初めてだった。ハイスの工房で見るたびに、この楽器どんな音がするのかなあ、と興味を持っていた。博物館のオーナーによると、ベルリンにリラ型ピアノコレクターがいるそうで、演奏もしているので、いつかぜひ訪ねてみたいものだ。 音色はとっても豊かで、ウィーン式ピアノの系統の音色。19世紀のSchleip というメーカー。 少し撮影をしたので、よかったらこちらを。 You tube ‘ Lyra piano” とても背が高いので、調律するときに低音になるほどピンの位置が高くなる。 調律を少しさせてもらったのだが、なんと一本弦を切ってしまった。。。ハイス、ごめんなさい! ピンが私には高すぎて、ハンマーをピンと垂直に保てないで廻してしまったようだ。 ハイスの長身ではラクラク。。。 面白かったのは、全面にかかっている絹の布が、これまでかかっていたのはエンジ色だったのだが、ハイスが違う色に変えた。(破けがあったため)それを変える前に最初に弾いて、変えた後にまた弾きに行ったとき、音色がこもった。 後から買った布がほんの少し厚かったみたいだ。でも最初のではうるさすぎる、という話もあるようなので、少し厚くした黄土色の布に落ち着きそうだ。 音色が座っている正面から来るので、「うわー」と顔に当たるような気もするのと、この縦型のせいで音が垂直に縦に渡り、鳴り響くのでヴォリュームが大きい。当時、この楽器はどんなところに置かれ、どんな人たちが聴いていたのだろうか。 11月のアムステルダムのミュージアムナイトに、夜から夜中2時までの間、何度か演奏させてもらえることになっている。 いろいろなことに想いを馳せて、この楽器のためのプログラムを考えるのが楽しみだ。

イチゴサンド

イチゴの時期もそろそろ終わりか。4月末から5月、6月と、今年もよく食べたイチゴのオープンサンドイッチ。 特に朝ご飯に。 薄切りのイチゴをパンにのせて、白砂糖を少しかける。 パンとフルーツって合う。美味しい! これを食べると産後の時期を思い出す。

室内に砂場

今日は子供が行っている保育所についてのお話。この近所に住むオランダ人にとって、この地域にある小学校とともに、この保育所は 「あそこはアントロポゾフィーantroposofie 系なのよね」 (英語 anthoroposophy)と言われる。そこはシュタイナー教育を取り入れている、という意味なのだがとても評判が良い。 保育所ではCélestin Freinet, Thomas Gordon, Rudolf Steiner の3人の教育メソードを組み合わせて取り入れている。入所のときにもらったパンフレットにも詳しく教育方針が書かれているが、おおまかなものとして「自然との触れ合いを大切にする」「季節の行事や、パーティ(誕生日、クラスが変わるときのお別れ会等)を大切にする」「規則正しい生活」など。先生方いわく、話し方もトレーニングされていて、「私ー型」の話し方を使う。たとえば、「私はそれはよくないと思うよ」「私には**ちゃんが階段遊びが好きだというように見えるよ!」「私はこうしたらよいと思うよ」などなど。 毎日おやつの時間には、グループの子供達と先生で、「季節の歌」をうたう。歌えない赤ちゃんも含めて、とにかく先生は歌い、身振りや手振りをつけて元気に歌って、それからおやつ。そういう儀式的な決まりを、規則正しい生活として子供に覚え込ませている感じである。 「動物の歌」を歌うときには、その動物のミニチュアおもちゃをテーブルの真ん中に置いて、見えるように。 保育所ではさらにできるだけ「自然食品」の製品を子供達に食べさせるようにしているという。たいてい茶色いパン(白パンは出さない)だが、約週に一度はピザや、パスタ(トマトソースのみの手づかみできるもの!)のスペシャルな日がある。 3、4週間に一度は、ある団体から来る音楽家が子供達に生の音楽を奏でてくれ、楽器を触らせてくれたりもする。「え、また来てたんだ、、、」というぐらいしょっちゅう。コントラバス、リコーダー、電子ピアノ。。たまにうちの子はお昼寝中で寝過ごしてしまったらしいが。。。 部屋の中に、じつは床のふたを開けたら、砂場が出現!そこなら冬でも天気の悪い日でも砂に触れる事ができる。自然のマテリアル、砂、水、、、に直に手を触れることを大事にしている。小さな滑り台が部屋の中にあるのだが、その上部分のスペースも床を開けると、そこはお風呂の浴槽みたく、水がためられるようになっていた! 生後2、3ヶ月の頃は規則正しい生活なんてとんでもなかったが、早くから保育所に入れてすこしずつそれに慣れたことは、子供が一歳になった今、それが身に付いているのでとってもとっても感謝している。子供が無意識である時代から、感覚のアンテナが張っていて、それがはぐくまれるように、保育所が対応しているのがよくわかる。意思も強く、表現もハッキリのびのびとする。こんな環境に入れさせることができたのも、ラッキーなことで、本当に幸せなことである。    親も参加の誕生日会(午前中のおやつ時間に。ウチがおやつ持参となる)

火山灰から知ったコリアンダー事情

その日は夕食に友人が来る予定で、タイカレーを作ろうと思ったのだが、トッピングする新鮮なコリアンダーを買いにいつもの近所のイスラム系のお店に行ったが、置いてなかった。 アイスランドからの火山灰の影響で航空便がストップしているため、モロッコから来ているハーブ類を切らしているそうだ。聞いてみるとお店の経営者はモロッコ人だった。 いつも感じのいいおじさんで、その日はいろいろとお話してくれた。ラム肉などはオランダ国内で手に入るらしい。 コリアンダーがわざわざモロッコから空輸されていたとは知らなかった。 バジルやミントはイスラエルからの空輸だそうだ。 確かに、オランダの日照時間は短いから、ハーブ作りに向いている国とはいえない。 おじさんの話では、飛行機がストップしているため、タクシーでアムステルダムからバルセロナまで行った人がいて、3500ユーロ払ったとか。。。! しょうがないのでスーパーマーケットに行ったら、真空パックのケニア産のものが売っていた。 スーパーは火山灰事件よりも前にすでに仕入れてあったということか。 話はそれるが、最近、自転車でちょっと帰りに寄り道をして、イスラム系の人々が住む地域のオープンマーケットに行った。トルコ人、モロッコ人が多く住み、様々な食材が売っている。そして安い!たまたま店が閉まる時間帯だったのもあるが、バナナはスーパーでは数本で1.5ユーロくらいするが、そこではカメルーン産のモンキーバナナが10本くらいで1ユーロだった。 「これは小さくて、熟れきっていて、甘いのかなあ、この値段で美味しいバナナだったら、また来るぞ。。」 そして味見。 意外と甘くなかった。。。。。 それは蜂蜜をたっぷり入れたバナナケーキになった。 バナナケーキ用にまた買いに行くだろう。

Faces

今日は私が参加しているFACES というバンドについてのお話。 本格的にリハーサルがスタートしたのは、2008年だったか。 その結果が実となり、昨年は’Tijdlus’(タイドルス。英語でtime loop-時のループ)というタイトルのツアーで8つくらいのライブがあった。 このグループの活動は普段のクラシックとは全く違う方向性の音楽であるが、私はとっても楽しく参加している。 電子音楽、ロック、実験的サウンド、ノイズによる即興、親しみやすいメロディー、クラシックな要素、いろいろ混ざったTijdlus のプログラムであった。そしてそれらが映像と共に演奏される。 決して即興音楽のグループではなく、メインの作曲家が二人いる。 曲の中に、即興するスペースがもうけてある事は多い。 映像アーティストのヨーストが作った古い映像や斬新なサンプル映像、自分で作ったグラフィックなどを組み合わせて、私たちの音楽とコラボレーションしていく。その場のライブでの映像操作もあり、このグループの面白さはライブでしか味わえないと思う。 私はグループから借りているシンセサイザー「ARP -アルプ」、ハモンドオルガン、さらに自分のスピネット(17世紀の鍵盤楽器、チェンバロに似た、弦をはじく音がする)を弾く。 ケーブルがいっぱい! これらは昨年の写真。 今年は William Mumler という19世紀のアメリカ人心霊写真家をテーマにしたプログラムである。 ヨーストの映像が、今回はヴィデオではなく35ミリフィルムに創作された。 ヴィデオで凝った映像を作った後、フィルムに撮り直し、味わいのある映像となった。もはや即興操作はほとんどないが(色彩は少し変化できる)私達の音楽とぴったりとフィットしながら進むところが、すごいと思う。 ヨーストはもともとフィルムメーカーなので、彼の本領発揮。 4月にはアムステルダム、ウェスターパークのフィルム・ビエンナーレにて、選ばれたフィルムメーカーの一人として、映像+音楽のFACES が参加。大きな反響を得て、Mumler プログラムは今年、来年のツアーに向けて準備中である。 FACES Joost van Veen(film), Huib Emmer(electronica, electric guitar), Lukas Simonis(electric guitar), Nina Hitz(cello) en Kaoru Iwamura(spinet, synthesizer ARP, Hammond organ) http://www.myspace.com/tijdlus

お琴とフォルテピアノの出会い

この演奏会はフォルテピアノが演奏会で頻繁に使用されている、数少ない場所でもあるヘールフィンク・ヒンローペンハウスという博物館にて行われた。1787年製のブンテバルトというテーブルピアノに、19世紀初期のブロードウッドのテーブルピアノ、それに1848年のロンドンのエラールという3台が現在演奏会で使用可能である。元々は、アムステルダムのコンセルバトリーに常設してあった、スウェーリンク・コレクションというフォルテピアノコレクションからの楽器であったが、音大が引っ越しした後に楽器コレクションの置き場はなくなってしまったため、コレクションは現在ではいくつかの場所に分散してしまった。  この博物館にもらわれた(置かせてもらっている)3台はとても幸運な楽器である。今では移って来た当時とでは比べ物にならないぐらい、命が甦り、声を発し、歌を歌えるようになった。最初の頃の半分眠った、ちょっとふてくされたような楽器が、笑顔になったように感じる。  楽器の調整はまだする余地はあるが、フォルテピアノの学生から卒業生まで何度も演奏会に使われ、愛情を注がれて、17世紀そのままのような見事な内装の建物内で、絵のように美しく納まり、でも活きた音楽を奏でられている。  現在3月末までの「日本展」の一環で、昨年ダイレクターの方に何か日本の楽器を取り入れた演奏会をしたいのだけれど、良い案はないかしらと相談されたのが始まりだった。最初は邦楽の演奏という案も紹介したのだが、結局フォルテピアノと共演してしまったらどうか、と思った。  お琴はピッチの問題はA=410だろうが440ヘルツだろうが何でもすぐに変えることができ、調律法もフレキシブルであることがわかった。だが、まったく文化背景の違うところで育った楽器。デュオは可能なのだろうか?! という疑問で一杯だった。  一柳慧氏の作品がすでに存在するらしい。それはエラールで演奏してみよう。 さらに、あと4ヶ月ほどしかないというところで、どなたかこのデュオのために作品を作曲してくださる方はいないだろうかと探した。オランダ人女性作曲家のミランダ・ドリーセンさんが約束できないけれど、実験的にぜひやってみたいと快くお返事してくださった。そして、曲が間に合った!  ミランダの作品はテーブルピアノのために作曲してもらった。5オクターブの楽器で、ダンパーとリュートストップ、さらにテーブルの右半分の上部のふたが開閉できるタイプの楽器である。  ミランダの作品はシンプルでコミカルなイメージが最初と最後の自由なダイアローグ的部分に挟まれている構成である。それぞれの楽器の奏法を生かした作品で、特に彼女の指定した調律法によって和音の響きが面白くなる!  調律法は独特のもので、ここで全ては書かないがよくこういう調律法まで考えられるのだなあ、と感心するばかりである。  ただ、、ただ、、、調律に約1時間はみる。。。前日にも一度、当日の朝と直前にもダブルチェックした。。。さらにこの調律法にすると、ハイドンのソナタは弾けなくなった。。。のでプログラムも実はこの作品をいただいた後に変更した。ドレミファソ、、、が普通のドレミ、、のようには鳴らない。  一柳氏の作品とは全く違うキャラクターであり、どちらも演奏することによって、とても幅のあるプログラムとなった。  リハーサルしてみると、お琴はとてもシャープな音から柔らかい音、爪を使うのも使わないのも可能、強弱もエラールのグランドピアノに負けないフォルティシシモからテーブルピアノにぴったりな音量にできたりと臨機応変。 「びーん」とか「じゃじゃじゃん、、、」という爪ではじく、腰の入った日本的な響きはかっこいい!  結果、大好評に終わり、お琴とフォルテピアノの素晴らしい出会いの日はたくさんの方が聴きに来てくれて、皆で共有できたことがとても嬉しかった。特に、素晴らしい曲を作曲してくださったミランダ、ありがとう!  (3月21日にミランダの曲は再演予定。同じ場所で4時から。25分くらいのプログラムなのでたくさんはできないが、もしご都合のつく方はどうぞ!プログラムの半分はオランダ人女優二人による「枕草子」劇である。)

赤ちゃんとピザ

ある日の保育所の日誌に、こんなことが書いてあった。 「今日のキッズ。、、、、 7名」 「お昼に保母さんのDさんがピザを注文して、テイクアウトしてきた」 ここまで読んで、「保母さんのご飯がピザだったのかな?」と思った。 「どの子もピザを美味しくたべたが、***君だけは、パンのほうが好きであった」 ***君というのは我が子である。 赤ちゃんのお昼ご飯に、ピザとは。。。 うちではまだ一度も離乳食でピザを与えたことがなかったので、それはそうだろうと思った。 それに、ピザのまわりの部分少し固くはないか? ピザといってもトマトソースに、チーズくらいだと思うので、問題はないのだが、保育所でピザを皆で食べるなんて、赤ちゃんのうちから楽しそうではないか。。。 さらにピザというと、テイクアウトとか、出前とか冷凍とか「手抜きご飯」のイメージがあったので、(時々しているが;;)うちの子だけピザに手をつけなかったのが、なんだか「それでいい、うん」と微笑んでしまった。 ピザはもう少し大きくなってからね。

子供は寝る。。。

前回のブログで書いたように、オランダの保育所スケジュールにあわせて家でも我が子を寝かしつけるように努力して数週間。 なんと、ちゃんと時間になったら寝るようになった。 午前10時と午後2時のお昼寝タイムになったら、さっとベッドに入れてドアをしめる。(家は一部屋子供に与えられないので、しきりのガラス戸を閉めて、視界に入らないようにする)最初は15分ほど泣きわめいていたのだが、2、3日で数分で寝付くようになった! 夜も同様で、今ではだいたい8時半就寝、朝7時起床というリズムが立派にできた。 今まで夜10時まで起きていたのは、「眠らない子の意思にあわせて」いたのではなく「大人の時間につきあわせていただけ」なのだろうか。子供はたくさん寝るのだ。。。 そして目覚めるととてもすっきりしていて、眠りも深くなったのか、夜中に起きる事がなくなった。 子供が寝たあとに彼に留守番を任せて、コンサートを聴きにいったりもできてしまう。(逆もある。。。) 静かな夜の時間も確保できて、精神衛生的にも良い気がする。 オランダ人の合理的なやりかたは日本では抵抗があるのかもしれない。 日本にいるときには母親や親戚に、 「ほら、**ちゃん泣いてるよ!」 「いつまで泣かせてるの」 となった。そこで泣いている子供のところにさっと行く。あやしたり抱っこしたりすると機嫌はなおるが、すぐに寝付かなかった。オランダのやり方だと、規則正しい時間が身体に身に付くのか、きっとおじいちゃん、おばあちゃんに預けても時間になったら、放っておけば寝るようになりそうだ。 現に、保育所でもその後、お昼寝の時間になったら問題なくさっと眠るようになった、と保母さんたちも一緒によろこんでくれた。 ある日本の育児の本で、泣く子を放っておいて育児する方法(特にヨーロッパ)と、泣く子にさっとお母さんが来るタイプと、その後の人間形成にどのような違いが出るかを追跡調査した、という話がのっていた。 泣く子は、最初は長時間泣いていたものが、短くなって、遅くても2週間ほどで躾ができるという。 その結果が面白かった。 泣いても親が来ない、ということを学ぶと泣いて呼ぶのをあきらめる。それが、「あきらめの早い子になる」とあるのだ。 本当なのだろうか?!!? 「赤ちゃんは泣くことでしか意思を伝えられないから、できる限り意思を通してあげる」という考え方がある。 そういう本の影響もあり、はじめは赤ちゃんを泣かせておくのが罪悪に感じていたのだが、よく寝る子を見ると、自分はこのやり方でいこう!と思う。あきらめて寝ているのではなく、ただ習慣で眠気が来るようになったのだろうと思う。 「寝る子は育つ」という言葉はオランダの保育園でも聞いた。

育児の違い!

1月の半ばに妊婦ヨガのクラスで一緒だったメンバーで新年会。 こちらではパーティといえば旦那さんも一緒が普通。といっても7人の元受講者の中でたった一組しか結婚していない。 ところで、その新年会で大きくなったかわいい赤ちゃん達を見るのは幸せな時間であった。 パパママ達もみんな、幸せいっぱいなオーラが漂っていて、同じ頃にハイハイを始めたり離乳食を始めたりした子供達の成長を共有する。 私がまだ夜や朝に一日一回か二回母乳をあげていたのだが、「えー、まだあげてるのお!」との全員の視線を受けた。 すでに誰もあげていなかった。 いわく、3ヶ月までは「フルタイム」、6ヶ月まで粉ミルクと併用で、その後はもう粉ミルクのみ。離乳食も始めたから、という。日本ではよく、3歳になってもあげている人も多いらしいし、1、2年は普通らしい、と思っていた。 ヨガメンバーのオランダ人ママは全員仕事持ちで、 「母乳やめたら、自分にエネルギーが戻って来たわ」 「うん、やっと調子が戻ってきて、仕事もできる」 と生き生きと言う。 1年ぐらいすればいいかな、と気楽に考えていたが、子供はご飯にも興味を示しているので、まあそろそろやめても、粉ミルクもあげていれば栄養の面では、母乳の一番大事な時期は終わっているのだと思う。 さらに、先日保育所で小さなおしかりを受けた。 うちの子供が一番、寝るときに泣く。と。 「いつも寝るまで抱っこしたり、あやしたりしてませんか?」と。 オランダ式では、赤ちゃんのうちから子供部屋(家にスペースのある人は作るのが普通)に一人で寝かせ、就寝時間は夜7時から8時頃が多い。うちは10時過ぎのときも。。。 だって、仕事から帰って、食事与えて、少し遊んで、お風呂に入れて、着替えして、、、とすぐに寝ないからもう一度ミルクで、おやすみ、、というパターンだったのだが、 「子供が疲れて泣くー寝る、というのはだめです。泣き始めたらもう遅いのです。」 オランダ人は、泣く前に、こちらが寝る時間になったら、パジャマに着替えさせ、ベッドに寝かせ、本を読み聞かせ、電気を消してドアを閉める。 泣こうが、放っておき、一人で寝付くようにする。 そうして、昼寝も決まった時間にさせるべきらしい。 だから、家でも保育所のスケジュールにあわせて昼寝の時間の習慣をつけて欲しい、とのこと。 そうか、、、うちは疲れるまで遊ばせ、疲れてきたらベッドに入れると寝たり、泣いたら寝たりと、適当。昼寝する日もあり、しない日もあり。そりゃあ、昼寝しないときもある子が、いきなり昼ご飯の後暗い部屋に入れられて、他の赤ちゃんも一緒で、ドアを閉められたら、怒るだろう。。。泣くだろうと想像がつく。 子供が7時(!)に寝付くなんて、どうやって6時から保育所から連れて帰り、ご飯と寝る準備を終わらせるのだろう! でもそうすると、「大人の時間」がちゃんと確保される。それもオランダ人にとっては、非常に重要なようだ。 ねむそうでない子供を無理矢理、部屋に入れてドアを閉めるのは、大人の勝手とも言わないのかしら? とにかく、オランダ式をもう一度試すことにした。 8時半か9時就寝をまずは目標に。

クレメンティッシモでスタート

今年最初の演奏会。 とっても寒い日が続いていて、さらに日本から戻って5日目ということだったので、子供の時差ぼけやリズムが崩れることも心配であった。それに3週間べったりとおばあちゃんや親戚にかわいがられ、甘やかされてきた子供が保育所に戻ったときに、泣いたりしないのかなあ、という心配。 ところが、なんと良い子。保育所にいけば行ったで、ちゃんとそこで遊んでいたらしい。 一日目くらいはときどき泣いたらしく、3日間は時差ぼけもあってほとんどお昼寝をしなかったそうだ。 ただ起床が5時頃だったりしたので、子供と早朝に遊ぶはめに。 でもその3日間をフルに利用してさあ練習! と朝からピアノの部屋へ直行。12月からちょっと調子が不安定だったモデレーターペダルが、まだヘンで、これではまずい、と楽器のアクションを取り出したりしていたとき、、、、 「ポキ」 という音が。 「あ、やばい。。。」 ハンマーが一つ折れた。とっても初歩的なミスでアクションを取り出すときの注意が足りなかった。。。 修理、修理、、、。ハンマーの修理は意外と簡単で、動物の骨から作られた木工用ののりでつなげるだけ。 幸い切れ口もぴったり合ったので、ひもでしばらく固定しておいたら数時間後には復活した。ほーっ。 さらに、モデレーターの問題もフェルトが動き始める部分のネジを右や左に廻すうちになんとか直ったようだ。 ‘ Clementissimo!’ – オールクレメンティというプログラムであったが、反響はとてもよかった。 「ベートーヴェンやハイドン、モーツァルトの誰にも似ていないんですね」 「彼は、モーツァルトみたいなピュア、ミュージシャンとは違うねえ」 「ベートーヴェンみたいな転調や、低音の感じがしました」 どれもこれも、私もそう思う。モーツァルトに比べて「音楽的じゃない」と言ってしまえばそれまでだが、 クレメンティにしかないオリジナリティの面白さは、私も感じるところが多く、ここで言葉で語るのではなく、音で皆さんに徐々にお届けしてゆきたいと思う。 賞をいただいたときも「クレメンティアワード」だったし、今回の急なコンサートでもクレメンティ。 クレメンティにはいつも助けられている。 それにしても、この冬一番の寒い日、となり、部屋では温度約20度、湿度41%だったのが、ホールの温度16−17度、湿度36%と差が激しい所に数時間前から楽器を置いたが、演奏中の調律はそこまでひどくならず、よかった。。